羽合せ(その五)

 惟國の弔いは惟時が青龍寺で行うと知らせが走った。下宮の馬場に設けた桟敷で倒れた惟國の亡骸は、既に権大宮司の指示で青龍寺に移してある。

 無論、隠居して住んでいた坂梨にも知らせは走っていた。

 血相を変えた坂梨の惟有が、ほぼ突進の勢いで青龍寺に駆け込んできたのはその日の夜のことである。

「大殿がお隠れになっただと⁉︎」

 坊主の制止も聞かずに上がり込もうとするやり取りに、

「又太郎殿」

 惟直は奥から出ていった。その顔を見て、

「……若殿」

 いくらか落ち着きを取り戻した声音で、だが窺い見るような様子であった。

「祖父上の弔いは父上と嫡孫である我が責務、又太郎殿が慌てるようなことは何もござらぬ」

 惟直の静かな声音と血相、これではどちらが年上かも分からない。

「大殿は祭に出かけられるまでお元気であった、それが祭の最中に俄かにお隠れになる理由が無い」

 惟有がそれでも、噛み付きそうな表情で唸った。惟直はそれでも涼しい顔で受け流す。

「では、気の済まれるまでお改めになれば良かろう。……お改めになるのであれば」

 惟有は荒く鼻息をついて寺に上がった。


 惟國の遺体は畳の上に安置されていた。寺の僧は余程の身分でなければ使わないから、惟國のために持ち込まれたのである。

 その枕元に、惟時が座っていた。寿熊丸は後方に控えている。

「……お元気で祭見物にお出でになった大殿が、夕刻には冷たくなられているというのは何かの間違いではござらぬか、大宮司」

 惟有は部屋を見回して様子を見て取ると、開口一番、座りもせずそう言い放った。

「な……」

 寿熊丸が顔色を変えて膝立ちになった、それを惟時が片手で押しとどめる。

「お元気であった、祭見物にお出でになられたのだからさもあろう。しかし、大殿は既に暦を一周され、さらに古来稀と言われる御歳に達しておられた。いつなんどき何が起こるか判らぬお歳よ」

 いくさでなく、また長く患いついておらずとも、老人ゆえに突然病を得ることもある。たとえば心の臓は急に持ち主に背いて動きを止めることもあるし、脳も中風ちゅうぶといって、突然鍛錬中の大太刀で力一杯殴られたような痛みに襲われる病は、そのまま帰らぬ者となることもある。運良く生き延びても呂律が回らなくなったり手足のどこかが麻痺したり、ろくな結果にならないことが多いから、中には死んだ方がましだった、と罰当たりなことを言い出す者すらいるらしい。

 惟時は、まあそのようなことではないか、と諭しているのである。

「そうであるやも知れぬ。だが、生憎この目で見ぬことには信じられぬ性質たちで」

「何を疑っておるのやら」

 惟有は惟時の呟きなど耳に入らぬ様子で、惟時とは逆の側に膝をついた。

「改めさせていただく」

 誰に断っているのか、言葉と同時にもう、狩衣の蜻蛉に手が伸びていた。

 帯を解き、身頃をはだけただけでは気が済まないようで、中の海松みる色をした単衣を、下の小袖ごと剥ぐ。

 ――その肌に、尋常でない傷が無いか、確かめているのであった。

 が、死因は矢傷刀傷でないのだから、当然存在するわけがない。

 顔も、この時代である。高貴な人間は首だけであっても死化粧を施すのが礼儀であった。苦痛に歪んで死んだのであれば、表情を和らげることぐらいはする。

 泡を吹いた口許であれば、無論綺麗に拭いて整える。

 やがて、惟時が口を開いた。

「気が済んだか、坂梨の惟有」

 いみなで呼ぶ、目上の者から目下の者、親や主君から呼ばれるならば何の不自然でもなく、つまりこれは惟時が惟有の主であれば、当然そのようなこともあるにはあった。

 ただし時と場所による。

「縁者とはいえ、大宮司の職を務めた者に対し、この狼藉」

「狼藉などではない!大殿が害されたのではないかと考えて当然であろう!」

「なぜだ?」

 惟時は心底理解できない、という顔をした。

「大殿が害される、とは誰にだ?祭の桟敷でか?自発的に祝達が周りを固めておって、どのように害するのだ?」

 そなた傍に控えていてくれたのであろう、と惟有の背後に向かって呼びかけると、はい、と声がして天宮祝と九祝が進み出た。

 他の年爾祝や雑宮祝も居る。隠居とはいえ大宮司職を務めた者の忌事である。参じるのは当たり前であろう。

「ご親族とはいえ、ちと言葉が過ぎませぬか。又太郎殿」

「それに大殿に対してこのような。装束を改めるならともかく、このように乱して」

 これが狼藉でなくて何なのか。

 天宮祝はそう引き取った。

「――これは、大宮司に対して、逆心を表したと解釈して宜しゅうござりますな」

 不快である、という顔を隠しもせず、権大宮司が整えた装束で入ってきた。さすがに満願寺に駆けつけた時のような袴絡げではない。惟有を追い抜きざま、思い切り顔を顰めてみせる。

「坂梨の惟有。ここにいる皆が証人である。皆の者、惟有の振舞をどう思われるか」

 惟時の言葉に、まずは四祝。惟有と同年輩である。

「私は草部殿の言葉のとおりと思いまする。いくら大殿が坂梨と縁深いとはいえ、先の大宮司をお勤めになった方に、これは」

「しかも何やら、まるで我らが大殿を襲ったと、そのようにお考えのようですな」

 役犬原やくいぬばるの霜宮祝である。惟時と似たような歳格好だ。

 坂梨は惟國の縁もあって大宮司一門であるが、年爾祝や雑宮祝と大宮司家の間に血縁関係は無い。親戚縁者の争いにおいて、どちらの味方でもないのだ。

 だが、その争いが、社の運営に影響するとなれば話は別である。

 社の運営は、そのまま祝達の立場と権力の動向に直結する。

 そして今、祝達はどちらに就くのが得策か、素早く算盤を弾いたのであった。

 衆人環視の状況で、証拠もなく一族の長に実父殺しの嫌疑を掛け、あまつさえ遺体の装束を剥ぐなど。

「逆心、今この場で誅せられるのが道理」

 五祝の声が重く感じられたのは、声音だけのせいではない。

「……ならばこちらが打って出るまでよ!」

 惟有は腰の太刀を抜いた。

 惟直もそれを目にして太刀を抜く。元服の際に惟時から「もう振れぬ」と与えられた、京に名高い来国俊の注文打ちである。関東幕府からの拝領品らしく、刀身に八幡大菩薩と彫り付けてあるのが気に食わない。

 と、庭から「ご無礼致しますが、火急のことゆえ、ご容赦!」と若い声が掛かった。

「若殿、その太刀、汚すにその血、値致しませぬ!」

 ヒョウ、と風を切る音がして、惟有の胸からヌッ、と鏃が突き出した。

 若輩者と自認するゆえ、郎党達に混じって庭に控えていたのか。

 片膝をついたまま、長弓を構え、次の矢を既につがえていたのは小次郎であった。

 惟有は、突然己の胸から生えた矢柄をのろのろと見た。

 鎧わぬ状態で大袖や返しに邪魔されず、存分に引いた大弓の、至近距離からの一撃である。

 背中から貫通する威力の矢、鏃はよく見ると征矢でなく鎧通しであった。

 大立ち回りを想定していたならば胸当て背当てぐらいは中に着込んでいたかも知れないが、惟有はそこまでは想定していなかったようだ。

 だが、小次郎はそこまで想定していたということだ。

「お、のれ……」

 肋を砕き、肺腑に傷が入っているだろう、息と共に血を吐き出した惟有は、自分を射抜いた者を振り返って睨みつける。

 小次郎はさらに引き絞った。

 かはり、と土瓶一杯程も、惟有が血を噴いた。

 そのまま、どう、と横倒しになる。

 惟時が二つに増えた死骸をじっと見た。

「――烏帽子親殿に頂いた刀を汚さずに済んだ。礼を言う」

 小次郎も構えを解く。

「は、御仏の御前を汚しまして相すみませぬ」

「よい。――惟有は皆が見届けたとおりだが、命をもって贖わせた。坂梨全体に累が及ぶのは我が本心ではない。よって惟有の所領は闕所けっしょとし、阿蘇社の下に置き、その他の坂梨の地は従前のままとする。のちほど証文を書くが、皆の者、そのように」

 これは、惟有のみを逆賊と認めるが、彼の二人の幼い息子は放免とする、ということであった。

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