第22話

 ミミを家へ送り届けてからヒューとエドガーは夜番の仕事に就いた。

 定刻通り早朝、テレグラフ・エージェンシーの社屋から出るや屋台で買った朝食代わりのジンジャーブレッドを頬張りながら再びグッドヴィル屋敷へ急ぐ。

 興奮して眼が冴えていたので睡眠をとるより、今日は先にリチャードの元へ直行して昨日の〝収穫品〟について色々考えてみたかったのだ。


「君の父上愛用の懐中時計が何故、母上の棺に入れてあったのか、については、俺はまだ何も読み解けていない。唯、昨日の段階で一挙に二つの謎が解けた気がする」

 集合した書斎――エメットには昨日に引き続きブレイクの詩集を三人で読みたいと伝えてある――でヒューは自分の推理を披露した。

「一つは、棺に納めてあった真紅のドレスについて。同僚のメッセンジャーボーイがみた〈赤いドレスの幽霊〉が纏っていたのはあれなのでは?」

 ヒューはあくまでも〈幽霊なんて存在しない派〉なのだ。

「つまり、君は誰かがアレを着て幽霊のふりをしたと言いたいんだね?」

 リチャードが腕を組んでうなづいた。

「なるほど、今回の怪異が外に向けたメッセージで、それを演出しているのは屋敷内の誰か、という君の意見とも合致するな」

「解けたもう一つの謎は、何なの?」

 エドガーの問いにヒューはニヤリとして、

「おまえの名付けた〈喋る火〉……明滅する火の玉の正体は龕灯ガンドウだ」

 吃驚してリチャードが訊き返す。

「ガンドウ? 僕が廟で使った、父上の机に置いてあった、あれ?」

「そうさ。蓋を操作することで火を消したり灯したりできる。信号を発信するのにピッタリじゃないか」

 ピシャッと両手を打ち鳴らすヒュー。

「問題は〝誰が〟ドレスを纏い、ガンドウを操作したか、だ」

「はっきり教えてくれ。君は誰が怪しいと思っているんだ?」

「ケネス」

 ヒューはきっぱりと言い切った。

「彼は元船乗りだ。そもそもモールス信号は船乗りが使用する。彼が知っていてもおかしくない。ドレスだって、ケネスは華奢で小柄だから容易に着れるさ」

「えー、彼は男だぜ」

「それがどうした? エドだってこの前、可愛いレディに化けたぞ」

「それは本当?」

「そっそっそ」

 舌をもつれさせるエドガー、その先をヒューが引き取った。

「侵入捜査のためにやったのさ。だがその話はいづれまた。それより、こうなったらガンドウの件を率直にケネスに質してみようじゃないか。赤いドレスについては――」

 策略家らしくヒュー・バードは提案した。

「廟で君の母上の棺を開けたことを、俺は暫く秘密にしておきたいと思っている。だから今はドレスについては触れないで置こう」


「モールス信号? とんでもない、私はそんなものは知りません」

 リチャードを先頭にして入って行った厨房で料理人ケネス・シムネルは驚いて首を振った。

「元船乗りと言っても私は航海士どころか、下っ端の水夫、しかもまだ子供で役立たずだったので賄いを手伝うのがせいぜいでした。エドワード様はフランスから英国へご帰還なさる際、そんな私を見かねて声をかけてくれたんです」

 遠い日の甲板で潮風に吹かれているようにケネスは目を細める。

「エドワード様はとても気さくな御方でふつうなら気を悪くされるような胡散臭い私の祖先の話を面白がって聞いてくださった。フフ、うちの先祖は歴史書に名の乗る料理人だってのがじいちゃんの自慢でね」

「あ、そのこと、リジーさんも言っていました」

 エドガーが口にしたリジーの名に料理人は驚いて目を瞬いた。

「皆さん、リジーに会ったんですか?」

 屈託なくエドガーが答える。

「ええ、会って色々お話を聞きました。エメットさんの遠縁だけあって、リジーさんも素晴らしい方ですね!」

 布巾ふきんで手を拭うとケネスは言った。

「勿論、私の先祖の話は眉唾物の冗談ですよ。にもかかわらずエドワード様は、そう言う血筋なら料理は上手いはずだとおっしゃって、花嫁とともに私までお屋敷に連れ帰ってくださったんです。つくづく思います。エドワード様がいらっしゃらなかったら今の私は存在しません」

 三人の少年たちを料理人は順番に見つめた。

「それにしても、このお屋敷から火の玉のようなものが出現して、その明滅がモールス信号だったなんて、私は全く知りませんでした」

 ちょっと探るような感じでリチャードが呟く。

「ガンドウを使って発信した言葉――『WATCH DEATHWATCH』は、書斎の、愛用の冊子に父上が書き残したものと同じだったんだ」

 ケネスは落ち着き払った口調で答えた。

「そのガンドウとやらも書斎の机の上にあったと言うんですね? キース・ビー警部にも話しましたが、私はお屋敷の表玄関を使用したことすらないんです。ましてお二階の書斎に足を踏み入れて冊子を読んだり、ガンドウを手にするなど、ありえません。繰り返しますが、私が書斎に入ったのはリチャード坊ちゃま、あなたが襲われた際、執事に呼ばれたあの時が初めてです」

「ありがとうございました。嫌な事件が続くので、僕たちなりに色々なことを改めて一つずつ確認したかったんです。どうか気を悪くしないでください」

 ヒューが謝罪して一同厨房を出ようとした時、今度はケネスが呼び止めた。

「お待ちを。エドガー君、これを妹さんにお持ち帰りください」

「?」

 差し出されたのはレース紙にくるまれた小さな包み――

「ボンボンです。昨日、妹さんに大変気に入っていただいたそうで、嬉しくてまた作りました」

「うわっ、ありがとうございます! 妹は帰ってからも『夢の国のお茶会みたいだった』って言い続けているんです」

 受け取ったエドガー、更に大きな感嘆の声を上げる。

「なんて綺麗なんだ! こんな風にリボンまで掛けてくださって……こんな素敵な贈り物をいただいたら、ミミの奴、自分がお姫様になったって勘違いするんじゃないかな!」

 照れて頭を搔く料理人。

「リボンはもらったんです。女の人はこういう可愛らしいものをたくさん持っていますからね」


 書斎へ戻る道々エドガーは申し訳なさそうに肩をすぼめた。

「ほんとにいい人だよね、ケネスさん。あんな人を疑って悪かったな」

「うん、僕もジョイスもケネスのことが大好きさ。彼は父上が見込んだだけあって忠実で信頼できる英国一の料理人だよ」

「ケネス自身は嘘をつかない誠実な人物だとしても、洗礼をしていない片手を持っている。その片手なら、どんなことでもできるかもしれない」

 冷静にヒューは言う。

「『WATCH DEATHWATCH』の文言について、キース・ビー警部は執事のモルガンとメイドのエメットには既に確認している。二人ともその意味は知らないと答えている。だが、この二人だって同様だ。嘘をついていないと誰にわかる?」

 リチャードは溜息を吐いた。ポケットから父の懐中時計を取り出す。昨日以来、ずっと肌身離さず持ち歩いているのだ。

「結局、この父上の時計を基に謎を解明して行くしかないようだね? 人と違って物は嘘をつかないもの」

 

 この後、ヒューとエドガーはそれぞれの自宅へ帰った。

 サヴィル・ロー通りのエドガーの家では、兄の持ち帰ったお土産にミミが歓声を上げた。

 一方、姉が時々戻る以外はほぼ一人住まいのヒューは、前庭にある共同井戸から汲んだ水で体を洗い、ドアノブに括りつけてあったミートパイを遅めの昼食としてたいらげた。これは姉からではなく隣接する小劇場の劇団長からの差し入れだ。

 この界隈では至る所に劇場が林立している。芸術的で雑多でいかがわしくもある地域、100年前詩人であり画家であるウィリアム・ブレイクが生まれ、今ヒュー・バードが育つ、ソーホーとはそんな一画なのだ。

 夕方の出社まで仮眠を取ろうとヒューはベッドに横になった。少し本でも読もうと思ったのだがそのまま眠ってしまったようだ。

 ヒューは不思議な夢を見た――

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