第14話
果たして、きっかり30分後。
マードゥ・ウォードは約束の場所にやって来た。取り巻きを数人引き連れていた先刻と違い連れているのはたった一人だ。ヒョロッと痩せた小柄な少年で、どのくらい小柄かと言うとエドガーより小さかった。
「おまえが捜していたのはこいつだ、ピカデリー界隈でも出来たてほやほやのヒズ・マジェスティーズ劇場前を仕事場にしている腕利きだぜ。名はトム・ボロー」
「ハイ、トム。確認させてくれ。君は一昨日、グリーンパークのグッドヴィル屋敷へメッセージを届けに行ったかい?」
単刀直入に問い質すヒュー。トムも即答した。
「行ったよ」
「何のために? メッセージを渡した後、出て来た屋敷の紳士と直接話しただろう? それについて詳しく教えてくれないか。君は誰かに頼まれてメッセージを運んだのか?」
チラリとトムはマードゥ・ウォードの顔をみた。マードゥは励ますように背中を押した。
「いいから、さっき俺に話したことをこいつにも話してやるといい。それが真実ならば」
帽子と境目がわからないくらい真っ赤な髪。雀斑だらけの顔を歪めてトム・ボローは話し始めた。
「僕は誰かに頼まれてメッセージを届けたわけじゃない。その、僕はその人の靴を磨いた時……お金を多くもらい過ぎた。6ペンス銀貨さ。すぐその場でお釣りを返そうとしたけどその人はさっさと立ち去って次のお客が来たものだから返しそびれたんだよ。それで、一昨日、返しに行ったんだ」
「住所を知っていたのか? 馴染みの客だったということかい?」
「いや、初めての客だった。住所は、靴を磨いてる時、その人が口にしたから……それを憶えてて……」
「嘘だ! 君は嘘をついている!」
叫んだのは、ヒューではなくエドガーだ。
「その紳士――アンソニー氏はケチだった。僕らメッセンジャーボーイにチップすらくれたことのない人が6ペンス銀貨なんて出すものか! 何より、靴を磨いたって言うけど、氏はここ数週間、屋敷に籠って外出はしていないはずだぞ」
「う、嘘じゃない」
弱弱しい声でトムは弁明した。
「ほんとに6ペンスくれたんだ。硬貨を間違えたのかもしれない。そ、それに僕がその人の靴を磨いたのは、もうずっと前、そう、一か月以上前だった。だから、気が
再びマードゥ・ウォードの方を向いてトム・ボローは言った。
「〝商売は常に正直であれ〟って僕らは協会に教えられている。誓って、僕は今まで、お釣りをチョロまかしたことはない」
エドガーは引き下がらなかった。
「待てよ、君は『一か月以上前』って言ったけど、その時まだアンソニー氏はグッドヴィル屋敷には住んでなかったんだぞ。なのに何故、君はその住所を知ったんだ?」
「そ、それは……細かいことは憶えていない。僕が聞いたのは、これからそこに住むみたいな話だったかもしれない」
「もういいだろう。この件はここまでだ」
マードゥが割って入った。
「でも、今の点をきちんと確認させてもらわなきゃ――」
「トムは俺にも同じ話をした」
トムを見て、メッセンジャーボーイを見る。一度も瞬きをせずにマードゥは言い切った。
「こいつは親父さんを結核で亡くし、今またお袋も同じ病で寝込んでいる。その薬代と幼い弟たちを食べさせるために毎日身を粉にして働いている、正直でまっとうな俺の仲間だ。こいつを嘘つき呼ばわりするのを俺は許さない。こいつを嘘つきと呼ぶこと、それは俺たち靴磨き全員への侮辱だ。行こう、トム」
「待って」
エドガーが追いかける。エドガーはトムの前へ廻って――そしてサッと自分の帽子を取った。
「ごめんなさい。僕は酷いことを言った。君を嘘つきと言ったことを謝るよ。僕の父も療養中だ。小さい妹もいる。君を侮辱するつもりはなかったんだ。だから、君が腹を立ててるなら――殴っていいよ」
トムは身動きしなかった。代わりにマードゥの逞しい腕が伸びて――
ポンと一つエドガーの肩を叩いた。
「どうして中々、おまえらメッセンジャーボーイも捨てたもんじゃない。気骨があるじゃないか」
マードゥはヒューを振り返った。
「俺たちは皆、ロンドンが世界に誇るまっとうで正直な勤労少年だ、って言葉、気に入ったぜ。このチビスケの無礼は貸しにしておく」
「ありがとう、今回の協力を心から感謝するよ、マードゥ・ウォード」
巨漢の少年と痩せっぽっちの少年、二人の姿が人込みに消えて行く。
エドガーは胸に食い込むほど首を折り曲げて後悔の言葉を吐いた。
「あ~あ、熱くなり過ぎて酷いザマだ。やっぱり交渉事は君に任せるよ、僕には向かないや」
「落ち込むなよ、エド。おまえは間違っていない。さっきのトム・ボローの証言には明らかに嘘がある。マードゥだって気づいているさ」
「え? そうなの?」
「だがあいつは仲間がこれ以上面倒に巻き込まれるのを避けたんだ。グッドヴィル屋敷でのアンソニー氏の死は新聞にも大々的に報じられているからな。とはいえ、ギリギリのラインで俺たちに協力してくれた。メッセージを届けた人物を
額に一本、皺が刻まれる。無念そうにヒューは首を振った。
「この〈赤い人〉からの糸はこれまでだ。
「こんな日もあるさ。ガッカリしたら腹が減ったな。エド、何か食べるか」
ピカデリーの目抜き通りからヘイマーケットへ抜けて行く。
この辺りは劇場が多いせいで軽食堂や外国風のカフェが軒を連ねている。当然、路上には
エンドウ豆のスープ、トライフル、子牛や鰻の串焼き、フィツシュフライ……美味しそうな匂いに釣られて次から次へと巡っていると突然ヒューの足が止まった。
「つ! いきなり止まらないでよ、ヒュー」
背中に鼻をぶつけて抗議の声を上げるエドガー。
「やばい、悪魔だ! 今日はつくづくついていない、と言うか、なんでこんなところに出現するんだ……」
「悪魔?」
立ちすくむヒューが見ているその先にいたのは――
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