第十三話 染み付いた恐怖
「早く買って帰らなきゃ……」
宿から飛び出した私は、ギルドへと向かって駆け出した。
白金貨を商店で使おうとしても、恐らくほとんどが私の時と同じようにお釣りが払えないと言われてしまう。そのため、一度ギルドで金貨に替えてもらった方が店側として都合がいいのだ。
「ちゃんと買い物するの、久しぶりかも」
以前、父と一緒に過ごしていた時。まだ記憶に新しい半年前のその日が恐らく最後となる買い物だろう。それからはギルドに張り出されている雑用依頼で最低限の食費を稼いでばかりの日々だった。
「……お父さん」
ブンブンと首を左右に振る。考えるほどに辛くなるから、その記憶を思い出さないように。
「大丈夫、もう泣かないって決めたから」
ノーラさまから頂いた白金貨を強く握りしめる。気休めかもしれないが、少し……ほんの少しだけ気持ちが軽くなった気がした。
そうしてギルドへ近づくにつれ、人通りも多くなってくる。この街自体の治安は悪くないが、やはり良い人ばかりとも限らない。相手が私のような子供なら尚更だ。そういった
……しかし、それが不注意だった。
俯きながらに歩いていたため、正面から歩いてきていた人に気付かずぶつかってしまった。
「あっ、ご……ごめんなさい!」
私は相手の顔も見ずに頭を下げる。
「ちっ……。邪魔なんだよガキが、さっさと……ん? お前どっかで……」
聞こえてくる声は男のものだった。彼の言葉に、私はゆっくりと視線をうえに上げていく……。
「……ぇ」
彼の顔を目にした瞬間、まるで凍り付いたかのように身体を動かすことが出来なくなった。掠れたような声が口から漏れる。男は私を暫く見つめると、思い出したように口を開く。
「あぁ、お前あの宿にいたガキじゃねーか。てっきりもう死んだもんだと思って気付かなかったぜ」
気味の悪い笑みを浮かべる男。あの時と同じ、頭に焼き付いて離れない、その嫌な顔を思い出す。
「金もねーのに何うろついてんだよ。まさか、珍しく客でも来たか? あんなクソボロい宿によぉ! 」
周囲の人々はその場を避けるようにして離れていき、私と男以外には誰も居なくなった。
「いや……ぁ、……」
手のひらに握っていた硬貨が滑り落ち、地面に転がる。拾いたくても、身体が動いてくれなかった。
「あ? ……これ、白金貨じゃねえか! 」
それを拾い上げた男は物珍しそうに白金貨を眺める。
「へへ、こいつはラッキーだぜ! どこで盗んできたのか知らねぇが、これは俺が預かっといてやるよ。」
「か、かえして……っ」
必死に絞り出した声だった。上手く喋る事すらできない。けれど……ノーラさまから頂いた物を、この人に触られたくない。こんな人に使われることだけは許せなかった。
恐怖に
「最初からお前のもんじゃねーだろ? だったら、俺がこれをどうしようと関係ないよなぁ!」
「うっ……」
「いいか? この世界ではな、強いやつが上に立つんだ。お前みたいな弱虫のガキが俺に歯向かうなんざ、生意気にも程があるんだよ!」
私の腹に何度も蹴りを入れてくる。痛くて、怖くて、抵抗することすら出来なくなった。ただ体を縮めて、少しでも痛みを抑える事しかできない。
「無様だなぁ。いっそあの時、大好きな親父と一緒に死んでおけば良かったんじゃねえか?」
もう、男の声すら聞こえなくなっていく。悲しくて、辛くて、どろどろとした感情に潰れてしまいそうだ。
「お………とう……さん……」
「……ふん。そんなに会いたきゃ、さっさとくたばっちまえばいいのによ」
男はその場を離れて行く。一人残された私は、腹部の痛みでしばらく立つことができなかった。
「……ぅ、うぅ……っ」
心の中で、私はノーラさまに謝り続ける。貰ったものを奪われてしまったこと、何も出来なかったこと。
「ごめん……なさ……ぃ………」
◆
レナが宿を出てから数時間が経った。
時刻は昼を過ぎた頃、それでも未だにレナは帰ってきていない。
「……さすがに遅くないか?」
確かに宿から街中へ向かうまでの道のりは複雑だが、ここに住んでいるレナが迷う事はないだろう。店からの距離もそこまで遠いという訳でもない。
( もしかして、何かあったのか?)
そうして不信感を抱き始めていた時、部屋の外から扉の開く音が聞こえた。
「……レナ? 帰ってきたの?」
恐らく大量に買い込んだせいで、荷物を持って帰るのに苦労したのだろう、俺は部屋を出て玄関へと向かった。
しかし、そこには数時間前まで元気に笑っていた彼女の姿は無く、腹部を押さえつつボロボロになったレナが立っていた。
「なっ……レナ!」
俺の姿を確認した途端、レナはその場に倒れ込んだ。慌てて傍に駆け寄ると、レナは小刻みに身体を震わせていた。
「ノーラ、さま……ごめんなさい、私……」
顔は涙でぐしゃぐしゃになっているが、よく見ると殴られたような痣が見えた。その姿を目に、俺の頭の中は真っ白に染まっていく。
「と、とにかく傷の手当を……!」
何か傷を治すものはないかと、咄嗟にウィンドウを開いてアイテムの中身を探った。すると、中には俺がリバホプで回復薬として使っていた "ポーション" が数多く入っている。その中の "上級ポーション" を選択すると、小瓶が俺の手元に現れた。
「効くか分からないけど……飲んで!」
正直、これで治るなんて保証はない。だが……お金や武器だって問題なく使えたんだ。それならポーションだって使えるはずだ。それに、今は迷っている余裕もない。蓋を開けると、ゆっくりと小瓶の中身をレナの口に注いでいく。むせないように飲み込むのを待ちながら、飲み干すまで繰り返した。
すると、レナの身体から徐々に痣や傷跡が消えていくのが分かる、見た感じだと残る外傷も無さそうだ。
「ん……。……あれ? 痛みが無くなって……」
「ほんと……? 大丈夫なの?」
「は、はい……! もう痛くないですっ」
先程より顔色が良くなったレナを見て、俺は安堵したようにため息を零した。
「……レナ、一体なにがあったの?」
転んだ程度ではあんな風にはならないだろう。まるで、何者かに襲われたかのような傷つき方だった。
「それは……」
レナは口ごもる。……いや、恐怖でうまく言葉にできないという感じにも見える。
「言いたくない事なら、無理に話さなくてもいい」
もしかすると、
「……元々、私はお父さんと二人で暮らしていたんです。その時はもう少し、宿も綺麗だったんですけど」
なるほど、やはり元々は親が居たんだな。こんな小さい子が一人で宿を経営してるのはおかしいと、薄々は気付いていたが……。
「ですが……半年前、数人のお客さまが来店して……それ、で……お父さんは………」
「……レナ」
俺は優しくレナの手を握った。無理しなくていいと、目で訴えるように。
「……来店されたお客さまは、冒険者の方々でした。最初から泊まる気がなかったみたいで、宿の中をめちゃくちゃにしたあと……私を連れ去ろうとしたんです」
冒険者……。そこで俺はギルドでの出来事を思い出してしまう。やはりそういう奴は多いんだろうな。
「その時、お父さんが止めてくれて……。家具も財産も差し出して、私を助けれくれたんです。……でも、それじゃ足りないと痺れを切らした男の一人が、……お父さんを斬りつけたんです」
レナは身体を震わせる。思い出しなくもない事を思い出させてしまったのだろう。
「……そんなことが、あったのか」
今更、俺が何かをしたところで過去は変えられない。……けれど、どうしようもなく悔しい感情が込み上げてくる。
「さっき、その男の一人に見つかって……。ごめんなさい、ノーラさまにもらった白金貨を奪われちゃって……」
涙を零しながらに、レナは何度も俺に謝ってくる。
「そんなの、気にする必要ないよ」
「ノーラさま……」
必死に怒りを抑える。今俺が怒りを顕にしたところで、かえってレナを不安にさせてしまうだけだ。
「話してくれてありがとう。痛みが無くなったとは言え、身体には負担が掛かってるはずだから。しばらくは寝てた方がいい」
「……ごめんなさい、ノーラさま」
優しくレナの頭を撫でてやる。こんな小さな子に、何度も謝らせたくなんてない。
「私は少し出掛けて来るから、ちゃんと安静にしておくんだよ」
「は、はい……。あの、どちらに……?」
レナは不安な表情で俺を見つめた。
「食べ物を買ってくるだけだよ、さすがにお腹空いてきちゃったからね。レナの分も買ってくるから、待ってて」
笑顔を向けて答えると、俺は扉を開けて宿を出た。
ウィンドウからマップを開いて見つめる。手掛かりでもいい。レナの言っていた男を、そいつの居場所が知りたい。
〘 スキル【
そのテキストが表示されたあと、マップには幾つかの赤い点が一箇所に集まっている様子が映し出された。
( なるほど、充分すぎる手掛かりだ )
「───行くか」
俺はマップに集まる赤い点の場所へ向かって行った。
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