第七話 消えない感触

「一条。もし違っていたら申し訳ないのだが、お前は家が嫌いだろう?」

 浅野先生が私の担任になったのは中二の頃である。新学期最初の三者面談で、開口一番に図星を突かれた。

 その当時はほとんど初対面だったから、受けた衝撃も生半可な物ではなかった。思わず言葉を失い、金魚のように口をパクパクと動かすことしかできなかったのをよく覚えている。そんな私を見て、先生は愉快そうに笑った。

「何もそこまで驚かなくてもいいだろう。去年の担任の先生に聞けば容易に分かる。それに、私自身お前の目を見れば何となく察するしな」

 教師の観察眼を舐めるなよ、と先生はニヤリと口角を上げた。その表情がまるで教師らしくなくて、網膜に強く焼き付いたのだ。

 だが、この人が何を言おうとしているのかが分からなかった。前の担任のように「家族と上手くやれ」と言うのかとも思ったが、それにしてはいささかフランク過ぎる気もした。なにより、瞳に浮かぶ色が嫌な大人のそれではなかった。

 私の思考を見透かしたのか、先生は得意気に鼻を鳴らした。

「私が何を言おうとしているか、だろう? 心配するな、悪いことは言わない。早速だが、一つ覚えておいて欲しいことがある」

 そして、私が言葉を次ぐ前に陽だまりのような表情を浮かべて見せた。


「私は、一条がどんな選択をしようともお前の味方だ」


 ◇ ◆ ◇


「うわああああああ!」

 咄嗟に出た喚き声と共に、私は眼前の相手の喉を突いた。手には特有の感触が生々しく伝わる。刀を抜かずに行ったとはいえ効果はあったらしく、相手はよろめき転倒した。

 背後に跳躍しながら太刀を抜き、正面に構える。人間だったらしばらくむせ返っているであろうダメージを与えたにも関わらず、何事も無く立ち上がる相手。突然の攻撃に文句の一つも言わず、虚ろな瞳でこちらを見詰め返してくる。快活だった頃の面影は見る影もなく、なんなら外見が酷似しているだけの別人のようにさえ思える。

 ……いや、別人であって欲しい。今からでも、私とは面識も何も無い無関係な人物だと言って欲しい。最も、生きてすらいない相手なので喋ってはくれないのだけれど。

 刀を握る手が震える。汗が滲んで柄が滑る。乱れた吐息が周囲を白く染める。定まらない切っ先の向こうで、受け入れたくない現状が私を狙っている。かつての怨みを晴らす為、そしてそれを妨害しようとする私を排除する為に、おぞましい霊力を纏って対峙している。

  視界が、ぼやける。

「あさのせんせい……」

 当然ながら、相手は。恩師の姿をかたどった人でない者は、情けない姿の私を見ても、笑みひとつ浮かべてくれはしない。

 怨霊退治が嫌いなのは、容姿があまりにも人間そのものだからだ。感触も生々しくて、初めの頃は吐き気さえも催した。外見だけで中身は故人本人ですらないと、分かってはいるのに。認知を超えた生理的嫌悪が、私を雁字搦めにした。

 それでも、今まで相手した中で知人は一人もいなかった。全員見ず知らずの相手だったから、辛うじて刀を振れていた。とどめは刺せずとも斬り付けるくらいはできていた。

 でも、今回ばかりは。

「無理……私には絶対無理……斬れる訳ないじゃん……」

 漏れ出た弱音が、人のいないホームに響いた。反響して耳に入り、ようやく自分の声が湿っていることに気が付いた。偶然だろうが、私の声に呼応するように呻き声が上がった。心臓がなおのこと締め付けられる。

 浅野先生。一年半程度の付き合いだったけど、人として凄く尊敬していた。教師の中で初めて信頼できた人だったし、今まで何度も助けられた。さばさばしているようで秀でた観察眼と温もりを持つこの人に、何度悩みを見透かされたかも分からない。その度に助言を貰い、励まされた。討魔師として武器を持てた。彼女がいなければ、もっと早くに家を飛び出していたかもしれない。姉や凛子に並ぶ、私の恩人だ。


 それが、どうしてこんなことに。


 私は、私と凛子は、止められたんじゃなかったの?


「先生、なんでっ……」

 揺れていた視界が不意にぼやけ、冷たい物が一筋頬を伝った。しかし、すぐに視界は晴れる。霞のように消えていることをどこかで期待してもいたが、そんな都合のいいことは起きてくれなかった。

 魔を討つ刀に恐れをなしたのか、敵はこちらを見据えるばかりで動かない。間合いもそれほど広くなくて、踏み込んで太刀を振れば十分に届く距離。今なら、敵が攻撃してくる前に急所を狙える。確実に討てる。

 だが、柄を握る手は震えるばかりで力が入らない。平衡感覚が麻痺しつつあるのか目眩がする。正面を向いていた筈なのに、気が付けば目線が落ちている。


 ――できる訳ない。討てる訳ない。私に、浅野先生を。斬りたくない。殺したくない。今すぐここから逃げ出したい。


 電話口の向こうで凛子が叫んでた理由が、今になってようやく分かった。これだ。この状況を、彼女は察知していたんだ。いくら勘が良いとはいえここまで来ると予知能力だな、なんて無意識に現実逃避をしている自分がいる。

 あの時、通話しながらでも移動すれば良かった。凛子の言葉を聞き返さずに、言われたまま行動していれば良かった。そうすれば、今頃はコンビニで何も知らずに暖を取れていたのに。間違っても恩師に刃を向けるなんてことは起こりえなかったのに。この地域は一条家の管轄ではないから、怨霊出現に気付かなくても何も問題は無かったのに。後悔先立たずとはまさにこのことだ。

 一度怨霊と対峙してしまった以上、管轄地域に関係無く討ち取る義務が発生する。浅野先生と全く同じ姿をした敵は、この場で私が斬る以外許されない。私が、この手で――。


 ……いや、違う。


 真っ暗な部屋で蝋燭が灯るかのごとく、絶望に覆われた頭の中に希望が見えた。とても微弱で不安定なものだけど、その存在だけで救われる。全身を飲み込む冷たさと苦しさを、何倍も和らげてくれる。

 一つだけ。たった一つだけだが、私がこの人を討たなくて済む方法がある。露呈しても祖母以外の叱責は受けないだろうし、なんなら慰めてもらえるかもしれない方法が。様々なリスクは付き纏うものの、恩師の討伐に比べたら大したことでもない。

 大丈夫、私は毎日鍛錬をしてきた。ここ数日は特に念入りに刀を振るった。一般人よりも遥かに抵抗力がある筈。多分この程度で死にはしない。後遺症はどうなるか分からないけど、仮に残っても先生を討つより遥かにマシ。それで家のしがらみから解放されたら万々歳。

 深呼吸をして、震える両手に力を込める。これからすべきことを脳内で何度も反芻する。一挙一動を再現できるように、四肢に全神経を集中させる。

 覚悟は、できた。

 照明を照り返して青白く光る太刀を睨み、大きく踏み込んで太刀を振り被った。

 先生はかつて、私がどんな選択をしても味方でいてくれると言った。なら、きっと今回の選択も受け入れてくれる。


 ――よろしくお願いします、先生。


 もうどこにもいない恩師に向けて、何よりも強い祈りを捧げる。


 ◇ ◆ ◇


 怨霊に知性はほとんどない。怨みの集合体なのだから、当然といえば当然だ。故人の生前の行動パターンを真似ることは多々あるが、基本的には本能のまま行動しているらしい。

 呪う為に必要な霊力が足りなければ生者に憑依して力を養うし、陽が差せば日陰でじっと動かない。人気の無い場所や湿度の高い場所に集まる傾向があり、反対に寺社仏閣は避ける。

 そして、自らを阻害する者は何よりも優先的に排除しようとする。

 憑依や呪いの被害は一般人が主だが、侵蝕という純粋な攻撃を受けるのは圧倒的に討魔師が多い。相手の霊力や受けた範囲にもよるが、場合によっては長時間昏睡させられる。怨霊の目的は、あくまでで邪魔者の排除。ゆえに、討魔師を昏倒させた後は場所を移動する。

 つまり、侵蝕され昏睡さえしてしまえば、合法的に戦闘から離脱できるのだ。敵を討たなかった口実も得られて一石二鳥。今の私には唯一無二の希望。

 だから私は、あえて大袈裟な動作で太刀を振るうことを選んだ。

 大きく振りかぶって繰り出す斬撃は、威力が高い反面隙も多い。さらには躱されやすい。怨霊と戦う上で最も不向きと言っても過言ではない。今までの戦闘では避けてきた動作だけど、わざと侵蝕させるにはもってこいの手段だった。

 本能のみで動く敵とて、これを逃したりはしない筈。討魔の力を宿す太刀を操り、その身を斬ろうとしている私は確実に敵。隙を突いて侵蝕し、昏睡させるなど造作もないだろう。

 私は刀を振り続けた。憑依や呪いではなく侵蝕を促す為に、何度か刃を掠めさせた。本数の減った電車が数本到着しては走り去っていくだけの間、一つ覚えの子供のように太刀を振り回した。手の中の硬い感触と、目に映る敵の姿だけが私の五感の全てだった。

 そして、待ち望んでいた瞬間が訪れる。

 攻撃をひたすら躱していた相手だったが、ようやく反撃の兆しを見せた。これを逃したら、次いつ攻撃してくるか分からない。私は今まで以上に露骨な隙を作る。

 浅野先生の姿をした化け物は、私の頭部目掛けて手を伸ばしてきた。数日前姉に庇われた時にも見た、侵蝕の前触れ。


 やっと、終われる。


 目を閉じて刀を下ろし、意識が途切れるのを待った。気配が接近する。時間の流れが遅くなったような錯覚に捕らわれる。

 私を倒した後でこの敵がどこへ行くのか分からないけど、きっとこの地域の討魔師がどうにかしてくれるだろう。私は私にできる限りのことをした。こうなる前に来てくれなかったことは少し怨めしいけど、私だって全て投げるのだから差し引きゼロということで。

 気配がすぐ傍まで差し迫る。侵蝕時の苦痛に耐えれば、この地獄から解放される。紛い物とはいえ、恩師を斬らなくて済む。

 早く、早く――。


「詩月っ!」


 ……え?

 第三者の声が鼓膜を震わすと同時に、目と鼻の先にあった気配が消えた。

 いや、厳密には遠ざかって行った。

 私を侵蝕しようとしていた筈なのに、私の横をすり抜けて声のした方へ移動した。

 突如として起こった予想外の事態に、私は思わず目を開けて振り返った。

 どうして急に攻撃を中止したのか。目の前に排除すべき対象がいるのに、意に介さず離れて行ったのか。今聞こえた声の主はなぜここにいるのか。疑問は頭の中で無数に湧く。

 しかし、視界に映った光景に全てが消し飛んだ。

 顔面を引き攣らせて硬直している親友の姿と、彼女に向かって一直線に駆ける恩師の姿がそこにはあった。


「凛子っ!」


 頭の中が白で埋め尽くされた。すりガラス越しに景色を見ているようで、どこか現実味を感じられない。けれど反射的に親友の名を叫んでいて、何かに操られるように駆け出していた。

 普段は怖いもの知らずの凛子が、真っ青な顔をして地面にへたり込んでいる。その直ぐ目の前には化け物がいる。こちらからは背しか見えないが、凛子に害をなそうとしているのは明白。

 躊躇う余裕も思考する理由も無かった。


 握り締めた愛用の太刀で、私は敵の首を斬り落とした。


 ◇ ◆ ◇


 手から零れ落ちた太刀は、金属特有の甲高い音を立てて転がった。

 絶命した敵は跡形もなく消滅した。首も胴も衣服も、血痕すらも残されていない。御役目完遂の証拠であり、討魔師の存在意義でもある。

 襲われかけていた凛子は無傷。見たところ霊力の影響も受けていなさそうだし、無事か尋ねれば小さく頷いた。それを見届けて、全身から力が抜けた。質量を増した体が重力に逆らえなくなり、その場に崩れ落ちた。

 凛子は肩で呼吸をしているものの、比較的落ち着きつつあるらしい。後々のフラッシュバックが心配だが、今は安心して良さそうだ。

 私は今日、大事な親友を守れたのだ。それに、初めて一人で怨霊を滅せた。これは誇るべきことだ。姉に追い付く第一歩なんだ。怨霊退治は大嫌いだし、討魔師なんて今すぐにでも辞めたいし、生まれた時から将来が定められているのも気に食わないけど、これで少しは姉との差を縮められる。劣等感と自己嫌悪を解消できる。これで良かったんだ。これで……。

「……良い訳、無いじゃん……」

 我ながら情けない声が、口から溢れ出た。荒れ狂う感情が雫となり、彩度の低いコンクリートに黒い染みをいくつも作る。私の胸の中を具現化したようなその光景も、瞬く間にぼやけて見えなくなった。

「詩月……」

 親友の声と共に、優しい温もりが私を包み込んでくれる。全てを癒してくれるような温かさを纏っているのに、私の手にある感触は消えない。無我夢中で刀を振り、斬り落とした感触と重みは消えてくれない。


 私が、浅野先生を殺したんだ。

 その実態がどうであれ、確かに私は先生の首を刎ねたんだ。


 胸を抉るような絶望と、首を絞めるような罪悪感。吐き出して楽になりたかったけれど、それすらも叶わない。どんな言葉も嗚咽に変わり、凍てついた空気にぶつかり散っていく。

 優しい手が、私の背を摩る。

「……ごめん。私の所為で、あんたが」

 耳元で聞こえた言葉に、私は必死に首を振る。

「なんで、りんこ、が、あやまるのっ」

「……ほんとごめん」

「だからっ!」

 謝るのは止めて、と言いたかった。凛子に一切の非は無いし、これこそが討魔師の御役目なのだと。普段からこうして戦っているし、私でも日頃から敵を斬り付けてはいるのだと、事細かに説明したかった。

 だが、喉は跳ねるばかりで使い物にならない。頭ではいくつも言葉が浮かぶのに、声に変換されてくれない。溢れ続ける嗚咽はいつしか絶叫に変わり、闇をすぐ傍まで寄せ付けたホームに響き渡る。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!」


 ◇ ◆ ◇


 あの後ホームに電車が到着し、司が遅れて駆け付けた。私達を見て瞬時に事態を察したらしく、屈んでハンカチを差し出してくれた。

『姉貴を助けてくれて、ありがとうございます』

 ほのかに温かいハンカチに乗せられたその言葉は、私の感情をより一層昂らせるには十分過ぎた。氾濫した川のように、入り乱れる感情が私の喉を燃やした。

 それからしばらくして、私は合流した姉と共にベンチに腰を下ろしていた。凛子と司は帰宅したので、この場にいるのは私達二人だけだ。


「……詩月、あのね」

 未だに鎮まらりきらない嗚咽の向こうで、姉の声が聞こえる。何かを言おうとしているようだが、そこから先が中々紡がれない。時折「えっと」や「その」と小さく聞こえるが、それが何度も繰り返されるばかり。痺れを切らして、私の方から口を開いた。

「……どうして、この場所が分かったの」

 私が喋ったのが以外だったのか、姉が僅かに息を飲む気配がした。少し間を置いた後、言葉が返ってくる。

「……この場所で、詩月が俯いてる姿が見えたの。だから――」

「見えた?」

 一体何を言っているのだろう。首を傾げていると、小さく息を吐く音がした。

「ねぇ詩月。もしも私が千里眼の能力を持ってるって言ったら、信じる?」

「何それ。からかってるの?」

 こんな時になんなのよ、と隣を見る。しかし、私を見詰める姉の表情は至って真剣だった。そこにからかいの色は見受けられない。間違っても嘘を吐いているようには見えなかった。

「……本当なの?」

 私の問いに、姉は首を縦に振る。

「まだ不完全なんだけどね。見たい時に見れないし、見たい場所が見えるとも限らないし」

 今回は詩月が見えて良かった、と姉は僅かに笑みを浮かべた。一方の私は理解が追いつかない。感情が依然として入り乱れているということもあり、頭の中で姉の言葉が反響する。

「初耳なんだけど」

 すると、姉は僅かに俯いた。目線を私から外し、重たそうに口を開く。

「……詩月が知ったら苦しむと思って、言えなかったんだ。一族の各家の長女だけに発現する物だから」

 姉のその発言から、私の性格全てを見抜かれているのだと察した。自分の努力でも手に入らない能力があると知っていたら、これまで以上に姉へ劣等感を抱いていたに違いない。加えて、祖母が私達の行動を全て見通せた理由も分かった。ついでに祖母への嫌悪感も増した。

「発現する能力は、家によって種類が違うの。うちは千里眼だけど五十鈴家だったら透視だし、名波家なら念話だし――」

「……羽純家は未来予知。違う?」

 すると、姉は目を丸くした。

「知ってたんだ、凛子ちゃんと親戚だって」

「あのババアが言ってたことと、お姉ちゃんの今の話で察しただけ」

 凛子は長女だし、これなら百発百中の勘にも納得がいく。あの的中率は『勘』の一言で片付けていいものでは無い。

 うちの親戚事情に詳しい訳ではないが、うちの一族には十個の家があることと、一部は討魔と無縁の一般家庭になっているということは聞いたことがある。きっと、羽純家もその一つなのだろう。凛子のおばあさんの話は本気にしていなかったけど、あれは実話だったのか。討魔師の家というのがうちの事だとは思わなかった。

 それで、と姉は続ける。

「家でおばあちゃんと話てた時に詩月の姿が見えて、居ても立ってもいられなくなったの。早く詩月の所に行かないとって。……まさか、怨霊と戦ってるなんて思わなかったけど」

 そこで姉は口を噤んだ。私も返す言葉が見つからなくて、静寂が流れる。手に残った感触と恩師の姿が、望んでもいないのに蘇る。

 私は浅野先生を助けられなかった。

 私が彼女の首を斬った。

 私が、浅野先生を殺した。

 全身が震え、吐き気を催す。収まりかけていた涙も勢いを取り戻し、喉が跳ねて酸素が上手く取り込めない。心身の苦しさが、私を責め立てるように絡み付く。

「せんせっ、ごめんなさっ、せんせっ」

 息苦しさが、一周回って何ともなくなる。全身が凍り付くような寒さに襲われる。

 背中に温かくて柔らかい感触を覚えた。姉が摩ってくれている。凛子とどこか似ているそれは、恩師の温かさを連想させて余計に苦しくなる。

「詩月は凄く良いことをしたんだよ。凛子ちゃんと先生の両方を助けたの。だから――」

「煩い!」

 耳元で聞こえる優しい声を、反射的に遮った。姉の言うことは討魔師としては正しいのかもしれないけど、私にとっては違う。討魔師である前に先生の生徒だった私には、良い事だなんて思えない。

「私は先生を殺したの! 人殺しなの! 怨霊退治が好きなお姉ちゃんには分からないだろうけど!」

「……でも、怨霊は」

「怨霊が何かくらい知ってるよ! けどっ」

 それ以上は言葉を続けられなかった。渦巻く感情に飲み込まれ、嗚咽だけが口から漏れた。

「……分かるよ、私だって」

 姉の声がすぐ隣で聞こえる。いつになく重苦しい空気を纏っていて、喉から溢れる濡れた息が一瞬詰まった。

「……私だって殺したもん。大好きだったのに。ずっと一緒にいたかったのに」

「……おねえ、ちゃん……?」

 過度の恐怖で痛みを忘れるように、強過ぎる違和感で絶望と苛立ちを忘れた。この数日間覚え続けていた違和感を凝縮し、その核心が見え隠れするような、そんな感覚が私を飲み込んだ。

「ねぇ詩月」

 呼吸も涙も忘れた私に、姉は泣きそうな顔で微笑む。

「私って、怨霊退治が好きに見える? ちゃんと討魔師でいられてる?」

 何と返したらいいのか、私には分からない。

 私は、姉のことを何も分かっていないんだ。

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