罪科(その一)

 寿熊丸は庭に両膝をつかされている。いわゆる正座というやつである。

「なぜ、先に言わぬのじゃ」

 家から降ってくる惟時の声は大変冷静で、それがむしろ恐ろしい。

 寿熊丸の方も、まさか「その方が展開が面白そうだったから」とも言えないので黙っている。

「考えてみれば、あの場に見に行ったのはそなたであったのだから、上様にもその旨通しておけば、早かったのだな」

 惟時の斜め前に座している惟直も、今ばかりは寿熊丸を裁く側である。

 この事態を招いたのはひとえに寿熊丸自身なのだから、仕方のないことではあるが。


 ◇◆◇


 何も狩は年に一度というわけではなく、高千穂衆であるとか、小国衆であるとか、阿蘇の山から少し離れた場所の土豪衆であっても、下野狩に参じる衆はそれぞれ山の周りに狩の練習をする狩場を持っている。

 南郷衆も例に漏れず、狩場がいくつかあった。殺生を伴うので毎回狩というわけではないし、元々狩の季節は秋から冬とされているが、春夏は春夏で、それこそ恵良の司っている犬追物を開催したり、笠懸かさがけ流鏑馬やぶさめなど、腕を磨き競う催しをたびたび行って、腕がなまらぬようにしていた。

 今回はその犬追物である。下野狩で宗戸、ゆん馬手めてと三組に分かれるのと同様、三組が弓馬きゅうばの腕を競い合う。

 とはいえ、そう珍しい催しではない。

 だが、惟直は月末のこれを見物に行こうと思った。南郷衆の馬場は二本木館から近いし、なにより外に出る言い訳が建つ。

「兄上、父上はを垂らせと仰せです」

「そんなもの垂らしておればあっという間に誰か判るだろう、うちきをかづいておれば良い」

 惟直の言葉に、壺折姿の娘は膨れる。そんな顔を見ているとまだまだ子供だ。

 笠からからむしを垂らして顔を隠しても良いのだが、基本的に身分のある女がやることだから、惟直が連れていれば、見れば誰か見当がつくだろう。惟直としては、袿をかづいてもらって正体が判り難い方がありがたい。

 惟直も弟も、それから嫁いだ姉姫もそこまで特徴的ではないのだが、特に二の姫は色が薄かった。

 肌は良い。特に女の色白は好まれる。顔立ちも悪くない。むしろ身内の贔屓目無しでも、美しい方ではなかろうか。目の色も、惟直以上に薄い色だが、部屋で見る分にはそう判らないだろう。

 だが、髪は射干玉ぬばたまの黒、丈夫で真っ直ぐな、光沢のあるものが好まれる世にあって、これもまた色が薄かった。

 陽の光の元で見ると、馬で言うと河原毛のようだ。質も柔らかく、細い。長いからまだ落ち着いてみえるものの、まだ長さの無い子供の頃はうねって所々跳ねていた。

 妹がその髪を一番厭うていることを、惟直も、もちろん父の惟時も知っていた。

 学問の好きな、優秀な姫だ。

 髪をきつく結い烏帽子に仕舞い込め、海綿のように吸収した学問を活かせる男として生きられたら良かったのかも知れない。しかし、その賢さは一族の立場も、自分の立場もしっかりと弁えていた。

 惟時が小次郎に添わせることを考えていると知ったとき、そうなれば有り難い、と惟直は思ったのだ。

 自分が遠くない時に大宮司に立った時、武と、智と、両翼として支えてくれたら。

 表に立つことは許されずとも、夫と共に、兄を支える存在になってくれたら。

 二の姫が「言うことを聞かぬと父上が仰せになったら、叱られるのは兄上にお願い致します」と、頭からもう一枚袿をかづいて現れた。

「もう、しっかり良い娘ぶりだな」

「褒めても何も起こりませぬよ」

 袿に隠されて、妹の厭う髪がすっかり見えないことに安堵し、惟直は世間一般の目に囚われ過ぎた自分も良くない、と思い直した。


「若殿。いらしたのですか」

 妹を郎党に預けて小次郎を探すと、彼は馬場に放つ犬達のそれぞれを撫でてやっていた。犬の方もそれを嬉しがっているようで、我も我もと尾を千切れるほど振り回しては腰の辺りで跳ねまわり、待ちきれずに跳びかかっているやんちゃもいる。

 一口に犬追物の犬というが、馬場に出されるのは十ずつとはいえ、射手を交代しながら十五回、その数は百五十に及ぶ。顔に傷のある狩装束の男が、茶色・黒・白・ぶち・公家眉、さまざまな犬に揉みくちゃにされている光景はなかなか興味深かった。

(これを妹に見せた方が、好感度が高かったやも知れん)

 振り分け髪に眉毛の公家みたいな犬を背中に負った小次郎は、何ら問題ないと言わんばかりにそのまま足許の犬を掻き分けてきた。

「射手をなさいますか」

「いや、今日は見物だ。連れがいるのでな。それにしてもこれでそなた、射手ができるのか」

 今まで射手を務めることは何度もあったのだから、務まるのだろうが、これでは情を湧かすなという方が無理ではないだろうか。

 小次郎はふと真顔になった。真っ直ぐに惟直を見て、

「射つべき時には、躊躇なく射ちまする」

 ――何を、だ。

 自分が射られたような、そんな気すらした。

 小次郎は子供でも負ぶうように、背中の犬を背負い直すと、

「――まあやはり、これだけ慕ってくれる者は、たとえ犬射いぬうち引目でも哀れと思いまする。骨を折ることもございますし、臓腑が傷ついて、やはり死に至らしめてしまうこともございます」

 幸い、今日は検見審判だ、と言う。

「幸い、なのだな」

「さすがに、己が世話した犬は、射にくうございます」

 惟直は胸を撫で下ろした。

 やはり、この男の動機は、情、なのだと思う。

 それだけに、例の、話をしたことも無い佐保姫とやらに向ける、小次郎の情のこわさがどれほどなのか気にはなった。


「残念ながら本日は検見けみをするようだが」

 そう断って、桟敷に案内されていた妹に、小次郎の格好を伝える。

「射篭手を着けておらぬから、まあ判るだろう」

「犬追物を見るのではなく、検見を見てどうするのです?」

 姫は首を傾げる。それはそうだろう。射手を見ずに審判を見てどうするのか。

 惟直はふと考えて、幼名を挙げてみた。

将熊のぶくま丸は知っているか」

 言ってみてから、もしかしたら赤ん坊の頃しか会ったことが無かったかも知れない、と思う。男同士で近い年なら遊びもするが、姫ともなると早々に帳の奥に隠されてしまう。よちよち歩きの頃ならともかく。

 案の定、姫は「どちら様ですか」という顔で、首を傾げたままだ。

「知らぬわな。……兄の友人だが、嫁を探す前に顔に怪我を負うてしまった。これではどこの家が相手でも、娘が怖がってしまうかも知れぬゆえ、ちとそなたに問題ないか感想を聞きたい」

 怪我の具合を示すため、惟直は顔の前で大きく一文字を描いた。姫が目を丸くする。

「そんな大怪我をなさって、阿蘇郷のどこかに凶悪な野盗でも出たのですか」

「……ああ、そんなところだ」

 惟直はそういうことにした。どこかの女に一目惚れしてよそ見したのが原因とは言えない。万一妹と小次郎の縁談が進んだ場合は、小次郎には墓に入るまでそういうことにしておいてもらわねばならない。本人のためである。

 奉行役の恵良惟種らが入る。大宮司職を譲ることを考えている惟時よりも年嵩だから、さっさと嫡男に嫁を取って譲りたいところだろう。

 馬場奉行が準備に抜かりが無いか確認し、犬放しが十匹の犬を連れて竹囲みの中に入る。雰囲気を感じ取るのか、犬達は先程小次郎にじゃれていたのとはまったく異なる表情で耳を伏せ、尾も緊張で立てたままだ。怯えて遠吠えするものが居ないのが不思議なくらいだ。

 射手奉行の命で、最初の騎馬らが乗り入れ、射場となる、山砂を撒いて色を違えた円形の馬場の周りに控えた。

 犬は円形の中心に繋がれ、合図と共に綱を切って放たれる。色違いの円の中には大縄が同心円を描いており、その縄を越えた犬を、射場を出ないように馬を操った射手が射るのである。

 犬追物が始まる。

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