第7話

 二人が乗った警察馬車が止まったのはグッドヴィル屋敷の前だった。

 伝統的装束の老執事ではなくキース・ビー警部が扉を開けて招き入れる。

「来たな、メッセンジャーボーイズ。僕の責任で許可は取ってある。入りたまえ、見てもらいたいものがある」

 玄関から屋敷内に入るのは初めてだ。大きな白黒の市松模様の床を突っ切ってエントランスホール奥の階段を上る。警部が連れて行ったそこは書斎だった。

 ちょうど玄関の真上に当たる部屋だ。馬車道が見渡せる窓際にどっしりとしたマホガニーの机が置かれていて、向かって右側の書棚の前に執事とメイドが放心したように佇んでいた。ヒューとエドガーの視線が停止したのは反対側、左側の書棚の前だ。華奢な丸テーブルと2脚の椅子が倒れ、卓上に置かれていたのだろう、粉々になったランプ、書き物用具一式――銀の皿、インク壺とペン――が散乱していた。その傍に人が仰向けに倒れている。着古した工兵のような紺色のシャツとズボン、この季節には珍しい暗色のローデンクロスのオーバーコート。明らかに死体だった。

 警部補の声がやけに大きく響いた。

「顔をよく見てくれ、この人物が誰か知っているかい?」

 即座に答えるヒューとエドガー。

「知りません」

「初めて見る顔です」

 そうか、と警部。すぐに続けて、

「昨夜、この部屋で、屋敷の嫡男リチャード・グッドヴィル君が襲われた。彼と一緒に倒れていたのがこの男だ」

 ヒューとエドガーは同時に叫んだ。

「リチャードが襲われた?」

「安心したまえ、御子息は無事だ。命に別状はない。だが、首を絞められて失神した状態で見つかって――僕よりも先に到着したグッドヴィル家の主治医が自室へ運んで介抱しているところだ」

 ちょっと言葉を切る。

「何よりも困ったことには、この屋敷に住む者が皆、この死人が誰か知らないと言うのだ。君たちはリチャード君と懇意だそうだな。今一度訊くが、この人物に関してはどうだい。メッセージの配送中にでもこの屋敷の界隈で見かけたことはないかい?」

 二人はきっぱりと繰り返した。

「いえ、ありません。全く初めて見る顔です」

「それに、僕らは配達中、この周辺で人に出合ったことは一度もありません」

「ということは、純然たる強盗の行きずりの犯行ということか。たまたま昨夜この屋敷に侵入して、この部屋にいた子息と鉢合わせになり首を絞めた。だが、何らかの原因で自分が死んだ――」

 ここでせわしい足取りで一人、部屋に入って来た。即座にメイドが声を上げる。

「ホール様、坊ちゃまの御容態はいかがです?」

「リチャード君なら大丈夫だよ、エメット。意識を回復した。看護師を傍に付けてきたから安心しなさい」

 医師は警部へ握手の手を差し出した。上背がありがっしりした体つきの青年医師だ。褐色の髪と同じ色の理知的な瞳。いかにも現代風の三つ揃えを着て、それが良く似合っている。

「初めまして、警部。私はビクター・ホール。祖父の代からグッドヴィル家の主治医を務めています」

「よろしく、ドクター。僕は今回の件で出動してきたキース・ビー警部です。それでは、改めて皆さんから、昨夜この場所で何があったかを確認させてもらいます。メッセンジャーボーイの二人も関係者ということで僕の裁量で立ち会わせたいと思います」

 特に異論はなかったので警部は続けた。

「今回の事件を一番初めに発見したのは誰です?」

「私、執事のモルガンとメイドのエメットです」

 執事が即答した。今日も古色蒼然、鴉を思わせる立ち姿だ。

「書斎からの物が壊れるような異様な物音を聞いて自室を出て駆けつけると同じくやって来たエメットと書斎前で出合いました」

 屋敷は凹字型。執事の自室は奥へ折れた右棟二階端、女性使用人の部屋は反対側の左棟二階とのこと。

「二人一緒に中へ入りました」

「その時、書斎のドアはどういう状態でしたか?」

「開いていました。エメットが金切声を上げて倒れている坊ちゃまに駆け寄りました。私もすぐに坊ちゃまの元へ行きました。お気を失っているようでしたが脈はありました。次にこちらの男へ近づくと、こちらは死んでいました」

「脈をとった?」

「侵入者には触れてはいません。上から見ただけで、死んでいるのはわかりましたから」

「お二人とも、部屋へ入ってリチャード君に駆け寄った以外の行動はしていないんですね。何か触ったりしていませんか?」

「何も触れてはいません」

 執事に続いてメイドもきっぱりと言い切った。

「私も、部屋の物には一切触りませんでした」

 執事は続ける。

「それから、私は料理人――ケネス・シムネルという名です――に命じて当家の馬車でベルグレービアまでホール医師を呼びにやりました」

 ベルグレービアはグリーンパークに隣接する住宅街だ。

「医師に知らせた後はそのまますぐに警察へ向かうよう、このことも命じました」

 料理人は警察に知らせると一足先に屋敷へ戻った。一報を受けたキース・ビー警部はヒューとエドガーを連れて来るようテレグラフ・エージェンシー社へもう一台小型の警察馬車を手配してから出動。配下の警官ともども書斎に駆け込んだその時、書斎にいたのは執事と料理人だけだった。医師とエメットは子息を自室へ運んでこの場にはいなかった――

「だって、坊ちゃまをいつまでも冷たくて固い床の上に寝かせておくわけにはいきませんもの」

「僕が警官に命じて第一発見者のメイドさんに書斎へ戻ってもらった。代わりに、先に話を聞き終えた料理人を次男の傍へ戻した」

 ヒューとエドガーのために警部が前後の状況を説明してくれた。

「次男には警官を傍につけると僕は言ったのだが、幼い次男には顔を見知っている人の方がいいとメイドさんが懇願するのでね」

 ここでホール医師が自分の行動について語り始める。

「私は、往診用の馬車に看護師を乗せ屋敷に駆けつけました。書斎へ直行し、まず床に倒れているリチャード君を診察し致命傷を負ってないと確認した後でそちら、襲撃者を診ました」

 穏やかな口調で医師は言った。

「死因は、最初よくわかりませんでした。心臓発作かと思いました。ところがよくよく見ると発見したんです。死因は刺殺です。耳の後ろに鋭利な刃物傷がある。見事なものだ。一撃で刺し貫ぬいている。だから、出血もほとんどないんです。ホラ」

 医師はその部分を指し示した。確かに真紅の小さな痕があった。

「鮮やかな手腕だ。これをやった者は人間の急所を熟知していますね」

「では書斎にはこの男以外にもう一人いたということ?」

 こう訊いたのはメッセンジャーボーイのヒューだ。医師はそちらを振り向いてうなずいた。

「うむ、そうなるな。そいつはこの男がリチャードの首を絞めている後ろから刺した。そして逃げ去った」

 普段感情を表さない執事がピクリと眉を上げる。

何処どこからです?」

「それは我々がこれから調べます。侵入箇所と逃走箇所、徹底的に捜索しますよ」

「だが、他にも探さなくてはならないものがありますね」

 医師がズバリと指摘した。

「この男を刺した凶器ですよ。今のところ屍骸の近辺には見当たらない。殺した第三の人物が持って逃げた可能性もありますが」

 重要なことを医師に先に言われた警部は顔を赤らめた。

「勿論、凶器それを捜すのも我々の仕事です。では、捜索の前にお聞きします。この屋敷内には今現在、何人の人がいるんですか?」

「7人です」

 執事が列挙する。

「当家のご家族、リチャード様とジョージ様、そして亡くなられた当主エドワード様のご親戚のアンソニー様。執事の私、バジル・モルガンとメイドのアン・エメット、料理人ケネス・シムネル、家政婦長のセンガ・ウェルです」

 医師のホールが補足した。

「家政婦長のウェルは最近急激に進んだ老衰のために寝たきりの状態です。それで私が週に何回か往診に来ています。部屋は屋敷の二階左翼端です」

 執事が更に詳細を語る。

「ウェルは元々は先代の奥様がご結婚の際、スコットランドから連れて来た小間使いでした。以来、未婚のままずっとグッドヴィル家に仕えて来たことを感謝して奥様亡き後、先代も、後をお継ぎになったエドワード様も、ウェルのことは最後まで面倒を見るよう常々仰っておられました。お二人とも先にお亡くなりになってしまいましたが」

「家政婦長についてはわかりました。エドワード卿の御親戚、アンソニー氏はどちらにられるんですか?」

「一階の正面棟右端の客室です。ですが、その、酩酊状態で、夕方になるまでお目覚めにはならないかと……」

「寝ているだと? こんなことが起こったと言うのにか?」

 小さく息を吸ってからキース・ビーは片手をサッと振り下ろした。

「まぁいい。それでは襲撃者の侵入及び脱出箇所と凶器の発見のために、まずこの書斎から初めて全屋敷内の徹底的な捜索を開始します。この広さだ、署に連絡して警官を増員してもらわなくてはならんな」

 正体不明の死体を運び出すよう部下の警官たちに指示してから警部は改めて執事に声をかけた。

「家政婦長のウェルさん、それから、アンソニー氏に会いたいので案内してください」

「それなら往診もかねて私もご一緒します」

 医師と一緒に歩き出しながら警部は少年たちに言った。

「メッセンジャーの諸君、君たちは帰っていいぞ。乗って来た警察馬車を使いたまえ」

「馬車は結構です、自分の足で帰ります。でもその前にリチャードに会いたいんですが、いいですか?」

 ホール医師が肩越しに微笑んだ。

「かまわないよ。とはいえ面会は短く、くれぐれも刺激を与えないように」

「メッセンジャーボーイさん、リチャード様のお部屋まで、私がご案内いたします」

 禍々まがまがしいことが起こったこの部屋から一刻も早く出たいと言う風に小走りにメイドが進み出た。


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