第11話

「気がついたと思うがこの冊子で気になるのは書き出しが『赤いドレスを纏って妻がやって来た』で始まっている点だ」

 二人を前に冊子についてキース・ビー警部は解説してくれた。

「最後の頁だけでなく全編こんな調子だ。リチャード君が〝独特の書き方をしている〟と言ったのはこの点を指すのだろう。だがそれ以外はエドワード卿自身の日々の想い、一族がかかわった歴史など、気の向くままにを綴った日記、雑記と見ていい。ことわったように僕は筋金入りの合理主義者だから幽霊なんて信じない。これをエドワード卿の、失踪した妻の霊との降霊記録帖とは思わないよ」

 鼻に皺を寄せてエドガーが問う。

「〝先祖の宝物略奪〟って何のことですか?」

「ああ、それは冊子の前の部分にも記されている。尤も、歴史上の事実として教科書にも載っているよ。現在誰でも知っていて秘密でも何でもないがね」

 警部はその頁を開いた。


 〈赤いドレスを纏って妻がやって来た。

  今夜、妻は訊いた。あなたの一族が行った略奪の話をしてと。

  僕は話した。

  国王エドワード4世の急逝後の1483年4月9日、

  国王の王妃の一族である我々一族が宝物庫であり武器庫でもあったロンドン塔を占拠したのは事実だ。

  これは次期国王継承の決定に力のある国王評議会に対する示威行為だった。

  亡きエドワード4世と王妃の長男エドワード5世をなんとしても王座に付けたいと願ったためだ。〉


「ひゃあ、こんな古いことまで申し渡して代々背負わなきゃいけないなんて、貴族って大変だな! ねぇ、ヒュー、君もそう思うだろ?」

「そうだな」

「まぁ、こんな血腥ちなまぐさい話ばかりじゃなくて詩なども書いてある」

 パラパラと捲って警部は声に出して読み上げた。

「『魔法使いが現れそうな夜、丸い月が輝いている……私は幼子のために子守唄を歌おう……おまえを囲む静寂の中で……』ふむ、エドワード卿は詩はあんまり上手ではないな」

「その先は『幼子よ、私にはおまえが見える……おまえの美しい母親はおまえの傍にいる……』でしょ? それ、我が国を代表するロマン派の詩人キーツの詩の抜粋ですよ、警部」

「え? そうなのか?」

 警部はそそくさと話を本題に戻した。木の冊子を脇へ置くと上着のポケットから自分の手帳を取り出す。

「ヒュー、君の指摘した〈降霊装置〉と謎の言葉〈WATCH DEATHWATCH〉について執事とメイドに確認したよ。聞きたまえ」

 今度はそちらを読み始める。

 

 執事:バジル・モルガンの証言

『その通り、あれは降霊のための場所です。先代奥様が設置なさったのです。当時奥様はご病気を患って色々ご不安だったらしく、亡くなられた御両親や御兄弟に会いたいと切望なさっておいででした。ですから、少しでも気休めになればと旦那様もお許しになったのです。しかし残念ながら、一度も幽霊は訪れませんでした。テーブルと椅子、卓上の品々は奥様が準備なさったそのままの状態で置かれています。その降霊記録帖にエドワード様の字で書き込みがあったですと?

 (暫し考え込む)

 あの書斎は代々のご当主が使用なさってまいりました。先代を引き継いだエドワード様があの冊子を気に入って、それでご自分の雑記帳になさったのでしょう。元々あの冊子は虫に喰われて使い物にならなくなった古いオークの鎧櫃を削り取って作りました。大変由緒のあるものです。とはいえ、エドワード様のご使用も、あの日床に落ちた後で書棚に戻されていたことも、私は全く気づきませんでした。いわんや中に記述されていた謎の言葉など、全く心当たりがありません。これらについてはメイドのエメットも私以上には何も知らないでしょう。あれはエドワード様が亡くなられた後で急遽雇われた新参者ですから』


 メイド:アン・エメットの証言

『はい、私がお屋敷で働き始めたのは最近――半年前、エドワード様のご葬儀の後です。ご書斎の丸テーブルの周囲のことはお掃除をする時以外気にしていませんでした。ええ、私が雇われた日からずっとあのテーブルの上にはランプと銀の筆記用具一式、そして木の装丁のご本が置かれていました。いつも粗相がないよう、位置を動かさないよう気をつけてお掃除をしていました。中を読むなどとんでもない。そんなはしたない真似、私はいたしません。床に落ちている物の中に冊子があったかどうか? 正直、あの時、私は倒れている坊ちゃま以外、目に入りませんでした。え? なんですか、WATCH DEATHWATCH? サッパリ意味が分かりません』


 パタンと音を立てて警部は手帳を閉じた。

「以上だ。料理人ケネス・シムネルにはこの件は訊いていない。彼は、襲撃事件以前に屋敷内に入ったことがないと既に証言しているからな」

「質問があります」

 ヒューが手を上げた。

「僕、ずっと気になっていたんです。この広いお屋敷に、老衰の家政婦長を除いて、現在、執事とメイドと料理人――使用人が実質三人だけというのは少な過ぎませんか?」

「それについては僕も疑問に思って確認済みだよ。半年前まではそれなりに召使いたちはいたそうだ。だが、若き当主、爵位を継いだばかりのエドワード卿の急逝以後、ほとんどが辞めてしまった。謎の死が続く不気味な屋敷でこれ以上働きたくはないと言うことさ」

 わかるだろう、と言う風に少年たちの顔を見る。

「結局、最終的に残ったのが先代ヘンリー卿から仕える執事――このモルガン家は代々グッドヴィル家の家令を務めて来たとのこと。実家はベルグレービア地区に別にあるが執事となってからはほぼ屋敷に常駐している。そして、先代奥方メアリーが連れて来た元小間使いで家政婦長センガ・ウェル、エドワード卿が新婚時に採用した料理人ケネスに新規採用のメイド、エメットと言うわけだ。庭師は定期的に来ているらしい」

 ここで警部は思い出したように付け加えた。

「実は、葬儀後もう一人残ったメイドがいたんだ。えーと、リジー・アッシャーという名だ。このメイドは誠実で先代夫人やフランスからやって来た若い夫人にも可愛がられていたそうだ。だが、同郷の許嫁との結婚が急遽決まって辞めることになった。その時自分の代わりにと遠縁の娘に声を掛けてくれた」

「それがエメットさん?」

「うむ、身内の中から責任を持って推薦しただけあってエメットも実に良い娘だ。あの娘がいなかったらどうなっていたかと古株の執事も料理人も心から感謝していた」

「僕もそう思います。ホントに素敵な人です。ねぇ、ヒュー、君もだろ?」

 エドガーがヒューをつつく。

「君もエメットさんにゾッコンじゃないか。この間、姉に似てるって日頃は無口な君が褒めちぎってたよね」

「だまれ、エド。おまえはこういうことに関してはやたら口数が多すぎる」

 ヒューはニヤついているエドガーを押し返して警部に訊いた。

「そのエメットを推薦した遠縁のアッシャーさん……出身は何処です?」

「出身? 家政婦長同様スコットランドだそうだ。でも故郷に戻ったわけじゃなく現在は同郷出身の夫とロンドン市内のミュール街――チャリングクロス交差点に近いザ・マル通りとペル・メル通りに挟まれた一画だな、そこに住んでいる。面白いのは結婚相手の姓もアッシャーだとさ。向こうには多い姓なのかな。わかりやすくていいね。夫の名はマシュー、勤務先はメイフェア中央郵便局だ」

 手帳を胸ポケットにしまうとキースビー警部は真剣な表情で言った。

「さてと、僕も明日にはここを出て行くが、これ以上、この屋敷で何事もおこらないことを心から祈るよ」

 壁の柱時計が午前2時を打った。流石にこの時刻、看護師に付き添われてリチャードも、母のドールハウスの傍らでジョージも、召使い部屋ではエメットとウェルが安らかな寝息を立てていることだろう。執事や料理人も自室に引き取ったに違いない。アンソニー氏だけが一人起きて、豪州からの株価を睨みながら酒をあおっているにせよ。

 メッセンジャーボーイはいつになくローラースケートの音に注意を払って、そっと屋敷から駆け去った。

 だが、若き警部の殊勝な祈りは天に届かなかったようだ。

 またしてもグッドヴィル屋敷を悲劇が襲った。


「キャーーーー…… キャー…… キヤー……」


 キース・ビー警部が警官を伴い引き上げた一日後の早朝。メイド、エメットの悲鳴が屋敷の庭に響き渡った。

 急逝したエドワード卿の又従兄弟、最近グッドヴィル屋敷に逗留していたアンソニー・グッドヴィルが庭の池に浮かんだのだ。これで4人目となる溺死体となって。

 半狂乱のメイドとつないでいた手を振り解いて次男は巣箱へと駆けて行く。大声で蜜蜂に告げた。

「叔父上が死んだ! お葬式だ、お葬式があるぞ! 巣箱の黒いリボンは、今度は僕が結ぶよ! 以上、今朝の報告終わり!」


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