羽合せ(その一)
急に決まった遠駆けなので、郎党は慌てて掻き集めたが、自分達の他に騎馬が三頭居れば、南郷衆の狩の練場でもあるし、まあ対応は可能だろうと判断した。どのみち弓もあれば太刀もある。
下野狩の前後にここも山焼きをしたので、辺りは焼け野原だったのがあちこち新芽が出て、黒地に緑の模様を縫い取ったようだ。
露払いに先頭を駆けていた小次郎は、速度を緩めると馬を返した。
「それで、若殿」
さすがに人里離れている。鹿や猪に聞かれることはあっても、通りがかりの人間に聞かれることはまず無い。
「どういった、お話にございしょうか」
「うむ」
惟直もあらかじめ決まっていたかのように、優雅に鹿毛を緩める。少し振り返り、尾いてくる郎党を手で制した。顎をしゃくって、小次郎だけもう少し尾いてくるよう促す。
小高くなった丘に登り、惟直は辺りを見渡した。
「――うむ、もうまもなく夏が来るな」
「はい」
惟直の狩衣の裾がはためく。単を重ねて色目を出しているから
「私は、そなたが
「……は、その、
小次郎はしどろもどろで頭を下げた。その話なのか。
しかしわざわざ場所を変えてまで話の続きということもあるまい。
小次郎の疑問が顔に出ていたのだろう、惟直は口の端を上げた。
「だが、そなたと妹が既に良い仲であったとしても、残念ながら今のところ、婚儀を認めるわけにもいかぬのだ」
あまりにあまりな掌返しに、さしもの小次郎も一瞬、何を言われたのか解らなかった。
◇◆◇
「――迂闊に、事を急かぬ方が、ようございましたでしょう」
大宮司館からそう離れていない久木野の寺である。田を眺めながら碁を打つのもなかなかに清々しい。鳶が地上の雲雀でも狙っているのか、広がる青の中を黒く旋回している。
囲碁の相手はいつもと変わらぬ温厚な笑顔を浮かべながら、惟時の貝石を取って自分の那智黒を置いた。昔からなかなかえげつない手を打つ。
「ああ、まさか新たにこのような時期に譲状を書いて寄越すとは思わなんだ。まったく、いつまでも目障りなことをしてくれる」
動揺を見せるのは相手の思う壺だ。表向きはあくまで表情を変えない。あくまで突破口を冷静に探る。
惟時の置いた石に、「ふむ」と相手は顎を撫でた。
「……いや、正直叔父上よりも、坂梨があまりよろしくないと思うております」
何を吹き込まれたかは知らないが、と恵良惟種は溜息を吐く。
「某が何故宇治家を出されたのか、惟有には見当もつかぬようで」
碁盤に目を向けていた惟種が、ふと顔を上げた。
「私の弟だと思うか」
「おそらくは、そうでしょうな」
そうでなければ、いくら惟景の孫とはいえ、そもそも外孫、己にとって甥の立場である者に、実の子である惟時から大宮司職をもぎ取って渡すとまで宣言するだろうか。いくら実の子と対立していようと。
「それで、さて、どのようになさいますかな」
「譲状には、『かの所に要らぬわずらいをなそうとした時』とある」
「なるほど」
惟種はふと背を伸ばし、遠くの山々を見た。
「柏村、ここは坂梨を見張るために要り用です。これは間違いない。それもあって、柏村を惟有にやる、などと言い出したのでしょう」
「ああ」
「問題は、譲状が有効かどうか――元より、阿蘇社領は既に惟利殿を経て殿に渡っている。自領であればともかく、あれは闕所の後、社領として組み込まれたはずにございましょう」
「そうだ。社領を定めた証文がある」
「最も正当なのは、鎮西探題に訴訟として持ち込むことですが」
おそらくは証文として引き継がれている分、こちらが勝つ公算は大きい、との惟種の言葉に、惟時は苦い顔をする。
「だが、家中のことだ。
惟種は目を細める。
「『かの所』は惟有本人も表している、と考えた方が良いでしょう。何をしようと手出しするな、という牽制ですな」
「む……」
「あくまで『大宮司』が、ということですが」
惟時は碁盤の黒白を見つめる。己の白で囲んだ黒石を二つ、三つと取り、白で包囲する。
惟種が碁笥からひとつ取った。
「――こうして、誰が捨て石か、気づかれぬようになさいませ」
「――あ!」
今しがた自分が打った石によって、黒石に完全に囲まれる形になったことに、今の今まで気付かなかった。
「ひい、ふう、みい……いくさ場でございましたら、完全に首を掻かれますぞ」
ぞっとするほど、完全に惟種の術中に嵌まっていた。自分の白い陣地が、鮮やかに黒く染められる。
「種明かしは五手前、ここに置いたのが、殿を見誤らせた石ですな」
恐ろしいほど完璧な討手返しであった。先の囲みが別のアタリを作り出し、もう、どこに白石を打っても、黒石による包囲網を誘うだけだ。
「……完敗にござる」
「もう宜しいのですかな」
「これ以上続けても、目の前の領地が減るだけにござる」
惟種は珍しく声に出して笑った。
「弱気なことを仰います。――ご参考になれば」
◇◆◇
「残念ながら今のところ、婚儀を認めるわけにもいかぬのだ」
「……は?」
うっかり馬を挟んだ腿の力が抜けるところだった。馬を始めた子供でもあるまいし、そう何度も馬から落ちるわけにはいかない。
いや、今先ほど、義弟になってくれたらと思うと言った口で、なにを言っているのか。
「というか、私が跡を継ぐのも怪しい」
惟直の顔は笑っていたが、何かただならぬことが大宮司職を巡って起こったのは判った。
「恵良殿のことが大好きな我が
小次郎も、その話は耳に挟んだことがあった。闕所になったのは小次郎が生まれる前のことらしいが、そんなことがあったのだ、と。それについてはどういう事情があってのことか、小次郎にその当時の状況は判らないし、訴えたところで返ってくることも無いだろう。
だが。
「柏村に大宮司が手出ししようものなら、祖父上が職一切を取り上げて又太郎にやると寄越しおった。まったく、大宮司職も収まらぬ」
惟直の言うように、話は大宮司職だけに留まるだろうか。
「柏村を、今坂梨の――いや、又太郎殿に与えるのは、いささか考え物、
惟直が意外、という風に眉を動かした。
「阿蘇社にとって、か」
「はい。柏村はご存知のように、小国郷への道筋にあり、手野の入口になりまする。坂梨は宇治家にとって目が届きにくい場所にあるゆえ、元々宇治家が十分に把握していらした我が父に与えて監視の目となさったのかも知れませぬ」
手野には手野で、風の祝がいる。だが、恵良や坂梨のように武士としての活躍を第一に期待された者ではない。宮地四面にいる社家も、武家としての役割を担っているわけではない。第一の職務は祀り事、なのだ。
「たとえば、万一坂梨が小国衆、あるいはさらに奥の豊前の者と通じようとした場合、手野がそれを察知して、すぐに大宮司に知らせることが可能でございましょうか。あるいは、目が届かぬのを良いことに、もっと
「――そういう……ことなのか……?」
惟直が息を飲んだのが、小次郎にも伝わった。
強い風がさっと吹き付ける。新緑の青い香りに混じって、焦げ跡のきな臭さも鼻を突く。
「最悪、社家同士で、社領の陣取りが始まりかねませぬ」
「いくさは」
そういう可能性は、惟直の考えにはなかったのだろう。
「一族の中に、湧くということか」
聖域を司る者達によって、聖域の取り合いが起こる可能性は。
惟直には申し訳ないが、その問いに対して答えは「是」しかない。
「最悪の場合は」
そういう意味で、惟直はまあ、そういう欲が無い。そこが神職としては信用され、好かれる部分なのだろう。
だが、それだけに、俗物の論理はおそらく解らない。
大宮司職――というより、それに付随する、火の山の祭主であることで中央にも一目置かせるその権力と、広大な社領。
惟國は、今なおその、付属物を欲し求め続けている。
「某は先の大宮司をそれほど存じませぬ。ゆえに、どれほど先の大宮司が
付随する力を欲し手に入れようとすることで、その力は弱まり、消えかねない、そんな明日のことは、欲に目が眩んだ者には見えないのか。
「野焼きとて、野火止を掘り、人の目が届く範囲で少しずつ行いまする。小火のうちに燻りまで消し止められた方が良いと存じまする」
小次郎は馬を下り、惟直の騎馬に向かって膝を突き、頭を垂れた。
「某も、その野火止となり、盾となること、惜しみませぬ」
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