羽合せ(その二)

 神代にも近い昔、孝霊帝の御代九年の六月に創建されたという阿蘇社が祀る神は十二柱、その成り立ちは阿蘇の地のそこここで集落を営んでいた者達の信仰が、火を噴く御嶽を神と仰ぐ強大な阿蘇社の信仰に次第に集約されていき、中央との関わりが分かち難くなるにつれ、形を整えられたと思われる。

 複雑な成り立ちを示すように、延長五九二七年『延喜式』の神名帳に記録された阿蘇社の神は大一座・健磐龍尊たけいわたつのみこと、小二座・阿蘇比あそひ咩神めのかみおよび国造神くにつくりのかみしか無い。この家系は今の大宮司家、宇治家の祖先神が連なることになる。

 ここに阿蘇比咩神の父母として、南郷谷の夫婦神であった国龍草部吉見神夫妻が祭神に組み込まれたのは、阿蘇社の勢力が南郷谷に進出していったのと重なるのだろう。この神の直系は権大宮司である草部家となる。

 さらに下って、国龍神の子孫として、阿蘇谷にあった別の社の神々が組み込まれた。これらの神々の子孫が、上級社家である祝を出せる家、すなわち神官家および権官家の者達である。

 元来別の社であったことを思わせる祭が、下野狩のすぐ後、初巳の日から初亥の日にかけて行われる田作祭だ。

 この祭は田を作る前に歳神を祭り豊作を祈る重要な祭だが、大宮司は一切関与しない。祭も、下宮でも上宮でも行われない。一祝から五祝という上位の祝、そして天宮祝の家を一日ずつ、順に回って行われるのだ。

 社家だけではない。

 阿蘇の御嶽に霊威を見出したのは、寺も同じである。阿蘇山は宝池のすぐ西に最栄読師が神亀三七二六年に十一面観音を祀り西の巌殿いわどのと称した。それを慕い集まった衆徒が雲上山と号し三十七坊を形成し、不思議なことに山伏天台系行者真言系、両方の修験者が争いながらも集う、阿蘇山修験道の聖地でもあった。

 このように密接な場所に神社と寺があるならば、阿蘇山三十七坊が阿蘇社の神宮寺かと思えるが、実はそうではない。下宮の境内には青龍寺という神宮寺が別にあり、そこが供僧を務めていた。青龍寺と三十七坊の関係は明らかではないが、もしかしたら三十七坊から僧侶を派遣していたのかも知れない。後の記録でも、三十七坊の衆徒が阿蘇社の造営料を集めている記述が見られるものがある。

 そういう、神仏も聖俗も絡み合う、複雑かつ奇妙で一筋縄ではいかない、づら積みのような土台の上に、阿蘇社の一族は成り立っていた。

 ところで、その『延喜式』に見られた小二座のひとつ、国造神がいますのが、手野である。


 国造社――国造神は別名速瓶玉命はやみかたまのみこと、健磐龍尊と阿蘇比咩神の子とその妃である雨宮媛神、さらにその第二子高橋神と第三子宮神を祀る。崇神帝の御代に速瓶玉命は阿蘇国造に命ぜられ、景行帝十八年に勅命により国造社を建てたというから、阿蘇郷での人の歩み始めは手野にあると言って良いのかも知れない。

 下宮の北にあるので北宮とも称されるが、下宮の鬼門にあたると言って良いかも知れない。また、この二つの宮を結ぶ線を南に延ばしていくと宝池に至り、なおも南進させると南郷谷の大宮司館に至るのは偶然であろうか。

 しくもという言葉が適当かどうか、大宮司館と下宮は、上宮――御神体そのものである宝池のふたつの鬼門を守る位置にあり、さらに北宮が下宮の鬼門を封じる位置にあるということになる。

 そして実際に裏鬼門である大宮司館は西の立野から、表鬼門である北宮のある手野はさらに北の豊前からの侵入を抑える関所でもあった。

 とはいえ、強大な神の領地でもあり、さらにはしばしば洪水にも見舞われ耕作を諦める年もある阿蘇谷を積極的に欲しがる領主というのも考えにくい。いたとしても、阿蘇郷の北にあり交通の要衝でもある小国郷の土豪達も狩という祭祀に参加する氏子であり、いざとなれば合力を期待できた。

 ゆえにだろう、阿蘇谷の北郷、東郷は特段、城砦を築いて防備しようという気は高くなかった。小国郷へ続く湯浦ゆのうらと、その南の内牧うちのまき二辺塚にへんづかに砦を置くのみである。手野とはだいぶ離れている。

 ただ、それは外から考えた時の話だ。

 霊場、国府さえも跪き祈りを捧げる聖域。人々の信仰によって守られてはいるが、では、その信仰と祭祀を支える内側の祝部はふりべに対してはどうか。


 ◇◆◇


 社家が一枚岩でないことは、惟直も承知していたつもりであった。

「その辺りが、私もまだ甘いということか」

 帰る道すがら、あまりそう露骨に質問されると、小次郎も答えにくい。

「今ある所領で自分は食うてゆけるか、子供らが食うてゆけるか、を考えると、我が父も難しい顔をするやも知れませぬ。……父も兄弟も、そろそろ譲状を書いてあずかる歳にございます」

 恵良惟種の知行する土地を、嫡男とはいえ小次郎が丸々貰えはしない。何人もいる弟妹達もまた、父の裁量でそれぞれ知行地を貰うはずだ。

 そうなれば、恵良家の土地はまた細かくなる。弟妹も、知行地によってはそれだけでは満足に食えないかも知れない。

「恵良家といたしましては、できれば阿蘇郷ではない外の土地を増やしたくございますれば」

 惟直がひゅっと息を呑んだ。

「なぜだ?恵良は阿蘇社の役目を外れたいと申すのか?」

「そうではございませぬ。阿蘇郷は皆どこも社領でなくば社家の誰かの知行地で、闕所などまず出ませぬ。そういう土地は賜ってもあまり嬉しくありませぬので」

 小次郎は辺りを――高森原を見渡す。ここは南郷衆の狩の練場として指定された社領である。ここが誰の知行地になることも無い。阿蘇の山があり、阿蘇社がある限りは。

 阿蘇郷はすべての土地に定められた役割が既に割り当てられている。一族内の恩賞として使える土地は多くない。

 そう、闕所が阿蘇郷で生じるならば、社家の誰かが失脚したか、あるいは相争い敗れ追放されたことを意味する。

「残念ながら、弟妹達に我が父がやれる土地は多くはございませぬ。おそらく下の弟などは、それだけでは食うてゆけぬでしょう。阿蘇社にお仕えするにしても、狩の働きも満足にできますかどうか」

 それは惟直には及びもつかぬ現実だった。

「そうか――そうであったか」 

「某が弟妹達も皆養うてやれれば、それに越したことはございませぬが」

 惟直にも、その続きは言わなくても伝わったはずだ。

 それが叶うのは、小次郎が知行地を増やすか、恵良家が成長しない時だけだ。

 惟種が家長で、小次郎が実務に携わり、――それだけの未来永劫変わらぬ日々。

 有り得ない。

 現に惟直が小次郎に「そなたが義弟になってくれたら」と言った、それはつまり近い将来、惟直の妹が、――小次郎を拒絶しなかったとしての話だが、恵良家に嫁いでくる、食い扶持が一人は確実に増えることを意味する。

 その時は無論惟直の妹もなんらかの土地を惟時から譲られるだろうが、その後子が生まれる可能性がある。むしろ生まれて来ねば次の代が続かない。

 変わらぬわけがないのだ。

 そして惟直の妹が惟時から、猫の額ほどであろうと土地を受け継ぐことは、惟直の私領となる土地は惟時のそれと比べて単純に減るということだ。実際は社領と融通するにせよ。

 そうして、親から子へ、子から孫へ、受け継がれるにつれて土地は小さくなってゆく。

「阿蘇郷の田が、今の二倍米を穫れればな」

 惟直が苦く笑う。健軍や甲佐の社領の一枚あたり収量は阿蘇郷のそれよりも多い。

 ふと言い直した。

「いや、百姓はよくやってくれているか。ほとんど逃げ出さず、よく」

 阿蘇郷はむしろよくここを田にした、と思える土地ばかりだ。

 夏は短く、肌寒く、雨多くして土地は泥地と御嶽の吐く灰土でできている。年によっては川が溢れ水が漬く。御嶽がここを田にすることを許してくれているのが不思議なぐらいだ。

 雨や日照りは神頼みしかないが、土地を開墾し田畑とし、作物を作れるまでに持っていくのは人なのだ。

 今狩場として使うこの高森原も、つまりは開墾の手が回らないから狩場として使っているという面は否めない。それぐらい、この地は使えるようにするまでが困難だ。

「それに今は何をするにも関東幕府のお伺いが要る。社に使う木を一本切り出すことすらだ」

「しかし」

 確かに惟直の言う通りではある。社領とは名ばかり、根っこは北条が握り、社殿の修復ひとつ、今なら鎮西探題にではあるが、申し出ないと進められない。

 だが、だからこそ、恩賞ということでなく知行地を家臣に新しくやるわけにはいかないだろう。親から継いだ土地を安堵するならともかく。

 かと言って、祝になれる社家は決まっている。良い悪いではない。定められた祭司の家系のうちから、相応しい者が選ばれて順に祝を務めてゆく、それだけのことだ。

 だから、祭司の職をもって、武家としての家臣を繋ぎ留めることもできない。

「どうしたら繋ぎ留められる」

 難しいことを小次郎に訊いてくれるな、と思う。小次郎に阿蘇一族を裏切る肚など無い。

「――困窮している者達を、把握していらっしゃいますか。健軍や甲佐の者も含め」

 惟直は「本領でない者までは、手が回っていなかったな」と呟いた。

「たとえば、健軍の上島大宮司彦三郎惟幸は、先代の死に目に会えなかったゆえ、母親に無足とされて、長く鎮西に訴えてございました。先年ようやく沙汰が下りましたが、上島郷のうち家が一軒、田が何枚か、とても暮らせませぬ」

「えらく詳しいな。誰から聞いた」

「上島の彦八郎惟頼にございます。この間下野狩でご一緒した折に聞き申しました。健軍の大宮司を継ぐのに、このままでは妻も迎えられぬと」

 数年前の沙汰は惟直も目を通した。確かに、あの程度をどうせよという猫の額で、母親の尼が、本来大宮司職の納めるべき祭の扶持米を納めている始末、示しがつくつかないという点で良いとは言えない。

 惟直は溜息をつく。

「ようもまあそのようなことをつるつると……」

「お聞かせくださっても、恵良がお助けすることも適いませず」

 これは本当に、小次郎には「そんなことを相談されても」というのが正直な感想であった。継いでもいない分際で恵良の土地を寄越すわけにもいかぬし、どうせよというのだろうか。

 惟直はもう一度、これ見よがしに溜息をついた。

「どうして、そなたには皆腹を割って話すのだろうな」

 そんなことを言われても、

「……判りませぬが、若輩者だからでは?」

 小次郎は首を傾げたが、そんなことで答えがひねり出せるわけもない。というか惟頼は同年代だ。妻を貰える貰えないは、嫡男同士結構な大問題なので、愚痴を溢される分には解らないでもない。

 なぜか小次郎の馬まで一緒に首を傾げている。

「小櫻。そなたまで傾げずともよい」

 小櫻はゆっくりと瞬きし、草を食い始めた。

「ああ……」

 今度は納得したように、惟直は馬に座り直した。床の上なら膝を打っていただろう。

 重心が変わって、馬が命令されたと勘違いしたか止まる。

「ああ、済まぬ、そなたに命じたわけではない」

 紛らわしいことをした詫びに、首を軽く叩いてやる。

「鷹は鷹の好む餌で集めよ、ということか……これ以上、阿蘇郷の中には入らぬな」

 惟直は北西の御嶽を見遣った、ように見えたが、おそらく見ていたのは御嶽ではない。

「湯浦、田になると思うか」

「成して成らぬことはないと思いますが……水が多過ぎませぬか」

 名の由来でもあるのか、湯浦郷はすぐ水が漬く。郷を跨ぐ湯浦川がすぐに溢れるのだ。

 惟直は困ったように笑った。

「だが、もう、すぐにやれそうな所が無くてな。すぐに収入の望めぬ土地ばかりで済まぬが、鷹を集める」

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