罪科(その四)

 悔返、とは何か。

 いわゆる勘当であるが、親から子への相続権や嫡子権などの、家に関するすべての権利を子から剥奪し、父母から既に財産を与えられている場合は、没収して父母の元に戻すという、法によって定められた罰である。

 既に平安時代の公家においてもこの罰が行われているが、関東幕府が貞永の式目にて明確に御家人にも適用を定めた。教令違反や敵対行為などの非行を行った武家の子弟に対して、その親が幕府に執行の是非を仰ぎ、執り行ったもので、惟景の兄が食らったのもこれである。

 これによって、惟景の兄惟忠は阿蘇一族の庇護を受けられぬ、法の外の存在となった。家からも放逐されたはずだから、その後どのような生涯を送ったかは判然としない。どこかの御家人にでも仕官できれば良いが、悔返を食らうような、そもそも一度は大宮司職を継いだ者が、そう簡単に膝を折れるとも思えない。

 しかし、惟時はこの時点で、史料上判明しているだけでも十年以上大宮司に在職している。また、惟時に大宮司職を譲ったのは惟國ではなく、間に別の人間を挟んでいる。

 果たして、この惟國の譲状が、有効なものとして阿蘇一族全体に機能したかと考えると、少々疑わしいものがある。


「……柏村も、既に上様の知行地ですぞ」

 惟直は呆れたような息を吐いた。「阿蘇社領」に組み込まれているのだから当然である。

「そもそも、惟種から取り上げた理由が、惟景先の大殿の気に入りだったから、だ」

 惟時は吐き捨てる。

 確かに、惟種は惟景にとって、ある意味「気に入りの孫」であった。

 もっと言えば、惟種は惟景にとって、嫡男惟資が遺した唯一の直系の孫、嫡孫であった。

 実際、惟景は惟資の訃報を聞いて後、まだ幼い惟種に大宮司職を継がせようと試みている。が、それが叶わなかったのは、今の状況を見れば明らかだ。

 結局、惟種は惟資の妻の実家である恵良家が、母共々引き取った。惟資の息子にも拘わらず、恵良氏を名乗るのはそのためだ。

「恵良があったから、まだ惟種はこの世に居れるのだ。恵良が無ければ、惟種はもうこの世の者ではなかっただろう」

 惟國の受けた鎮西の北条家からではなく、関東幕府の執権から直々に偏諱を受けて以後、惟時に対する惟國の態度は急変した。

 その二年前、病を得ていた鎮西北条家当主定宗からの烏帽子親を断り、貞時と通じていたのが惟國の知るところとなったからである。

 惟國は惟時の嫡男としての権利を廃し、庶流の坂梨家から養子を取って惟利の名を与え、彼に大宮司職を譲った。

 惟國にとって誤算だったのは、その惟利が惟國の意図できないほど早く病を得たことと、彼が惟時の廃嫡に納得していなかったことだろう。

 惟利への譲与は、本来鎮西の北条家が補任するはずだったが、当時の当主随時は幼児、関東に補任が一任されることとなった。

 だが、関東が望んでいたのは惟時の就任、どこの馬の骨とも知れぬ惟利なる者の補任は一向に行われず、病中の惟利はその間に惟時への譲状を書いたのだった。

「本来であれば、惟種がこの職にあるべきなのだ。それを」


 ◇◆◇


 小次郎は小袖姿で敷妙の上に転がっていた。咬まれた傷から、やはり少し熱が出たのだ。大宮司家から、咬み傷によく効くらしい軟膏が届いて、それを塗りたくられたら腫れが引いて来たので、薬効は確かなのだと思う。

 ただ、熱が下がってくると脳が暇になって、とりとめもないことを考える。

 恵良は大宮司の盾だ。

 小次郎はそのように、小さい頃から育てられてきた。

 父惟種が大伯父の実子を差し置いて嫡男となった理由は知らない。ただその父にあたる人が、大宮司家の血を引いていたということぐらいだ。大宮司の親類扱いではあるが、結局母方の恵良を名乗っているので、庶子の一人だったのだろう、ぐらいに思っている。

 その盾となるべき家の人間が、主家の姫に懸想してどうするのか。阿呆か。

 何か余程の功を上げれば、殿の覚えがめでたければ、あるいは、まあ、お許しは出る、かも知れない。しかし、特に今のところたび元が攻めてくるような話も聞かない。

 となると、狩の行事で大物を狩って、あとは自領に加えて社領の自警に努めるとか、いずれにせよ「余程の功」に到達するとも思えない。

 実際のところは惟時の心には、こないだの狩の獲物で十分届いたのだが、小次郎の耳に入っていなければ、評価などされたうちには入らない。

 おまけに、間近で顔を不躾に見つめるなど、失礼極まりないことをしてしまった。犬から庇うためとはいえ、腰に手まで添えてしまった。惟直からあの場で叩き斬られなかったのが不思議なぐらいだ。


「獣に咬まれると、毒が回ると申します。早くお手当てを」


(良い、お声だった……小鳥のような)

 小次郎は寝返りを打った。

(思い描いていたより、ずっとお小さくていらした)

 手に残った感触は、とてもではないが忘れられそうにない。

 重ね着した袿の上からでも判る、男とは明らかに異なる細い体、細い腰。

 年頃の男には耐え難い記憶であった。それが恋した女であれば尚更。

 ついた溜息に籠る熱は、咬み傷のせいだけではない。


 ◇◆◇


「――実は、縁談に乗り気でなかったのは、あの祖父じじ殿がどうしても気になっておりまして」

 惟直の言葉に、惟時の眉が動いた。

 惟直は床に置いた書状から目を離さない。

「もし、今父上が私に譲与をなさったとして、あの祖父殿が、何もせぬとお思いでござりましょうか」

 書状に記された名前に、惟時も目を落とす。

『譲与 孫子又太郎惟有所』

(惟有……)

 自分のもう一人の従兄弟を思う。惟種や惟時よりはるかに遅い生まれの惟有は、祖父惟景の知らない孫だ。ようやく三十になったぐらいか。

 惟種は大宮司家を出されるときに、せめてもの形見分けとして、暮らしに困らぬようにと、惟景に私領のいくつかを譲られたのである。それを難癖をつけ、柏村を取り上げたのは惟國だ。

 恵良の元々の所領があったからそれほど痛手ではなかったとは思われるが、下宮に近く小国への道筋にあり、かつ惟有の居所坂梨にほど近い柏村は、惟景が惟種に与えた時から狙っていたのだろう。

 惟國は惟利に譲ったのち、妻の出身であり私領のある坂梨に隠居したが、それもあって惟景のあることないことを吹き込まれたであろう惟有をはじめ、坂梨の者は惟國に傾倒している者も多い。

 幼名を名乗っていた頃から坂梨で伯父に教育された惟有は、惟種との、惟景からの扱いの差に対する不満を、度々申し出てきていた。

(そもそも、生まれてもいない孫にどうやって所領を与えるのだ)

 少し考えてみれば、己が生まれた頃には祖父は墓の中だったのだから、所領を与えてもらえるわけがないのは解るはずなのだが、そのことは綺麗に無視を決め込んでいる。

(……惟有は、もはや一族の争いの種になる。切らねばならぬ)

 そして、今もなお、己に一族を意のままにする権力があると信じて疑わない父にも腹が立つ。

「惟直」

 惟時は、書状の文言に何度も目を走らせた。

「これは、私が『柏村に』要らんわずらいを成そうとした時、と読めるな」

「……はい」

 同じく文言を読み返していた惟直の返答に、怪訝そうな声色が混じる。

「では、柏村でなければ、良いということだ」

「そういうことに、なりますな」

 惟直が惟時を見た。

 惟時の視線と、かちりと合う。

 ……ややあって、惟時がふと視線を外した。

「――下宮の辺り、どうも狐が出るらしい」

「……はい」

 惟直は惟時の言わんとすることを噛み締めるように返した。

「このところ、阿蘇社にも悪さが過ぎると」

「はい」

 惟時は姿勢を正し、座り直すと、同じく向き合って座り直した惟直に命じた。

を集めよ。狩の支度だ。狐に気づかれぬようにせよ」

「はっ」

 惟直は両の拳を突き、一礼した。

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