第21話

 屋敷の裏側の庭――最初にここを訪れた時、やはりリチャードに導かれて遠望したそこをヒューとエドガーは進んで行く。

 池をこんなに身近で見るのは初めてだ。キース・ビー警部も言っていたがまさにイギリス庭園式の人工美――形はキッチリと長方形。大きさは70×20フィートくらいで、地面と同じ喫水線高さふちを純白の大理石で囲っている。池を挟むように両脇に東屋が建っている。

 東屋ー池ー東屋、この直線ラインに並行して、背後は盛り土で土手バンクを作り、一列に植えられたイチイの樹々、その並木道が尽きた右奥、最初の日に雑木林と思ったそこがグッドヴィル家の聖廟だった。

「凡そ300年前、この地に居を構えて以降、亡くなった一族がここに安置されているんだ」

 廟は素晴らしかった。

 外観は簡素な煉瓦造り。だが、扉を開けた途端、正面の壁に描かれた、十字架を持つキリストと羊の群れが目に飛び込んで来た。

 改めて振り返ると、入口の壁面にも、呼応するようにアカンサスの葉に包まれて泉の水を飲む鹿たちと翼を休める鳩の姿があった。

 ドーム型の天井には、紺碧の空に輝く星と十字架、それを囲む熾天使セラフィム、智天使ケルビム、座天使オファニム……

「詩編42の世界だ! 主よ、鹿たちが谷川の水を慕うように我が魂もあなたを慕い彷徨っています……いつ私はあなたの御前へ辿り着けるでしょう……」

 息を止めてヒュー・バードが囁く。

「ああ、言葉が見つからないよ、リチャード。父さんに見せたかった。この美しい壁画を見たらなんと言っただろう……」

「ありがとう、ヒュー。最高の褒め言葉だ」

 誇らしげにリチャードは小さく会釈した。

「この廟はイタリアの職人を招いて造ったと伝わっているんだ」

「詩編42が何かはわからないけど、僕は鳩が気に入ったよ。ちゃんと描かれていて良かった!」

 言わずもがな、鳩はメッセンジャーボーイの同僚であり、象徴でもある。

 聖廟内は真っ暗と言うわけではなく、侵入者たちの交わす微笑みがちゃんと見えるぐらいの、仄明るい午後の光が揺蕩たゆたっていた。

 

 少年たちは姿勢を正してそこに立った。

 棺の列の中で一番新しいリチャードの父、エドワード・グッドヴィルの石棺。その真横の、イザベラ・グッドヴィル、旧姓イザベラ・ド・ブロワ。フランスからやって来た花嫁の偽りの埋葬、空蝉うつせみの棺。

 リチャードは一旦足元にガンドウを置いた。それから3人で石棺の蓋をゆっくりとずらして行く。半分ぐらいまで押し広げた時、ヒューが言った。

「もうこのくらいでいいだろう。明かりをくれ」

 再びリチャードがそれを持って中を照らした――

 三人とも息を飲んだ。

 火が燃えている! 

 勿論、目の錯覚だ。炎に見えたのは棺の中の真紅のドレスのせいだった。

 昨日置かれたようにそのドレスは瑞々しかった。赤々と燃えている。

「俺が明かりを持つから、君があらためてくれ。他に何かあるかい?」

 ヒューにガンドウを渡すとグッドヴィル家の長男は屈みこんでそっと母のドレスを持ち上げた。暫くして身を起こして首を振った。

「変だな。本当に『母上の残した品々を入れた』ってリジーは言ったのか? でも、ドレス以外に何もないぞ――あ、待って」

 リチャードは隅の方から小さな物をすくい取った。

 それは金の懐中時計だった。

「これは父上が愛用していたものだ。僕はよく憶えている。はっ」

 ヒューとエドガーの顔を見つめるリチャード。

「止まった時計……時を止めた時計……DEATHWATCHってこれのことじゃないのか?」

 父の懐中時計は3時2分で止まっていた。

 赤いドレスに金の懐中時計。

 棺に入っていたのはこれ二つきりだった。もっと細々した、貴婦人の愛した品々が詰まっていると思っていたのに。

 正直、三人ともちょっとがっかりした。

 少年たちは、ドレスはそのままそこに残し、懐中時計だけ持って行くことにした。


「どうぞ、お茶の用意ができております」

 エメットが声をかけに来た時、三人は書斎に戻っていた。

 初めて屋敷にやって来てフランス風の朝食を御馳走になったあの食堂で一同お茶をいただいた。

 相変わらずケネスの料理――今回はお菓子類パティスリィ――は最高だった。

 妹にそれを味合わせることができてエドガーは嬉しかった。それにしてもミミの落ち着きぶりはどうにいっている。

「お茶の席にまでお招きいただきありがとうございます。どれもこれもとっても美味しいです」

 片や、いつもは威勢のいい次男ときたら椅子の背にピンと背を伸ばしたままほとんど口をきかない。唯、その眼はケネスが腕を振るった砂糖菓子コンフィズリィ以上にキラキラ輝いて、この上なく幸せそうだった。

 が、それもここまで。お茶の時間が終わり、ヒューが別れの挨拶をした途端、ジョイスは泣きだした。

「いやだあ! もっといて、まだいてよ、帰らないで!」

「まぁ、ジョージ様、そんなにぐずって聞き分けの無い姿をお見せになったらミミちゃんに嫌われてしまいますよ」

「うっ」

 エメットに宥められて何とか涙を止める。

「ねえ、また来てよ? 必ず来てよ? すぐ来てよ? 約束して!」

「ええ、また機会がありましたら。その時は仲良くしてくださいね、ジョージ様」

「ジョイスって呼んで!」

 悲壮極まる別れの場面の傍らで兄たちは冷静に囁き合った。

「ミミをそんなにしょっちゅう連れ出すのは母さんが許さないだろうけど、僕たちは明日も来るよ、なぁ、ヒュー?」

「うん。謎解きはまさにこれからだ。君のお父上の懐中時計の意味を考えなくては……」

 ポケットの中に大切に忍ばせたそれに手を置いてリチャードは真剣なまなざしで言った。

「待ってるよ。できるだけ早く来てくれ」


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