羽合せ(その四)

「御自身の目でお見届けにはならないので?」

 阿蘇郷の北、小国郷、満願寺。

 鎮西の阿蘇流北条家の祖・為定が建立した、阿蘇には珍しい真言宗の寺だ。

 大宮司惟時と、恵良惟種が、時を同じくして別々に訪ねて来た時は皆驚いたが、別当の入道浄阿だけは

「その時が、参りましたか」

 と、眉ひとつ動かさずに招き入れた。

 今、方丈には惟時と、惟種、そして浄阿ばかりだ。

「恵良殿、何か腰掛けをご用意致しましょうか」

 と浄阿は申し出たが、それには及ばない、と惟種は断った。

 だが、いつも会う時はおもての縁で腰掛けている惟種が、何とか胡座をかこうとしているのを見ると、惟時は居た堪れない気持ちになった。

 惟種の片脚は萎えて動かない。

 生まれつきではなく、ひきつけを起こすようになってから、それまで立って歩いていたのが急に萎えたのだという。

 ひきつけの発作さえ無ければ、もしかしたら惟景は惟種に跡を譲っていたかも知れない。

 だが、ついに惟種の片脚が不自由になるに及んで、惟景はあの譲状を書いた。

 そして惟資の妻の兄、恵良彌四郎が母子を引き取ると、惟景の疑念は深まった。

 惟種はひきつけを起こさなくなったのである。

「二本木にいた頃はよう泣く子であった、と聞いておりますな。粥を食い始めてから特に」

 と惟種は言う。それはおそらく、跡を譲ってから度々恵良を訪れていた惟景から聞いたのだろう。

 その惟種は、満願寺に花を一枝持参していた。枝というのは草であるから相応しくはないのだろうが、まだ蕾も多いが花の房が鈴生りで、重く垂れ下がっていた。根に近い方から、白緑びゃくろくとでも言うのか薄い色の、馬の面のような、浅沓あさぐつのような妙な形の花が咲き出している。

 ――あるいは、鳥兜のような。

眩草くららぐさ、か」

 惟時が目を止めた。

 この時期、阿蘇ではそう珍しい草ではない。色が色なので地味だが、背丈だけは人ほどにも育つ。ただ大の男でも我慢ならないほど苦く、馬も食わない。

 特に根は眩暈めまいがするほど苦く、『眩草』はそこから付いたという。

「よく、このような物を口にしておったな」

 惟時はそれが謎だった。

 惟種が笑う。

「だから食えていなかったのですよ。始終粥を吐き戻して、涎まみれで。まあ母の受け売りにございますが」


 ◇◆◇


 端午の節会せちえを取り入れた祭なので、御幸の阿蘇大明神にはちまきが供えられる。

 供物は下げられれば撤饌、善男善女に振る舞われた。

 桟敷の観客にも、僧や手伝いの者達が粽を持ってきた。

 祝達と話し込んでいた惟國がふと横を見ると、いつの間にやら土器かわらけに載った粽が置いてある。

「誰が持って来たか、見たか」

 祝に訊いても、誰も見ていなかったようで首を振る。

「我々にまで置いて参っておるな」

「手伝いの若い百姓ですかな」

 一人が「まあ、良いではございませんか」と、自分の傍に置かれた粽を手に取り、竹の皮を剥きだした。

 白っぽい餅が震えながらまろび出る。いかにも旨そうだ。

 五日の祭は大宮司からの二石五斗の予算で行われるから、この材料もつまりそういうことだ。どこの米だろうか。

 惟時の米というのは癪に障るが、粽に罪はない。

 祝達が粽を旨そうに食うのを見て、惟國も粽を剥いて口にした。


 ◇◆◇


 惟資が死んだ年に生まれた惟時のことを、惟景は生まれ変わりのように見ていたのかも知れない。

 物心ついた時には父が大宮司職を継いでいたので、自然に惣領としての扱いと教育が始まっていたが、惟景もまた、幼い惟時をよく自分の元へ呼んだ。

 そして二人で馬の練習と称し、阿蘇の野を駆けた。

 惟時が惟景から継いだものは多い。

 実際に祖先の地に足を運び、摂社の神官達とも話をし、恵良の惟種にも会いに行き、関東幕府の仕組みを教えて、阿蘇の野にあるさまざまな生き物達の知識を得た。

 惟景はこの時期の阿蘇にはそこいらに生えている、背は高いが地味な豆の花を千切り取って、幼い惟時に見せたものだ。

 あの葉を馬の口に近づけると、嫌がって顔を背けた。

 そこらの道端に生えた草を、目を離せば食っていた、食いしん坊で定評のある馬ですら食わなかった。

「苦いのだ、これは。根など猛烈に苦い。馬もよく知っている」

 何故か惟景は、ひらひらと蜆のように小さい瑠璃色の蝶がよくまとわりつくこの植物に拘った。

 惟景が病に倒れ、死のほんの前に呼ばれた惟時は、惟景があの植物に拘った真の意味を知る。

 眩草はその全身が毒であると。

 貼り薬として使うと皮膚の痒みに効くが、口にすると苦いばかりでなく、吐き気を催し、ひきつけを起こす。量が多いと四肢が動かなくなることもあり、そのまま麻痺してしまうだけならまだ良い方で、最悪死ぬ。

 ――恵良に行ってしまったそなたの従兄。

 惟景は死を前にした者の穏やかな呼吸で、とても合わぬ言葉を紡いだ。

 ――かれの症状に、よく似ておるな?

 ――そなたの父だけが博多から戻って後、急にあの子は病を得たのだよ。そして恵良に行った途端に治った。不自由になった足だけは戻らなんだが。

 ――どういう、ことであろうな。聡いそなたなら解るか。


 どうもこうも無い。

 すべてが我が父に集束していくのだ。

 そして惟景は惟時を、自らの真の後継として教育し、持てるすべてを与えてきたのだ。

 呪いですら。

「関東にいつまでも縛られるな、ここは阿蘇の神の土地だ、東国の輩にいつまでも踏みにじらせるな。それから」

 惟景は萎びた手を、まだ十ほどの惟時の、馬や弓の稽古で肉刺のできた手に重ねた。

「大宮司の職を、正当な者に戻せ」


 体の調子が思わしくなかった鎮西の阿蘇定宗からの烏帽子親を験が悪いという理由で拒否し、惟國を怒らせてから、表向き惟時はおとなしく振る舞ってはいた。その裏で密かに惟景が遺した書状を鎌倉へ送り、執権貞時に烏帽子親の約束を取り付けた。向こうとしても御家人へ烏帽子親の立場を積極的に売っていたから、渡りに船といったところだっただろう。

 惟時の烏帽子親を執権貞時が務めるということは、幕府が惟時の後ろ盾になるということだ。

 これは惟國への牽制ともなる。鎌倉が遠いのが玉に瑕だが。

 案の定、惟國は嫡男として伴っていたはずの惟時を外し、突然直系でもない一族の惟利に譲った。

 ただ、このあたりは惟時には織り込み済みだった。真っ直ぐ惟國が自分に譲るとも思えなかった。

 惟利は惟國の気に入りでもあったから、予想の範囲内であった。

 譲与の前後から、何人か、惟國が跡目を譲りそうな人間に、社の経営や運営について師事し、徐々に仲を詰めていったのである。

 惟利が大宮司になって、惟國は惟利への安堵を求めて鎮西と関東に書状を送ったが、鎮西からも関東からも返事が戻らぬままであった。

 確かに就任してから安堵まで、だいたい半年ぐらいはかかるが、一年経っても返事が返らない。

 その間に、惟時は惟利から、自分が大宮司職にあるのはおかしいのではないか、という言質を得たのだった。

 惟利が思うのも無理はない。下野狩でも、ずっと惟國の後継者として務めてきたのは惟時だったのだから。

「心労で胃の腑が痛いのです、若殿」

 降って湧いた重責に、惟利は調子を崩していた。

「病を得れば、しかしあるいは退くことも認められるやも知れませぬ」

 これは惟時は直接言っていない。じわじわと広げた、惟時派とでも言うべき者の一人が、惟利にそう進言した。

 惟利がその決断を下したとき、跡を譲るのは本来後継者として育てられたはずの若き惟時しか思い浮かばなかった。

 惟利は惟時に譲状を書いてその旨を鎮西と関東に知らせると、青龍寺や阿蘇山の坊ではなく小国郷の満願寺に去った。

 そして今、惟時と惟種の目の前に、満願寺の別当、浄阿として居る。

「徒に馬齢を重ねてしまいました」

 そうは言うが、惟時としてはよく生きていてくれた、と思う。惟國を裏切ったのだ、北条家の息のかかった満願寺に逃がしたのは惟時だが、それでも阿蘇の目と鼻の先である。守り切れる自信など無かった。

 幸いというか、鎮西から北条の御内人みうちびとが警備に派遣されており、惟利はなんとか生き延びることができたばかりか、一族の争いから解放されたからか、胃の腑の痛みもいつの間にか消えていたらしい。怪我の功名というやつである。

「還暦の祝いがこんなもので済まぬな」

 惟時の苦笑いに、浄阿はつるりと禿頭とくとうを撫でた。

「厄落としでございますよ」

 還暦もまた厄年と言われる。生まれて干支を一周したらしい浄阿は、そう感慨深げに言った。

「坂梨の惟有はどうなさいます」

 浄阿の問いに、

「まあ、何事も手順がありましてな」

 その時、坊主の一人が足早に回廊をやって来た。

「何事か」

 声を掛けたのはやはり浄阿で、几帳の陰から、御無礼を致します、と断って、若い坊主は廊下から頭を下げた。

「下宮から早馬が参りましてございます。火急の用件とのみお聞きしておりまする」

「そのままここへ通しなさい」

 命じたのは惟時だった。


 驚いたことに、乗り手は権大宮司であった。先程の坊主はこの近辺の出身ではないようで、権大宮司の顔など知らない。裸馬で駆けてきた、水干を引っ掛けた男なので、下働きか何かと思ったのだろう。廊下にも上げずに庭を通されてきたので、足を洗う水を持って来るよう坊主に命じた。

宮廊戸くろうど魔智まちの務めの後に駆けて来てくれたか」

 神馬としての装飾を全身に纏った馬で阿蘇大明神の行幸に伴う宮廊戸魔智は、基本的に権大宮司の務めだ。行幸のあるこの五日の祭でも務めたはずだ。裸馬だったのは飾りを外しただけの馬に飛び乗ったからだろう。

「して、どうであるか」

 廊下のへりに腰掛けて足を拭いていた権大宮司に、声を低めて惟時が問う。

 権大宮司は急いで水気を拭き、廊下に上がって部屋を向いた。

「は。……先の大宮司八郎惟國殿、撤饌の粽を召し上がられたところ俄にひきつけを起こされ、手当の甲斐無く先程お隠れになられました」

権大宮司草部殿、もし見送っていただけたのなら、詳しくお聞かせ願えますかな」

 そう促したのは惟種である。

「叔父上のご様子を聞きとうござる」

 草部権大宮司の話はこうだ。

 粽は一口で行こうか、二口にしておこうか迷うような大きさであった。惟國はどうもひと息に行ったらしい。

「ですので、喉に詰まったやも知れませぬ」

 そのようには言うが、その後しばらくして祭の見物中に、やにわにひきつけを起こしたという。

「泡を吐かれて、癇の発作かとも思われましたが、気も失われ、手足も強張り……」

 手足が強張っているのに痙攣は続くというのは、地獄の苦しみであろう。

「やがて、心の臓をご様子で、お隠れになられました」

 麻痺は今際の際に、心の臓に手を添えることすら許さなかったようだ。

「…………」

 惟種は蝙蝠を広げ、口元を隠した。その肩が小刻みに震えていた。

「権大宮司殿。よう、報せてくれた。大儀であった」

 惟時は権大宮司を見据えてねぎらった。

 知ってもらいたいこともある。だが、知らぬで良いことも多分にある。

 権大宮司が退出すると、我慢がならなかったというように、惟種が噴き出した。

「……っ!ははははは!」

 萎えた方の膝を叩き、それはまさに哄笑であった。

 惟時も初めて見る、惟種の表情であった。

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