第18話

 千ちゃんが、どこからか拳銃四丁と弾、双眼鏡と車二台を、キョウさんがSUA警備部四名分のサービスコードと変わった小さな鉛色のボンベを人数分手に入れてきた。そのボンベは笑気ガスという催眠ガスがはいっているらしい。俺はいつ使うのかわからないが、とりあえず使い方だけ千ちゃんに教わった。資金源はおれのなけなしの貯金をはたいた。失敗したら死んでしまおうと心に決めていたので、別に大したことは無い。ここ最近夜眠れず、実行まで体力が持つかわからなかった。おれの精神的な狼狽をよそに、キョウさんたちは計画を着々と進めていった。千ちゃんは犯罪の準備を楽しんでさえいるようだ。彼は息子が生まれたてだというのに、家族そっちのけで仕事後もおれたちとつるんでいた。当初彼の家族が不憫で罪悪感を抱いていたのだが、彼が家族を大切にしたらしたで、おれは彼にいらついただろう。

 拳銃を一回撃っといた方がいいとキョウさんが言った。

 四人で富士の樹海まで車を飛ばして練習に出かけた。半ばレジャーの気分だったが、いざ撃ってみると拳銃の取り扱いは老人には難しく、一日やそこらでは付け焼刃もいいところだった。まともに撃てるのは、キョウさんと、若くて神経の太いシュウちゃんだった。今思えば、富士の樹海とはいえ自衛軍が演習している可能性もあったので、見つかったら相当やばかったのだが、四人とも誘拐を前に高揚しすぎて、少々のリスクなどは意にも介さないようになっていた。三十発ほど撃ったが、いざ人を目の前にしたらどうかわからない。むしろ失敗したときに速やかに自殺するために使用する可能性が高い。拳銃を撃って高揚しすぎた精神は疲れ切っていた。準備をしている最中、おれはまるで酒でも飲んでいるかの如く情緒不安定だった。もう後戻りできないという不安と、こんなことやめて早いこと死んでしまいたいという考えが一人になると頭の中にリフレインした。そんなときは本当に酒を飲み寝てしまうのがベストだ。


 キョウさんが警視庁の刑事課に対して、ギガストラクチャーに二つある空港に爆弾を仕掛けたと、適当なイスラム原理主義の団体名義で脅迫動画を送り付けた。本物の脅迫動画を刑事時代に見たことがあるらしく、それらしい恰好をそろえて動画を取り出したときは、なにが始まるのかとおもったが、とてもリアルなものができあがった。youtubeに落ちている日本人の人質に取ったイスラム過激派の猿まねだ。顔は眼出し帽で隠し、無個性な服装と本物のC4爆弾を持って、紙芝居のようにアラビア語で書かれた紙を持ち、「この爆弾をアッラーの名のもとに新品川空港と新羽田空港に仕掛ける」と書いて動画を撮影した。 出来上がった動画は稚拙そのものだったが、効果が無くてもいいんだ、とキョウさんがあまり興味なさそうに言っていた。キョウさんはもしかしたら、過去の職場である警察をからかってみたかっただけかもしれない、とおもった。

 俺は淡々と三人が準備を進めているのを見ていると、急にこわくなってきた。このままうまくいってしまえば、俺は彼らを犯罪者にしてしまう。

 俺たちは失敗した方がいいのだ、と考えるようになってしまった。

 そのため、三人には内緒で、フライング気味に脅迫文を日栄社長に送った。これで社長の警備が厳重になれば、俺達は計画あきらめざるを得ないだろう、と考えた。もしかしたら、社長はあの忌まわしいマイクロマシンについて自分からマスコミに暴露するかもしれない、という淡い期待もあった。だが、社長は無反応だった。


 富士の樹海で銃を撃っていた時の高揚感は去り、今実際に社長を拉致しに行くのに、おれの心中は恐ろしく冷めきっている。皆、きっと誘拐なんて無理だ、という結論に達するだろうと読んでいた。キョウさんは仕切りに情報端末を叩いて当日の絵図を考えている。警察の捜査をごまかすために極限まで知恵を絞ってくれている。彼の動機はどこから来るのか俺にはわからない。シュウちゃんと千ちゃんもいつも通りの死んだ眼で淡々と犯行の準備を行う。仕事の時と同じ顔だ。俺が一番のお荷物だ。

「いいんだよ、喜多さんは社長と会ってからが本番さ」

 おれが考え事をしている様子を察してキョウさんが言った。

「そうだよ、なるべく警察沙汰にはしたくない、穏便に金だけもらえるに越したことないんだから」千ちゃんが口を挟む。

「金を手にしたとしても、高いサービスコードを買ってしまったらさすがに怪しいよなぁ」

「そうなったら海外に高飛びさ、東南アジアあたりで余生を過ごそう」おれは思ってもいない事を言ってしまった。後の事なんて全く考えていなかったくせに。

「いいな、美人が多い国がいいからベネズエラなんてどう」千ちゃんが言う。

「ベネズエラって東南アジアだっけ」とシュウちゃんに尋ねるキョウさん。シュウちゃんも知らない、と小首をかしげる。

「おまえらはアホだなぁ、でもこんくらいアホな奴の方が一緒にいて楽しいよ、ありがとうな、おれのいい加減な思い付きに付き合ってくれて」

「おれは金が欲しいだけだよ、でもそうだなあ、こんな楽しいことは初めてだよ、まるで自分が特別な人間じゃないかと勘違いしてしまうほどだ」千ちゃんは明るいが時折卑屈な事をぼそっとつぶやく。恐らく彼の本性は幼少のころから在日韓国人四世のエプシロンとして卑屈に過ごしてきたコンプレックスが大きく影響しているようにおもえる。おれはこの犯罪で彼を少しでも救うことができているのかもしれない。

「喜多さんはベネズエラがどこか知ってるのかよ」ちょっとしんみりしたムードを変えるべくキョウさんが話を戻した。

「知らねぇよ」

「知らないのかよ」

「でも行こうよ、四人でさ」キョウさんは夢を語った。

 四人にとっては、まさに夢だった。

シュウちゃんはそれを聞いてベネズエラへの運賃を端末で調べ始めた。もちろん、片道の運賃だ。やっぱり計画を実行して、四人でベネズエラに行くのもいいかもしれない、と思い始めた。少なくともスカイツリーより高いビルはベネズエラに無いだろう。


 次の日、おれたち四人はキョウさんが用意したサービスコードSUA警備部のコードを持ってギガストラクチャー品川エリア四十八階に入った。あくまで偵察のつもりで、日永本社ビルと春日社長の邸宅の周囲を検分するためだ。おれは、彼らに誘拐なんてやってほしくなかった。爺の戯言として、おわりにしたかった。

 偵察という名目なので俺以外の三人は割とリラックスしていた。だが初めてアルファのエリアである品川エリア三十八階に入った時、三人とも不思議の国のアリスとなった。そこは俺が初めて見る世界では無かった。

 昔の東京がそこにあった。彼ら三人は初めて見たのだろう、六車線の幹線道路と道のわきに連なる高層ビル、道路に面した部分はブランド店やカフェ、レストラン、内部はすべてオフィスになっている。狭くて汚い新宿スラムとは大違いだ。

 おれの東京はここにあったのか、とつぶやいてしまった。おれたちは既に東京から締め出されていて、住む権利を失っていたのだ。

 ここはまるで二〇一〇年代の丸の内の様だ。

 どのエリアも、どの階もこのような光景なのだろうか。噂を聞いた限りではヨーロッパの都市をイメージしたフロアや、ゴルフ場、人口の海があるフロアもあると聞く。おれたちは入れない。おれたちは、はたして日本人なのだろうか。ただ、金と学が無いだけでなぜここまで制限されなければならないのだろうか。

 春日社長の邸宅はさらに俺を打ちのめした。まるで城みたいだ、なんてしょうもない感想しか出てこないのがみじめさを倍増させた。屋敷の何倍もある庭、すこし飾り気がないのはドイツ風だからだろうか。中に入ってしまったら、もうダメだ、どうしても今自分が暮らしている部屋と比べてしまう、そんな悲しいことはできるわけがない。

 社長宅の近くに四人で向かうと無駄に広い芝生の庭で土いじりをしている小さな女の子と、傍に一人の男がいた。男は体格のいいスーツを着た男で、かなり若く見えるので春日ではないはずだ。女の子は八歳くらいで、とてもいい服を着ていたし、一目見て春日の娘だと分かった。なんであの非道な男に子供などいるのだ、おれは普段脳みそが動いているのだろうかと疑問に思うくらい鈍い頭に、一気に血が上るほど不愉快になっている自分に気づいた。心臓が痛くなってきた、おれは明日にも死んでしまうかもしれない。こどもに警護がいるということは、春日はおれたちの脅しを気にしていない訳ではないらしい。それなりに警戒しているのだ。もう、頭で考えている場合ではない、と感じていた。

「家族の近くにガードしている男がいるんだろうね、警備は想定より厳重だ」

 キョウさんが自分の足元を見ながらつぶやいた。もしかしたら、諦めるつもりかもしれない。

「この家から社長を誘拐するなんて夢のまた夢だ、通勤途中を狙わないと」と千ちゃん。

俺は春日の家と娘を目の当たりにして、完全におかしくなっていた。なぜおれと春日でこんなにも差があるんだ、と叫び出しそうになっていた。嫉妬心と劣等感で、頭がおかしくなりそうだった。

「いま、あの子をさらう」おれは無意識的にそう口にした。

「え」

 皆驚く。

「別にさらうのは社長じゃなくてもいい、むしろ金を払うかどうか決断する人間が社長の方がいいだろ」

「確かにそうだけど、どうやってさらうんだ、殴ったりするのはかわいそうだからいやだよ」

 と、千ちゃんが言う。赤ん坊が生まれたばかりの父親だ。当然の反応だ。

「笑気ガスは持ってきた、堂々とあの庭からあの子をさらう」

 おれはもう止まる気が無かった。どうなってもいいと思っていた。

「少しおかしくなっていやしないか、喜多さん、もっと慎重になろう、全然当初の計画と違うじゃないか、第一あの近くに居る男をどうすんだよ」

「殺そう」おれはもったいぶった間を置きながらそう言った。彼らに考えさせる時間を作ってやりたかったからだ。

 一線を超える。

 ひとごろしになる。

 三人は想定していない覚悟の量を求められているのに気づいた。この老人に従ったのが間違いだったのだ……おれは心の隅に追いやられた理性の中で、三人にそう思ってほしかった。おれを止めるならもう今しかないぞ。殴ってでも止めてくれ。頼む。

「俺がやるよ喜多さん、あいつは俺がなんとかするから、あの女の子を騒がせずにさらうことだけ考えて」

 シュウちゃんが言った。明らかにキョウさんと千ちゃんは逡巡している。

「殺さない。大丈夫だよ」

 シュウちゃんはあの男を何とかする具体的な方法を考えている。万が一取っ組み合いになっても、あの男よりシュウちゃんのほうが身長もデカいし、力もあるだろう。格闘技のプロでもない限り、大丈夫だ。おそらく。

 よし、と気合を入れたシュウちゃんが春日邸の敷地に堂々と入った。男に無防備に近づく。おれたち三人はすくんで動けないままだった。

「こんにちは、あの、ちょっとお聞きしたいんですけど、ここは日永の社長さんのお宅で合ってますかね」ボディガード風の男は自分より頭一つデカい男が現れて怪訝な表情をした。

「どなたですか、ここは私有地です、コードキーを見せなさい」

 その言葉が耳に入っているのかわからないが、聞くや否やシュウちゃんは既に拳銃を構え男に向けた。男をゆっくりと両手を挙げた。おれたちも向かうしかない。おれたちは男の拳銃と通信機器を取り上げ、近くに居た女の子に高濃度の笑気ガスをかがせて意識を失わせた。おれは率先してぐったりした女の子を背負うと、服の柔らかい生地と乳臭い匂いに刺激され、なぜか涙が出そうになった。男は庭の木にしばりつけ、同じく眠らせて放置した。シュウちゃんが人を殺さなくて本当によかった。シュウちゃんだけ男に顔を見られてしまったが、別に構いません、と言っていた。

 作業中おれたちは一言も発さず、アイコンタクトのみでその作業を進めていた。おれはこれが一体感というものかしら、と初めての感覚に戸惑いつつも興奮していた。

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