第14話
日永ホールディングスという巨大な企業グループがある。
SUA傘下で最も規模の大きい食料品企業だ。三兆円規模の売り上げを誇り、日永食品、日永ビール、日永フードサービス、日永製粉、日永オイル、日永水産などの子会社をまとめ上げる、日本で指折りの優良企業だ。そこの社長に怪文書が届いたのが、二〇六五年五月十二日の事だった。
後ろ暗いことをしていると感じるなら
マスコミにすべて話せ
さもないと天罰が下る
たった三行だけの脅し文句だった。
日永本社広報部に直接届いたその手紙の差出人は『憂国風盾会』となっていた。俺と高安のマーク対象ということで、刑事部から公安へこの事件の担当が変更されたらしい。刑事部は現在、イスラム系テロリストと思われる団体からの空港エリア爆破テロ予告の対応に忙しいらしく、この脅迫事件を軽く見た本庁から俺たちにお鉢が回ってきたのだ。俺たち以外の公安職員も、すべて空港エリアに行ってしまった。
「金春さん、これおかしいですよ、憂国風盾会はもうほとんどなくなっちゃったじゃないですか、あの元軍人が暴れたから」
日永と憂国風盾会のデータを眺めながら高安が言う。今日はベルボトムのジーンズだった。ヒッピーブームがまだ彼女の中で終わっていないようだ。
「そうだねぇ、あの事件はマスコミにも公開されていないから、憂国風盾会が健在だと思っている奴が名を騙っていると考えた方がいい、変な事件だよ全く」
「空港の警戒よりも面白そうではありますね」
高安は楽しそうに言った。
「面白そうとかいうんじゃないよ、仕事なんだから」
「とりあえず何から始めるんですかこの場合」
この女には捜査の手順というものをまだ何も教えていない。
マーク対象への監視とガサ入れぐらいしかこの何か月かやっていないからだ。俺もこういった抽象的な事件を扱う事なんて今までほとんどない。
「まずは脅された社長さんに話聞きにいこっか」
五月十三日、俺達二人は日永の本社ビルへ向かった。
高安はヤクザや宗教団体しか連れていっていなかったので、ギガストラクチャー内の企業ビルに入ることによろこんでいた。
品川エリア三十八階はギガストラクチャーの中でも増築に増築を重ねたビルの密集地帯だった。ビルの中にこれだけのでかいビルがあるというのはフロアを隔てる底が抜けてしまうんじゃないかといらない心配をしてしまう程だ。
日永本社ビルの社長室へ通される前に、応接室で十五分ほど待たされた。アルファとベータしか入れない品川エリア三十八階を見下ろす応接間は、日永百年の伝統をアピールするため、過度に装飾的な造りになっており、インテリアが趣味性に富んでいた。日永ビールのマスコットキャラクタのぬいぐるみ、日永が出資しているサッカーチームのポスター、レトロな雰囲気を醸し出す真空管のスピーカー、本棚には広範囲のジャンルをカバーして持ち主の教養をさりげなくアピールする大量の本、秘書AIはオウムの形をしていたが、シャットダウンされていて眠っていた。
社長室の扉の前には武装した坊主頭の男が一人。ベレッタの自動拳銃、スタンナックル、暗視グラスも持っている。会社のセキュリティスタッフでは無いだろう、外注か、それともSUA警備部だろうか。その所属不明の彼が扉を開けてくれた。
応接間と対照的にシンプルで機能的な社長室の中には日永ホールディングス社長と思われる男性とスーツの女性、そして二人見覚えのある人物がいた。
「初めまして、私が取締役社長の春日と言います、こっちは家内です」
これまたシンプルな品の良いスーツを纏った夫婦、どちらも五十代前半であろうか。大会社の社長に会うのでどんな大物かと構えていたが、実際は地味で全く印象に残らない顔をしていた。
「で、こちらが個人的にセキュリティ業務を委託している、イズミテクノサービスのお二人です」
以前、上野のコンサル会社へ行ったときに会った二人がそこにいた。
「ご無沙汰しております、金春さん、高安さん」
「あなたはいつぞやのセキュリティ会社の……和泉さんと、大蔵さん」
俺は素直に驚いてしまった。
「ご無沙汰しております」大蔵がぺこりと可愛く頭を下げた。
俺は和泉と握手をしながら、あらためてきれいな顔をした男だとおもった。しかし握手したときにスーツの裾からちらりと見えた手は、爬虫類の様な硬い皮膚感で、古傷だらけだったのが少し不気味だ。高安は思わぬ偶然にうれしそうな顔をするのを必死に我慢している。総勢六名が社長室に集まり、挨拶を済ませるとマホガニーの机を囲む本革張りのソファはすべて埋まった。
「ここ数年物騒でしょう、私の立場だと、からんでくる変な輩が多くてね、いくらギガストラクチャーの中で日本人が多いとはいえ、エプシロンのやつらは卑屈でタチが悪いからな、和泉さんの会社にボディーガードみたいなことを頼んでいたんですよ、ええ、扉の前に居る彼です、SUAの警備部は国の重要設備で手一杯で、事が起きないと動いてくれませんからね、いや、これは警察へのイヤミではないですよ」
さわやかで落ち着いた社長夫婦は平静を保とうとしているのか、こわばった表情でよく喋った。特に妻の方は挙動不審で、人生で初めて触れた社会の暗部の為に、神経が落ち着かない様子だった。
和泉と大蔵は対照的に落ち着いて見えた。夫婦の話にうんうんと、顔を近づけて相槌を打っている。春日社長が余裕ぶってつまらない冗談を言った時も、あくまで自然な笑顔で反応できていた。俺より年下だろうに、まともな奴らだ。
それに比べて高安はというと、話を一生懸命聞いていますというアピールが過剰で、必要以上に深刻な表情と多すぎる相槌で若干浮いていた。それに服装のセンスが終わっている。今日は逆方向に力を入れ過ぎて、リクルートスーツを着てきやがった。学生じゃないんだから。
俺は社長の脅迫事件より、テクノサービスの二人、代表と総務部長がなぜ出張ってきたのかということが引っ掛かった。日永の社長が大口なのは分かるが、現場にのこのこと彼ら経営陣が出てくる必要があるのだろうか。扉を出たところにいる屈強な男だけで十分な案件ではないのだろうか。
春日社長はまるで商談の様に滑らかに喋り続けている。
「この脅迫文にある後ろ暗いことというのも私共には覚えはありません、役員全員にヒアリングを行ったのですが、弊社はコンプライアンスも担当部署が方針を決めてしっかりとやっておりますし、財務も健全です、二か月前の年度末から監査法人の調査が来ていて、何日か調査頂きましたが何も指摘事項はありませんでしたからね」
春日夫人がコンプライアンス内容と財務状況の書類を、俺たちとテクノサービスの二人に配りだした。俺はそれを見もせずにまず切り出した。
「ひとまず、本件は我々警視庁公安部が担当します、私たちは憂国風盾会の担当ですから、すぐ終わるでしょう、テクノサービスのお二人は大変恐縮ですがお引き取りを願えますか、終息しましたらご連絡いたしますので、当たり前ですが本件に関して口外しませんようお願いいたします」
俺はややこしくなるので和泉には席を外してほしかった。
和泉は背中を丸め俺に対し上目で睨むようにして、
「邪魔をするつもりはございませんが、日永さんと弊社との契約はあなたたち警察とは無関係です。私たちは春日社長個人に綜合警備の依頼をいただいておりますので、事件はお任せしますが、私たちにも情報共有はして頂きます」
沈黙。
「何様のつもりだ、あんたら」
「あんたこそなんの権限があるんだ」
「我々には警察権がある」
和泉は鼻で笑い、また俺の方を見た。茶色くて大きな眼。彼の低くハスキーな声は腹に響いた。
慌ててフォローをしてくれたのは意外にも高安で、上司に確認して捜査は警察、警護は彼らに分担することと決まった。春日夫妻は少しイラついているようだ。だいぶ余裕が無いのだろう、警察と民間の縄張り争いなんぞ見たいはずもない状況だ。
しかし警察も本当に人手が足りない。脅迫状一通に割く人員は、飛行場の連続爆破予告事件が終息しない限り増やすことは難しいだろう。
五月十四日、彼ら夫婦の護衛を彼らに任せ、俺たちは憂国風盾会のもとを訪れた。
代表、副代表、会計、その他幹部がすべてあの葛野というイカレた元軍人に殺されている為、事務所の中は下っ端が細々と事務仕事をしているだけだった。話を聞くと、年内に解散届を警視庁に提出するとのことだ。彼らの名を騙る脅迫状がある会社に届けられたと下っ端に伝えると、そんな元気があるやつはいない、と力なく答えた。
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