羽合せ(その三)
阿蘇の宝池を頂き火を噴く御嶽、この西に位置する往生嶽をはじめとする山々と、下野に続く裾を形作る、垂玉までの森を、すべて含めて「鷹山」と呼ぶ。
宮山の吉松神が統べ、社殿を普請する時はすべてこの鷹山から
◇◆◇
大明神が下宮楼門に御幸される祭だ。渡御祭であるので、流鏑馬が十七番、他に競馬、相撲、田楽と賑々しい。
大宮司が出す神事料で行われるが、大宮司は出仕する義務は無く、したがってこの日も大宮司惟時を見ることは無かった。
先の大宮司であった惟國が下宮に来ていたのは、宮地の東側である坂梨に隠居しているため、近所の
当然ながら、惟國は
桟敷席に通され、競馬や田楽を楽しんだ。隠居しても先の大宮司、祝の任命に口を出せる人物の覚えをよくしようという魂胆か、次々とやって来る。特に十二の祝を上り詰める入口である
大宮司の後ろ盾が得られればと、いかに己の嫡男が優秀であるかを聞かせてくれるが、その最中に同じことをしに来た他家の親子連れと角を突き合わせるのは、惟國の前では避けてほしかった。
「ぬしらはこの惟國に悪い印象を付けに来たのか」
恐縮する祝達を蝙蝠で追い払い、惟國は見逃した流鏑馬の番組に舌打ちした。
三枚の的板全てが射抜かれ、割れて落ちている。優秀な射手だ。
庶子だろうか。己も庶子であった惟國は考える。
嫡男の下で家臣として仕えるか。あるいは他に仕官先を見つけるか。このような競技で鮮やかな武技を見せるのは、見物に来ている有力者への宣伝の意味が強い。
――取って代わろうとは思わないのか。
それが惟國には不思議でならない。
己が生きている間に、父親の目の届かぬ場所で、あのような好機に恵まれるとは思わなかった。
矢はすぐに足りなくなるから、相手の矢であろうと、拾えるものは皆拾って使っていた。ゆえに賊軍の仕業と見せかけることも
壱岐の沖合で、前の船に乗っていた兄に向けて元の矢をつがえた時も、惟國の胸に去来したのは高揚感だけだった。
前大宮司惟景は見誤っている。長男だから嫡男というのは安直に過ぎる。相応しい者こそ、家を継ぐべきである。
惟國はこれまでも幾度となく、それとなくではあるが惟景に進言してきた。だが、惟景がそれを受け入れることはなかった。
夷賊の矢が惟資の背に吸い込まれる。
そう思うと惟國の胸は躍った。だが。
――大宮司職を継ぐのは惟資の子だ。それまで、この私が大宮司職に還任する。
意味が解らなかった。
壱岐から戻った時、惟景は既に大宮司職にあった。そして、子である惟國ではなく、亡兄の二歳になる子を嫡孫として指名していた。
惟國は表面的には惟景に従った。そして、年端もいかない孫を指名し、継げる年齢になるまでは惟景が還任するというのは、一度隠居が相応しいと自身で判断しているのに務まるのだろうか、と、妻の実家である坂梨に相談した。
「親父殿ももう還暦が近い。孫はようやく話しだしたばかり、元服とは言わぬが、譲与まで親父殿の身体が保つかどうか」
毒は静かに一族を巡り、蝕んだ。
惟景自身は幼児に譲ることも、己が数年程度生きることも問題にはしていなかっただろう。自身がほんの幼児で継いでいるのだから当たり前だ。
しかし、周囲はそのようには見ない。惟景が継いだ時と異なり、今は別に継がせる相手が居る。
惟景は気でも触れたか、老人ゆえにもはや正しく判断できなくなったか、という噂が立った。
さらに、惟資の子が頻繁にひきつけを起こすようになったのも、噂がより一層真実性を帯びた。
ついに、惟資の妻の実家である恵良の彌四郎が、惟資の子と妹――自身の妹を引き取る、と言い出した。
六年後の
かの職を所帯する者に於いて、先だって惟資に譲り与えたといえども、死去せしめてしまった。息子がいるが、
この譲状をもって、ようやく惟國は惟資の全てを奪った。
だからまさか、惟景が再び取り戻しに来るとは思わなかったのだ。惟國自身の嫡男を使って。
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