第13話

 ギガストラクチャー虎ノ門エリア十三階、警視庁本部はそこにある。

 明らかにコンサル業者のいいなりとなっている無駄に豪華なセキュリティと、警視庁マスコットキャラの着ぐるみ風AIだらけの署内は、人がまばらで殺伐としていた。

 公安部に所属する金春カズマはアーロンチェアに浅く腰掛けため息をついた。

 俺だけがこんな辛いのだろうか。仕事が全く終わらない。

 公安部の人数はどんどん減っている。新宿スラムの危険思想団体の監視及びアジア難民の文化財テロ対策班勤務だけでも手一杯だ。

 おまけに新人の教育やらなきゃいけない。貧乏くじだ。

「金春さん、行きますよ、新宿ですよね」

 部屋中響くような高くて金属的な若い女の声。

 無駄に大声を上げないでほしい。耳が痛い。

 そんなテンションにこたえる元気はもう三十三歳の肉体のどこにもなかった。

 公安の組織に新人で配属されるということは、まあまあのエリートと言っていい。昔の俺もこの高安という新人の女もそうだ。だがこの日々の閉塞感はなんだろうか。

「金春さん、私、高安っていう苗字なんですけど、こうあんっていう風にも読めるんですよ、こうあん、すごいでしょ」

 公安の仕事だからってことを言いたいのだろうが、笑ってほしいのか感心してほしいのかいまいち表情から読み取れない。この女とのベストな距離感は永遠に分からないままだろう。

 なぜ公安の仕事に新人が入ってくるのかもよくよく考えたらわからない。こんな海のものとも山のものとも分からない人間を民間企業さながらのOJTで教育するなんて、警視庁の新人教育方針は狂っている。こんな元気で明るい、でも時々不安定になる少女漫画の主人公のような性格の持ち主を、本来ねちっこくて性格の悪いやつがやるべき公安に配置するなんて人事部はなにを考えているのだろうか。こいつは銀行の窓口の方が向いていると思う。AI嫌いの老人には受けるだろう。彼女に比べれば、俺はねちっこくて性格が非常に悪いので、公安の仕事は天職だと言える。

 ちょっと前までは人が多すぎるくらいだったのに、上層部からスマートポリスとかいうよくわからないスローガンのもと、事務作業の徹底したAI移行と内勤人員削減の命が下った。現場は大混乱に陥り、システムの変化についていけないベテランは希望退職し、俺のような中堅がその被害をこうむっている。上層部の現場への無関心は今に始まったことではないが、今回の事務システム変更は性質が悪い。AIの質が低すぎるのだ。レーニナⅣを警察組織向けに改良したモデルで、監視対象者リストや日報の管理もまともにやってくれない。ディープラーニングの経験が追い付いていないのだ。普通は一年ほど疑似環境でラーニングを終えてからリリースするはずなのだが、今回は初期状態のまま納入されている。赤ん坊を相方に仕事をしているようなもので、今日も刑事課のベテランがAIに対して怒鳴りながら事務仕事をしていた。あれだけ怒った表情をラーニングしてしまうと、俺が少し怒っても怒りを認識してくれないかもしれない。この使い勝手の悪さは結果的に業務効率を落としている。国民の税金で賄われている分、普段刑事課が相手にしている万引き主婦や麻薬のプッシャー以上に犯罪的であり、情報インフラ担当責任者は現場の人間の前で切腹するべきであると思う。要するに、トップの人間の感性が古いのだ。最新のAIは導入すればいいというものではない、あくまで重要なのは人間とのインターフェースだ、使い勝手がよくなければどんな優秀なAIでも無用の長物だ。


 高安を連れて新宿スラムに行くのは、今回で三度目だ。流入がとまらないアジア難民犯罪対策は完全にボトルネックであり、対処する人間が一人増えたところで何も変わらない。彼らは日本国籍を取得しているため、警察庁直轄の外事担当ではなく、我々公安部が担当するところとなるが、管轄などあってないようなものだ。そもそも公安という組織は日本共産党対策のために作られ、極左の過激なセクト対策に追われ、次に純粋右翼がメインターゲットとなり、二十一世紀以降はイスラム過激派のテロ対策が存在意義となった。そして現在、アジア難民の思想犯罪がメインの脅威とされている。公安は時勢によって存在意義となる敵がころころ変わる。破防法を適用できる公調もいるにはいるが、何も出来ないのが現状だ。新宿はもともと多国籍な街であったが、今は外国人犯罪者ばかりで日本人の犯罪など、エプシロンの貧乏人が万引きするところぐらいしか見ない。みなギガストラクチャーの中に引っ込んでしまったのだ。俺や高安は大学で北京語を専攻していたので、難民とコミュニケーションが取れるということで配属されたのだが、俺は今や朝鮮語と広東語も話せるようになってしまった。アジア難民にプラスして政治団体や新興宗教の施設が多いため、マークする対象が多すぎる。差別主義者とのバッシングを恐れるのが趣味の上司の指示もあいまいで、正直この町はいつ何が起きても不思議ではない。俺は今日もマークしている政治宗教団体に、ランダムでガサ入れという名の挨拶回りを行うのだ。彼らとは仲良くしておくに越したことは無い。どうせ縄張り争いや金銭問題等の子供の喧嘩レベルのもめ事くらいしか起こさないのだから。もうすぐこの国で大麻が解禁されるが、自称愛国の国士たちは本来の活動目的である政治そっちのけで皮算用を繰り返している。ドラッグ市場が一変してしまうので、ビジネスチャンスではあるだろう。右翼だろうが左翼だろうが難民だろうが、集団で固まっている奴らは、過激なことをしない。恐ろしいのは社会の中に没入して、一般人を装っている個人の思想犯だ。そいつらが犯罪を起こしてしまったらもう何も対処できない。

 アウトプットのない潜在的な思想犯など公安が対処できる訳が無い。声高に身勝手な主張をデモやネットで叫んでいる奴など、馬鹿が少し騙されるだけで何の影響力もない。

 じゃあ未然に取り締まれないならなぜ公安が存在しているか。 

 俺もわからない。みんなわからないだろう。

 とにかく警察は今の社会に対応しきれていない、人並みに考える力を持っている人間の犯罪は、仮想通貨の盗難にしろ殺人依頼にしろ警察が手を出すことが出来ない外国のサーバを経由して行われているのだから。それに警視庁のITインフラはひどすぎる、勤怠管理システムひとつとってもUIがイケてないのでイライラする。とにかく、今の警察という組織は、なにもかもがレガシーだ。ピラミッド型の組織の弱点は、トップが年寄りで最新のテクノロジーを知らないところだ。医療が発達し老人が死ななくなってからは顕著だ。

 自分がなぜ生きているか説明できる人間がどれだけいるだろうか。公安と呼ばれる組織だってそんなもんだ。確かなのは百年以上前にいた革マル派や、義侠的な右翼みたいな、組織的な政治結社なんてもういないということだ。そいつらに対抗すべく作られた俺たちは、突発的な個人の思想犯罪に対し、構造的に対処できない。


 思った通りの動きをしてくれないAIと格闘しているうちに、そんなことばかり考えていれば仕事が全く進まない。メール未読は千件。今日はもう帰れないかもしれない。

 メッセージが高安から届く。

「金春さん、また上野のコンサル会社、行きませんか、あそこの代表かっこよかったし

 高安が向かいの席からデスク越しに視線を送ってくる。

 新人の癖に誰とでもすぐ打ち解けるところが、上のおじさん連中に受けがいい。

 メッセージではな、直接俺は高安と話そうと、向かいの席まで歩いて向かった。

「たしかに男のくせにきれいな顔してたな、それよりさ、隣にいた大蔵さんだっけ、総務部長の若い女の子、広報も兼任してんのかなあ、すげぇかわいかったよなぁ、巨乳だし、セキュリティコンサルなんて今イケイケなんだろうし、金あるんだろうなぁ……

公安の総務なんてオッサンだらけだよ、いい会社にはいい女がいるよほんと、それに比べてお前はなんだ、今日もひどいな、なにそのカッコ」

 高安は派手な茶髪にスーツのジャケット、下はなんと太めのクラッシュジーンズだった。細身のジーンズならまだマシだったのに。シルエットが上下でちぐはぐだ。

 この女はファッションサイトとか見ないのだろうか。この前はアディダスのトレーナー。前世紀八十年代に流行ったヒップホップファッションを取り入れたらしい。このジーンズはもしかしたら十年さらにさかのぼってヒッピーのつもりかもしれない。次はカウボーイだろうか。どれにしろ公安には見えないから迷彩としては悪くないが。


「別にいいじゃないですか着たい服着たって、公安は制服ないからしょうがないでしょ」

 高安が頭をガシガシ掻きながら言った。がさつだ。

「まあお前なんかどうでもいいけど、怒られたって知らないよ、あとあのコンサルをマークしたってしょうがないからな、葛野って軍あがりのバカが一時的に隠れ蓑として所属してたってだけで、あいつを処理すべきなのは軍の調査隊、部長も言ってたでしょ、軍を辞めたやつをマークしてる組織がちゃんとあるの、軍上がりって分かった時点で管轄は軍なの、そいつらにもう殺されてるはずだよ、管轄内で動くことをちゃんと覚えてね」

「そうなんですか、せっかく私たちで抑えたのにもったいない、絶対あいつやってますよ、上が何と言おうと、捜査は継続すべきです」

「だろうね、まぁ上司が軍で始末したって言ってるんだからもうそれはいいじゃん」

 高安は納得していないようだ。面倒な奴。

 いつかこいつがいないときに大蔵さんに会いに行こう。ああいうおとなしそうな女は、経験上押せば高い確率でやれるはずだ。逆に高安みたいな女は、頭でっかちなので無理だろう。頭はいいが空気が読めないし、会話の感性も違うのでうまくいかないし、第一まったく好みの外見ではない。


「んじゃあ、また今日も新宿の右翼風ヤクザですか、あいつら商売の事しか頭にないですよ、ただのアジア系難民ですもん、日本の古い任侠映画観過ぎの」

「じゃあ君は何がしたいの、イケメンに会いたいの、都民を守りたいの」

「イケメンに会いつつ都民を守りたいです」

 俺も大蔵さんみたいなかわいい娘とペアで都民を守りたいよ。

 なんでこんなヤンキー上がり丸出しの馬鹿女と組まなければならないんだ。

 実際仕事で役に立ったことが無いのに何でこんな生意気な態度が取れるんだろう。

「ヤクザなんて群れてるだけで思想的背景は無いですよ、私たちはあくまで公安です、国家に害をなしそうな……カルト宗教とかを見張った方がいいのでは」

「めずらしくいいこと言うね、でも一番コントロールしやすいのがヤクザの唯一のいいところなんだよ、仲良くなれば他の団体の情報をくれる、通う価値があるの」

 

 俺は大規模なガサ入れの情報をヤクザに売っている。

 高安にその辺のイロハをいつ伝授しようか。公安の仕事はきれいごとだけで終わらない、いつか汚い仕事も教えなければならない。そのタイミングだけをはかるのが最近の課題だ。新興宗教に手を出してはいけない、というのもある。今国家に取り入っているSUAも、元をたどれば新興宗教だからだ。手を出せば、誰に後ろから刺されるか分からない。


 高安が化粧を直してきます、と言ってトイレへ向かった。これがまたいつも長い。出かける前十五分かかる。

 俺はおもむろに情報端末で配信されている新作ゲームをチェックする。ガンマのサービスコードはゲームの品ぞろえが豊富で、新作も毎日五つは出てくるので一生かかってもやりきれない。そういえば仕事が終わらないのも、息抜きという名目でゲームばっかりやっているからかもしれないな、などと自嘲する。

 くだらない日常だ。生きている意味あるのか。

 事件を未然に防ぐという公安の仕事に魅力を感じていたのはいつごろまでだっただろう。誰を行確したって、無駄に決まってる。テロリストらしいテロリストなんて今はいやしない。かつての過激団体を監視するだけの日々。新人になめられるのもしょうがないな、なんて飽きてしまうほど繰り返した自嘲を今日もまた繰り返す。

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