第10話
再び戻ったリチャードの寝室で、ニュー・スコットランドヤードの警部とメッセンジャーボーイを前にしてリチャード・グッドヴィルは認めた。
「ええ、そうです。昨夜、僕が読んでいたのはその冊子です」
ヒューとエドガーの顔を順番に見てから、キース・ビー警部に答える。
「その冊子自体はずっと前――お祖父様が生きている頃からからあのテーブルの上に乗っていたのですが、僕が読み始めたのは最近です」
「どうして最近読み始めたんだい?」
「父上の死後、何気なく開いて父上の字だと気づいたんです。それで懐かしくて頁を繰りました」
警部は咳払いをした。
「この冊子は今回の事件に関わる重要な証拠品として我々警察の方で調べることになるが――その前に大まかにでも君から教えてもらえればありがたい。この中には一体何が書かれているんだ?」
暫く少年は考えていた。やがて顔を上げる。
「とりとめもないことです。日記というか雑記? ちょっと独特な変わった書き方をしているけれど、英国の歴史や我が一族の歴史、父自身の母上への想いとか、僕と弟のことも書いてある。何をやった、何を話した……他の人が読んでどう思うかはわからないけど、僕には大変興味深くて凄く引き込まれました。それに父上の字だってだけで懐かしくて、まるで父上が傍に立っているようで、その」
リチャードはここで再びヒューを見た。
「寂しさが和らぐんです」
「君は全部読んだのかい?」
「いいえ、少しずつゆっくり読んでいます。だから、綴られている部分のまだ半分くらいかな。読み終えるのがもったいなくて……」
「最後の頁に何が書かれているか、知っているかい?」
「いいえ。何と書かれているんです?」
キース・ビー警部は冊子を開くと静かに差し出した。
「ここに書かれていることの意味がわかるかい?」
父の字で埋まった部分は冊子のちょうど三分の二くらいだ。その後は白紙のページが続く。最後の頁の文末に記されている言葉。
WATCH DEATHWATCH
覗き込んだグッドヴィル家の嫡男は唇を噛んで首を振った。庭で
「いいえ――僕、わかりません」
キース・ビー警部は、書斎の丸テーブルの一画が降霊装置かもしれないということについては、この日、少年には明かさなかった。ヒューもエドガーもただ立ち会っていただけでほとんど口をきかなかった。
二度目の別れの挨拶をして、今度こそ本当に屋敷から出て公園の道を歩き出した時、ボソリとエドガーはヒューに訊いた。
「君も、あの部分を読んだ?」
「ああ。パラパラと捲った時に目に飛び込んできた」
肩で揺れるローラースケートを押さえてヒューは言った。
「俺は最初、あの鬼火を装ったモールス信号はリチャードがやったんじゃないかと思っていたんだが、さっきの受け答えを見ていたらどうも違う気がして来た」
「うん。リチャードは嘘をついてるようには見えなかった。本当に初めてあの言葉を知ったって風だった」
謎は深まるばかりだ。
次の日、ロイター卿のテレグラフ・エージェンシー社の配達集計室の棚にはグッドヴィル屋敷宛ての配達物が二通あった――
一通はアンソニー氏宛ての豪州からの株価通知、もう一通はプレミア便のハンコが押してある屋敷気付キース・ビー警部行きとなっていた。
「こんばんは! テレグラフ・エージェンシーより最新のメッセージをお届けに参りました!」
「ご苦労様」
その夜はアンソニーは出ず執事が受け取った。執事の後ろに立っていたのはキース・ビー警部だ。
「ようこそ、メッセンジャーボーイズ、ついて来たまえ」
警部は自分宛ての封書を受け取ると二人を玄関脇の一室へ導いた。そこはいわゆる
「ここが僕の当屋敷に置ける捜査本部というわけさ。もっとも、それも今夜限り、明日には撤収する」
椅子を薦めながら警部補が言う。
「屋敷の嫡男を襲い、謎の死を遂げた侵入者の事件は一応区切りがついた。まぁ、ほとんどが未解決なんだが。今回この件で協力してくれた君たちに判明した事実だけでも知らせておこうと思ってね、こうして呼んだ次第だ」
二人が腰を下ろしたのとほぼ同時にドアが開いて料理人が盆を掲げて入って来た。
「失礼します。お茶をお持ちしました。エメットはジョージ様を寝かしつけた後、自室に引き取って休んでいます。どうぞお夜食など必要とあれば私に何なりとお申し付けください」
「ありがとう、ケネス、感謝するよ。この数日間、君にも世話になったな。僕が贔屓にしているキングスストリートのハドスン亭に負けない美味しい食事を振るまってくれた上に、こうして夜食の心配までしてくれて」
「何をおっしゃいます」
照れたように笑う料理人。ヒユーとエドガーも立ち上がった。
「そうだ、僕たちも御礼を言います。遅くなりましたが、先日の深夜の差し入れ、ありがとうございました」
「凄く美味しかったです! チョコレートブリオッシュは僕の大好物になりました!」
「いえ、お礼を言いたいのはこっちです。お二人と知り合ってからリチャード様もジョージ様も楽しそうで、エメットも大喜びです。屋敷中が明るくなりました。私などがこんなことを言うのも差し出がましいですが、どうぞこれからも坊ちゃま方をよろしくお願いいたします」
料理人にまで頭を下げられて恐縮する二人だった。
ケネスが出て行くとキース・ビーはすぐに本題に戻った。
「結局、凶器の類は何処からも発見できなかった。侵入箇所は主屋一階客間の前の廊下だ。アンソニー氏は不穏な物音は聞いていないと言っているが、こじ開けた痕があったからそこだろう。死体となった襲撃者、それから三番目の人物はここから侵入したとみられる。もっと言えば、二人は仲間で一緒に盗みに入り、仲間割れをした――というのが僕の推論だ。現段階ではこの見方が一番しっくりくる。書斎で絶命した襲撃者の身元は現在に至るも不明」
キース・ビー警部は小さく唸って天井を仰いだ。
「家政婦長のウェルもアンソニー氏も当夜のことについては大した証言は得られなかった。と言うより、二人とも質問にまともに答えられない状態だ。一人はボケていて、一人は泥酔状態で」
「第三の人物は逃げる時も入ったのと同じ場所を使ったと言うことですか?」
ヒューの質問に頷く警部。
「そうなるな。玄関は医師がやってきた時開けた、その時まで施錠してあったと、執事は言っている。その医師を料理人ケネスが呼びに行く際、馬車を出すために厩舎へ走ったが、玄関からではなく裏口から出たそうだ。そもそも『使用人である自分は今まで表玄関を使用したことはない』とケネスは言っているし」
厩舎及び馬車庫は屋敷正門の右側、英国式庭園入口の前にあるのをヒューもエドガーも、実際その前を歩いたので知っている。
「冊子に関して、何か新しい発見はありましたか?」
最も訊きたかったことをヒューは訊いた。警部は薄い口髭を撫でながら、
「一応全部目を通したが、子息の言う通り、日記だな、あれは。難解ではあるが特段変わったことは記されてなかった。例の最後の言葉、WATCH DEATHWATCH以外は」
警部は木で装丁された冊子をテーブルに置いた。問題の頁を開いてメッセンジャーボーイの前へ押して寄こす。
扉同様かなり虫喰いの痕のある紙面の、開いて左の頁が日記としては最後の書き込みとなる。その文末に WATCH DEATHWATCHの文字。
警部はお茶を一口飲んだ。
「兄弟の父エドワード・グッドヴィルはこの後、池で急死している。そう思うと遺書のように読めなくもないが……」
警部は〝難解〟と表現したが。確かに、そこに記されていたのは少々奇妙で不可解な文章だった。
〈 赤いドレスを纏って妻がやって来た。
私たちは語り合った。
妻は言った。
私を愛していると。
そしてこどもたち、リチャードとジョージを愛していると。
私は答えた。妻を愛していると。
リチャードとジョージを愛していると。永久に。
妻は明かした。
妻の祖先のシェルル・ド・ブロワは9年間ロンドン塔に幽閉されていたと。
私は明かした。
私たち一族は王や王太子、その兄弟の傍で戦い続けた子孫だと。
我が家の宝は血で勝ち取ったその証し。だが、
我々の先祖の宝物略奪は真実の話だとしても宝は命をかけて守り
命よりもこれこそを大切に受け継いでいけ。
唯、光の中をどこまでも
WATCH DEATHWATCH 〉
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