第16話

 五月二十六日、金春たちは刑事課主体で本庁内に対策本部を設置した様だ。捜査は彼らではなく刑事課の面々がメインで行う。おそらく対策本部内では俺たちも捜査対象になっているはずだ。

 俺は高安に個人的に連絡する手段を手に入れていた。俺は定期的に高安にコンタクトをとることにした。一度誘うと、彼女は暇を見ては連絡してくるようになった。警察内部の動きも彼女経由で入手できるようになった。茂山は一昔前の西山事件の様だと俺をからかった。

 春日邸の警備は契約解除となり、別の警備会社と契約を行ったようだ。春日ミコトは依然見つかっていない。犯人からの連絡もない。

 俺は既に大体の犯人像を絞っていた。まずエプシロンの日本人。そしてセンスが古い老人だ。春日の秘密を握っていることは確実。俺が公安より先に犯人を捕らえれば、逆に俺たちが春日を脅すことができる。春日を利用すればSUA本体の情報を手に入れられるだろう。ただ、この件に関する嫌悪感は収まらなかった。俺はギガストラクチャー内の春日邸のセンスの無さや、公安の二人の無能さと無粋さ、犯人の稚拙さにイラついていた。全員殺してやりたかった。アオイは俺が苛立っているのをなんとかしようとおろおろしていたが、彼女と話すことでこの苛立ちをごまかしたくなかった。ニシキも気づいている様だった。俺は犯人が少しうらやましいのだ。人をうらやむことなど今まで無かった。しかし、狼狽した春日夫妻と警察を見ると、自分ならもっと彼らを、更なるどん底に落とせると考えてしまうのだった。強大な敵、今や日本そのものと勝手に思っていたSUA、春日はその一端を担うほどの男だが、たかだか子供一人を奪われただけで冷静さを失っている。もしくは頭の中は冷静で、やはり怒っている演技をしているだけだろうか。SUAの一部として機能している春日はそれだけの男なのだろうか。俺は自分が立ち向かっているものの強大さに信頼を置いて、慎重に事を進めているはずだった。どこか肩透かしを食らっている様な気がしてならなかった。


 俺は高安から得た情報を基に茂山と犯人捜しを始めた。犯人は俺たちと同じ、怒りに満ちた個人、あるいは数人の集まりであると考えていた。SUAのサービスにまだ毒を抜かれていない人物、背景もなく、希望もなく、子供を利用するという卑怯な手を使うことからおそらくは男で未婚だ。そして日永関係者である。茂山は決めつけ過ぎだと言っていたが、こんなもんは勘でいい。まともに付き合ってはいけない。

 日永関係者のリストを作るのは茂山からしてみれば簡単だった。日永のITインフラを一手に管理している、日永システムテクノロジーの社員を金で買収し、人事システムからデータを盗んだ。その社員は御徒町に埋まってもらった。現時点で日永関係企業の従業員、その家族、元従業員、アルバイト。この中に犯人がいると確信していた。俺はこんなくだらないことは早くやめて春日を殺したいと考えていた。よほどリストをにらむ俺の顔がひどかったのか、ニシキが俺も手伝うよ、と言ってくれた。俺のいら立ちの原因もすべてわかっている様だ。


「和泉さん、あんたの言う通りやっぱり春日は他に女が居たよ、よくわかったな」

 茂山がそう言って調査結果を俺に報告した。 

 春日の愛人は頭の悪そうな顔をしていた。

 俺は春日と言う人間が、取り立てて特筆すべきことは何もない、どこまでも平凡な一人の男であることに嫌悪感を感じていた。俺はニシキにも、少し腹が立った。なぜ、こんな陳腐でくだらない世界に俺を連れて来たんだ、とニシキを責めたかった。


 高安と会うことも我慢ならない事の一つだった。彼女の話すことは、SUAのサービス内容にすっかりかぶれてしまっていた。というか、この国に住む人間すべてがそうなのだろう。サービスコードさえ買ってしまえば、なにも考える必要はないのだから。芸能人、スポーツ、ファッション、映画、すべてまやかしだった。まやかしについて何時間も話していると気が滅入ってくる。男が金を生み出すために作り出した、実体のないもの、それに彼女は夢中だ。SUAが提供する幻の話を聞いていると、生物として健全な快楽とは何だろうと、考えさせる。彼女らは与えられた快楽で満足している。それを消化し終えれば、結婚して子供を産んで、これの人生も喜びなのだと考える。そして老いて死んでいく。

程度はどうあれ、社会は俺たちを拘束して既定路線に乗せて死まで運んでいく。個体としては遺伝子を残せればまあ成功だ。女は子供が埋めるからまだいい。幻想にいくら酔っていても、子孫を残す実感をもてるからだ。悲惨なのは子供を産まない女と、男全員だ。男は父親なんていう幻想を演じなければいけない。父親の役割なんてものは人間にしかない。人間が社会的な生物だからこそ存在しうるのだ。高安は父親と仲が良くて母親とは仲が悪いらしい。彼女の父親はなぜ生きているのだろうか。幻想の中に生きているのになぜ耐えられるのだろうか。酒や煙草でごまかしながら、自身の虚無に対してどう決着をつけているのだろうか。俺には理解できなかった。


「和泉さん、大丈夫ですか」

 急に声が聞こえる。

 ゆっくりと正面に座る高安に焦点が合っていく。そういえば食事をしている最中だった。

 ギガストラクチャー銀座エリア四十五階。アルファとベータの人間が来られるフレンチレストランだ。

「具合悪いならタクシーを呼びますけど、あらら、血が出てるじゃないですか……」

 右手から血を流していた。持っていたワイングラスが欠けてしまったらしい。

 給仕が恐ろしいスピードで片づけていった。ニシキに借りたスーツとシャツが一部ワインの色に染まった。

 俺は考え事をしていると、周りが見えなくなる。

「あぁ、少し体調が悪いみたい、気圧が低いとね、頭痛がしてぼーっとしちゃうんだよ、でももう大丈夫、ありがとう」

 俺は優しい表情を作って彼女の軽い混乱をなだめると、テーブルにあった冷めたスープを一口飲んだ。神経が過敏になっているからか、少し塩辛かった。

 俺の血を見たせいもあってか、高安は発情しているのを隠そうとしなかった。俺は彼女に気を使いながらセックスをするのがきらいだったが、情報を得るためには仕方なかった。

 本来であれば彼女などに気を遣ういわれはないのだ。むしろ俺は今夜は一人でいたかった。また茂山に西山事件だとからかわれてしまうのも不快だった。


 その後同じフロアにあるホテルを取り、高安とあまりぱっとしないセックスをした後、ベッドの中で事件の進展をそれとなく聞いた。

 ワインを飲ませ過ぎたのかろれつが回っていなかったが、犯人は新宿スラムに住む労働者だろうということが確定したらしい。

「刑事課は新宿の旧都庁周辺に住む労働者だって絞り込んでいるわ、あそこらへんには私詳しいのよ、難民やヤクザや宗教団体だらけ、みんな貧乏でデルタのコードも買えないような奴らばかりよ、ヤク中だらけだしね、麻薬取締官なら囮捜査ができるから、裏の組織に関する情報を日本で一番持ってるの、あの地区のありとあらゆる情報網に入り込んでる、刑事部は厚労省経由で麻取から情報を取ったようね、警視庁のかなり上が動いたようよ」

「そうなんだ」

 おそらく日永と親しい政治家が陰で動いているのだろう。

「おそらく麻薬に関係ある連中の仕業よ、それと日永がどうつながるのかはわからないけど」

「ありがとう」

「この事件……和泉さん、なにかするつもりなの」

「ああ」

「そう」

「金春に言うか」

 俺は高安の目をしっかりと見据えて尋ねた。

「また会えるかな」

 高安は目をそらして聞き返した。この女は照れると目をそらす。

「ああ、また来週にでも」

「そう」

 そう言って彼女は俺に背を向けて、眠ったふりをした。

 その後彼女は聞こえるか聞こえないかぐらいの小声でつぶやいた。

「あなたもわたしも、かっこわるいね」

 俺はその言葉の意味が理解できなかった。また曖昧な靄に、包まれて混乱していると感じていた。何もかも見透かされているような気がして、気分が悪かった。

 どこから来るのか判らない罪悪感、劣等感と戦いながら、眠りにつこうと努力した。

 彼女がもう少し賢くなって、もう少し愚かな男に抱かれるべきだと考えた。少なくとも、今よりはましになるだろう。俺もこの女もそうだ。

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