終幕 討魔師として生きるということ
満開の桜の花が、駅のホームからでもよく見える。宙を舞う花弁は春空を優しく彩っていて、目に映る景色に華を持たせてくれている。
電車が来るまでまだ時間がある。大好きな花を少しでも近くで眺めたくて、ホームの端へ移動した。
遮る物が何も無い空は、この世のどんな物よりも明るく透き通って見えた。澄み渡る青が眩しくて、思わず目を細める。
「綺麗……」
自然と声が漏れた。
春。一年の中で一番好きな、優しくて暖かな季節。姉との大切な思い出があって、親友との出会いも得られた、感慨深くて愛おしい季節。肌を撫でる風が心地良い。
もう二度とこの季節を迎えることはできないと思っていた。そう感じた直後に意識を失ってしまったので、実際に悲嘆に暮れていた時間は短い。けれど、確かに心臓が潰れるような痛みを覚えた。
数ヶ月前の夜の、冷ややかな感触と形容し難い不快感は、未だに鮮明に残っている。想像と違って恐怖も何も感じず、自分が置かれた状況をただぼんやりと受け入れていた。敵への嫌悪も死の恐怖も無かったのは、我ながら未だに信じられない。本当に自分の身が危うくなった時は、脳が正常に機能しなくなるのかもしれない。
そういえば、あれから病室で目を覚ますまでの間、不思議な夢を見た気がする。確か、姉と凛子が一緒に夜の住宅街を歩いていて、お菓子を食べながら言葉を交わしていた。そして、その背後で紫織さんと莉乃さんが談笑している夢。
何を言っていたかは覚えていないけれど、姉と凛子が暗い表情だったことと、姉の先輩二人は比較的楽しげな様子だったことは、なぜか鮮明に覚えている。対照的過ぎる二組の様子がかなり奇妙だった。
その後も夢は続いたはずだが、直前までとは打って変わって全く覚えていない。姉に聞いたところによると、凛子が怨霊退治に同行していたことは事実らしい。実際にお菓子を食べながら帰ったこともあるそうで、「魂が抜けてたんじゃない?」と素っ頓狂なことを言われたりした。あんまり真面目な顔で言うものだから、一瞬信じそうになってしまった。
夢の中で紫織さんと莉乃さんが傍にいたと告げると、姉は目を見開いた後に頬を綻ばせた。
「……そうだといいな」
たった七文字の言葉と、どこか泣きそうにも見える表情。この二つに、姉の想い全てが込められていたような気がする。
私自身、死んでしまった人が傍にいてくれたら嬉しいし、救われる。生前の怨みから解放された人達が、生きている人達を見守ってくれているとしたら、討魔師冥利に尽きるというものだ。私が見たものは夢に過ぎないけれど、先輩達が今も姉の傍にいてくれたらと思う。そうであってくれれば、三年前の姉もきっと報われる。
私が下手を打つ前は大喧嘩の真っ最中だった筈だが、気付けばあやふやになっていた。早朝病室に駆け込んで来るなり号泣しだした姉の姿と声は、多分一生忘れることは無いだろう。以後も普通に会話をし、喧嘩していたのも夢だったのではと疑いすらもした。言葉を交わすのは数週間ぶりであると、自分でも信じられなかった。
あまりにも普通に会話ができてしまい、私はまたもや謝る機会を逃してしまった。と言っても、張った意地自体は悪かったとは思っていない。姉の元を離れないと押し通したことは正しかったのだと、今も自信を持って言える。
でも、その所為で姉とまともに連携が取れず、結果無駄に心配をかけてしまった。あの晩ばらけなければならなかったとはいえ、スマホで連絡を取り合っていればこんなことにはならなかったのに。姉の涙にも罪悪感を覚えたし、そうでなくとも謝罪はしたかった。
が、結局いまだに謝れないまま。何度同じことを繰り返すのかと、自分に呆れ返るばかり。
今朝だって、先に新居で暮らしている姉が「お寿司とケーキとクッキー用意しておくね」と電話越しに声を弾ませていた。家を出て行くか否かの喧嘩をしたとは思えない順応ぶり。私達の意地の間を取ったとはいえ、姉には甘やかされっぱなしだ。
空を彩る花弁は、強い風に吹かれて一際高く舞い上がった。陽の光を浴びて煌めく薄桃色は、これから歩む道を照らしてくれているようで、なんだか気分が上がる。
卒業を機に家を出ると決めてから、姉の行動は早かった。すぐさま学生向けの物件を見つけて来て、祖母を心身ともにねじ伏せた後に契約に漕ぎ着けていた。「新学期から二人暮しだからね」と振り返った満面の笑みは忘れられない。普段おっとりしているのに、こういう時の行動力は凄まじいのだった。
新居は電車で二駅先の市内で、怨霊退治の管轄区域も変わらない。それでも、実家から離れるということに意味があった。
この世に必要不可欠の討魔師は辞めず、けれども古臭いしきたりは脱ぎ捨てる。時代遅れの束縛から逃れ、現代を生きる討魔師としての第一歩を踏み出す。これが、私達姉妹の選んだ最適解だ。
私は高校進学で、姉は一年浪人した後大学受験。しきたりから脱却した今、二十歳でのお見合いに鬱々とした気分になる必要も無い。自分の未来を自分で決める。そうできることが、いまだに信じられない。普通の人なら当たり前の幸せが、私には尋常じゃない程に嬉しい。
透き通った春風に吹かれながら、これからの未来を夢想する。御役目は無くならないし、未だに怨霊への嫌悪感は消えないまま。きっとこの先も沢山の苦難が待ち受けていると思う。
でも、きっと大丈夫。私は、私達は、前に進んで行ける。咲き誇る桜のように、力強く自分を貫いていられる。そう確信している。
構内アナウンスで、まもなく電車が到着するとが告げられた。私が乗る電車である。これを逃せば、姉との約束の時間に間に合わない。新生活一日目が遅刻から始まるなんて最悪だ。
私は吹き抜ける空に背を向け、乗車口に向けて歩き出す。途端、一際強い風が吹き付けた。
「わっ!」
反射的に片手で顔を庇い、もう片方の手でスカートを押さえた。聴覚が風の音に飲まれる。ごうごうという騒音しか聞こえなくなる。
「頑張れ、一条」
「えっ……」
風の音に混ざって、今は亡き大切な声が聞こえた。慌てて振り返ったけれど、そこには桜の花弁が舞っているだけだった。
降り注ぐ光は眩しくて、暖かい。
月光の下、あなたを滅す 沙倉そら @sakura_sora_1225
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