狩の名手、うちつけに射られたる話(その三)

「内々のお話と伺いましたが、おもてで良いのですかな」

 海松みる色の直垂を着たその初老の男は、そう言うとおもての雨戸を開け放した縁に腰をかけた。

「なに、大丈夫だろう。呼びつけて済まぬな」

 館の奥から円座わろうだをふたつ手にぶら下げてやって来た惟時は、片方を床に放り、もう片方で来訪者の尻の下を突く。来訪者が腰を上げると、床との間に滑り込ませた。

「呼び出されたのは、さてはこないだは神事にも拘らずせがれが不調法を致しました。その節はまことに申し訳ございませぬ」

 隣に座った惟時に、深く頭を下げる。

 惟時は手で押し留めた。

「ああ、いや、そちらではないのだ。むしろその後具合が悪くなっておらぬか。八郎惟直も様子を見に行ったようだが」

「お陰様で、丈夫に生まれついたようで、顔以外はぴんぴんしておりまする。かたじけない」

 恵良惟種は再度、深く頭を下げた。

「枝で深く傷がいったようだな。破傷風にならぬよう、よくよく気をつけよ」

 下女が白湯を運んできたのを、軽く手を挙げて労い、下がらせる。

「よう洗い流したようですが、こればかりは運ですな」

「残りそうか」

 惟種は湯呑を取り、口を付けた。

「あれは残りましょう。なに、男ゆえ、いくさ場で箔が付きまする」

 惟種の事も無げな顔に、むしろ惟時の口の端が歪んだ。

「いつまでも気に病むな。だいいち、そなたの責ではない」

「ですが、やはり、考えるほどに、疑いは深まる一方でございます」

 誰か見る者がいれば、主従があべこべに見えただろう。

 両手を床に突き、頭を下げたのは惟時の方だった。

 立烏帽子の惟時が、風折烏帽子の惟種に臣従を誓うような、そんな奇妙な姿であった。


 ◇◆◇


 弘安四年、七月――

 阿蘇三社前大宮司・惟景の元へもたらされたのは、恐るべき知らせであった。

 三月に職を譲り、関東幕府からの補任を待つばかりだった嫡子惟資これすけが、元軍と壱岐島にて交戦、元の兵を何人か討ち取ったものの、自らも落命したというのだ。

「惟資……!」

 もう一人の息子、惟資の弟惟國の送り出した早馬からの書状を受け取った惟景は膝から崩れ落ち、落涙した。

 改元の年に妻を迎え、初めての子、惟景にとっても初めての孫が二歳を迎えたばかりの、有望な嫡男だったのだ。


 ◇◆◇


「――ご年齢を考えても、大殿をいくさに送るわけにはいかぬでしょう。まして当主の立場で」

 惟種は静かに白湯を啜る。

「だが、補任前とはいえ、伯父上が出る必要は無かったはずです。我が父が名代を」

 その先を、惟時が口にすることは無かった。

 惟種が、惟時の膝を強く叩いたからだ。

「その先、決して口にしてはならぬ。もしもの話は、時に命取りになる。ましてここは」

 惟時は大きく息を吸った。やがて、肺腑からすべての息を出してしまうかと思うほど、長く息をつく。

「――はい」

 惟時の膝に置かれた惟種の手が、ぽんぽんとあやすように叩かれ、そしてするりと袖の中に仕舞われた。

「それで、どのようなご用件でしたかな」

 惟時は顔を上げる。

 三歳年上の従兄弟は、変わらず柔和な微笑みを浮かべていた。


 この話の方がむしろ、従兄弟の顔を難しくさせるとは思っていなかった。

 惟時は、まるで今の話で烏帽子が重くなった、と言わんばかりの、扇で額を支え出した惟種を窺った。

「良い話だと思うのだが」

「いや、別に悪いことではございませぬ。むしろ倅には過ぎた話と存じます」

「あの狩の腕前、申し分ない。褒賞としても十分だと思うが、まさか誰か話が進んでいるのか」

 確認が後になってしまったのだからあり得る話だが、その可能性を惟時は失念していた。

 惟種の嫡男の縁談が、既に進行している可能性である。

 だが、惟種はかぶりを振った。

「いえ、若殿がまだでございますので、そこまで性急に進めることも憚られまして」

 では、惟時は「嫁取りに関してだけは不肖」の息子のお陰で、命拾いしたということである。

「八郎のことは私も一層力を入れて仲人と話を進めよう。ゆえ、あやつは気にしないでおくれ」

 惟直が聞いたら不服な顔になるだろうが、構っている場合ではなかった。

「それとも、今来ておる仲人話の中で、考えている話があるのか」

 頼むからそこに参戦させてくれと言わんばかりの顔をしていただろう、と惟時は、後でこの会話を思い出して恥じることになる。

 惟種は、来ておらぬことはございませぬ、と曖昧な言い方をした。

「どこだ。高森か。竹崎か。それとも二子石か」

 対抗馬になりそうな娘がいた覚えのある家臣を挙げてみる。

 惟種は特にそれに答えることは無かった。代わりに、

「狩の日以来いくつか仲人役からお声掛けいただきましたが、返事は今のところ、どのお家からもお待ちいただいておりまする。待てなければ捨て置いていただいて良いと」

「なぜだ」

 嫡男の縁組は家の重要事だ。それなのに、声を掛けてくれた家を待たせるなど、普通は考えにくい。

 惟種は微笑んだ。

「小次郎は一途で真っ直ぐな気性でございます。一族のためには申し分無いとは存じますが、今まさに少々、裏目に出ておりましてな」

 惟種の言葉は、惟時を困惑させた。

「倅はどうやら、あの狩の日にいずこかの姫に心を射られて落馬してございます」


 恵良の家で様子をご覧になりますか、と言われたのはいいが、陰からひっそり、というのはどうもこう、一族宗家の当主として、大宮司としてどうなのかとは思った。

 小次郎は馬の訓練をして、そのまま手入れに行った、と下男が言うので、惟種に続いて、郎党や下男たちが世話をする犬小屋の脇を通り厩に足を向ける。

「ここの犬小屋は、犬追物に出たことのある犬らの小屋でございます」

 犬追物に一度出された犬は、まず二度と出ることはない。鏃ではなく刺さることのないタンポの矢とはいえ、騎馬の集団に追い回され矢を射かけられるという恐怖を一度味わうと、人を見るだけで怯え切ってしまう。面倒を見るのも大変なのだが、

「犬追物に出すことはもはやございませぬが、狩の勢子役ぐらいは務めることができるようになる犬もございます」

 辛抱強く、犬の信を回復する、のだという。

「時には怯える犬を抱きかかえて小屋で寝ることもあり申す。なかなか難しく、時間もかかり申しますが、倅が」

「小次郎がか?」

 始めました、と惟種は頷いた。

「畜生もまた、我が先祖かも知れませぬしな」

 そういえば、惟時に近いあたりにも、畜生道に落ちていそうなのが一人いたのだった。祖父惟景の兄は大宮司職を譲られるところまで行っておきながら、何をやらかしたものか非行を咎められて悔返くいがえしを受けたのである。

 その前の大宮司は復位できる状況でなかったのか、仔細は判然としないが、元服もままならないほんの幼児であった祖父が継ぐことになったのだった。さすがに関東は赤子に毛の生えたような年少者が継いだのが気に食わなかったようで、社領は安堵したものの、元服するまでは十年経っても祖父を大宮司と呼ぶことはなかった。そういう腹の立つ御教書は全部取ってある。

 あの犬の中に、大伯父が混じっているのかも知れない、と思うと複雑だが、自分が目を付けた若者がその世話をしていてくれるのは供養になってありがたい。

「信心深いのか」

「いや、たぶん世話をする方便でしょうな。犬も大事に致しますが、犬に限った話でもございませぬ」

 性根が元々世話焼きのようだ。

 惟種は厩を覗き、すぐに頭を引っ込めた。

「ああ、おりますな。ここからの方が素がご覧いただけましょう」

 厩の入口で覗き見のような格好を促された。

「直に話を聞けばよいではないか」

「急に殿が直に話をして、素直にお答えなど致しませぬ」

 御嫡男は好いた姫がいらしたら殿にご相談なさるのですか、と逆に問われて惟時は押し黙った。いるなら、家柄によっては話を進めるから申告してほしいところである。

 小次郎は寝藁を拾って、馬を擦ってやっていた。大きな瘡蓋かさぶたが顔を真一文字に横切っている。さすがにあれは残るだろう。

 惟種の話を聞く分には、普通の親であれば優良物件だと勧めそうな気性だと惟時には思えるのだが、このご時世のことで、また腐っても武家の前に社家である。見目は見目で気にする者は多い。

(戦傷でないとはいえ、顔にあんな大傷をこさえた婿と縁組など言い出したら、怖がるだろうか)

 だしぬけに、惟直の言葉が蘇った。


「姫にも、修羅の時代の覚悟を抱いてもらっても、悪くはありますまい」


 そういえば、惟時も蒙古の二度目の襲来の後に生まれたのであった。狩は行い、荘園によっては野盗が地頭の手を煩わせるものの、真の意味でいくさなど、鎮西九州ではもう干支が一巡りしそうなほど起こっていない。

 何かを暗示しているのかも知れない。あるいは、蒙古が三度目の遠征を行ってくるとか、あるいは関東が企てる高麗侵攻が実現するのか。あるいは。

 小次郎は親と主君に気づくことなく、馬を満遍なく擦ってやると、首を叩いてやり、そして話しかけた。

「そなたもあのお美しいお顔を見たろう。忘れねばならぬと思うても、俺は佐保の君を忘れられそうにない」

 馬に向かって溜息などついている。

 惟時は惟種にだけ聞こえるような低めた声で訊いた。

「名が判っておるのか。佐保とはどこの姫だ」

「近隣の姫に、そんな名を晒している姫がおりましたかな」

 仲人話でも、恵良であればまず、持ってこられる縁談は少なくとも地頭職を務める家のはずだ。相手の姫の名を晒して持ってくるようなはしたない真似はまずするまい。

 その辺の田舎娘であれば話は別だが、あの言葉から考えると、どうやら柏木の如く、偶然に顔を垣間見たのだ。口調から察するに良くて同格、おそらく小次郎は相手を上の身分と考えている。


 ◇◆◇


「父上。それは便宜上の名です。そのような名であることはまずござりませぬ」

 惟直は惟直で、小次郎の恋を聞いていたようだ。

 酒を汲みながら、佐保という姫に心当たりがあるかと問えば、返ってきたのがそれである。狩の時の撤饌てっせんがあるから、しばらく良い諸白もろはくがある。

「兼盛卿の歌に、『佐保姫の糸染め掛くる青柳を』というのがあるでしょう。あまりの美しさで、女神と思うたようです」

 大和の女神に喩えるとは、実は和歌も嗜むのかと思いきや、手習いで出てきた覚えがある、という。覚えているだけでも大したものではあるが、特に雅な趣味があるわけでもなさそうだ。二の姫には、もしかすると退屈な男かも知れない。狩を観に来るぐらいだから、まあそちらで話が合うかも知れないが。

「小次郎がいかが致しましたか」

「患うておると思うか」

 それぞれの土器かわらけにとろりとした薄黄の諸白を注ぎながら、惟直は食い気味に頷いた。

「患いついて、今が一番酷い時でしょうな」

 そう見えるか、と惟時は腕を組んだ。

「気になるところがおありで」

「いや、二の姫の嫁ぎ先に恵良をどうかと思うたのだが」

 惟時の土器から酒が溢れた。

「もったいない」

 注いでいたのは惟直のくせに、まるで今の惟時の発言が悪いとでも言わんばかりだ。

「そなたにとっても、悪い話ではないと思うのだが」

 惟直の口の端に笑みが浮かんだ。

「私としても、小次郎がまことに弟になってくれるなら、こんなに嬉しいことはございませぬ。――幼馴染で、まことの弟のように思うておりますし」

 それだけではないのは、二人とも承知の上である。

 忠義者の家臣を縁者として、次期大宮司に縛るのだ。

 問題は他の姫への恋患いをどうにか止めてもらいたいところだが、

「こればかりは、急ぐのであれば、その佐保姫が手の届かぬ天上の花と、思い知ってもらうより他ありますまい」

「そなた、佐保姫とやらに心当たりがあるのか」

「困ったことに、手掛かりが『美しい』ということばかりでございまして」

「それではわからんではないか」

 惟時が切り捨てるように酒を呷ると、

「しかし、それ無くしてどうにかして二の姫に乗り換えてもらえますか。それも、例えばどこかで見せる機会を作ったとして、簡単に二の姫に目移りするような男は父上も願い下げでしょう」

 確かに、そういう浮気性では、娘の仕合わせを考えると二の足を踏むところであった。が。

 惟時は頭を抱える。

 そういう男ではございませぬが、と惟直は結んだ。

「あと、我が妹はあの傷でひるみませぬかな」

「見たか」

 惟直も、やはりそこが気になっていたようだ。なにしろ顔の真ん中であるから、隠しようもない。

「戦化粧でも隠せませぬよ、あんな大きなものは。いざ顔を合わせて姫にいやだなどと申させては、小次郎も気の毒でしょう。見せて、顔を窺ってからの方が、姫としても、小次郎の方にも、お互い良いのでは」


 事態は意外なところから急転することとなった。

 佐保姫とやらはひとまず横に置き、南郷勢の狩の訓練を見せに、というよりは顔に大傷のある男の見物に、二の姫を惟直が連れ出したのである。いざという時のためだった。

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