第三話 斬り捨てたい家柄 (前半)

 私達討魔師の永遠の敵である怨霊は、生前の恨みを晴らすために夜な夜な徘徊し、近くにいた人間を呪う。同時に取り憑いて生気を奪い、人間の心身を衰弱させる一方で霊力を高める。そして、高まった力でさらに多くの人を呪う。

 使用する呪いは厄介そのもので、最も強く残った怨みにより形成されるそれは十人十色。虐められたことを恨めば同じ内容の不幸が対象を見舞うし、地位を奪われたことを恨めば対象も地位や役職を失う。もしも殺害の被害に遭ってそれを恨んだとすれば、呪いもまた殺人に特化した物になる。通り魔の被害者が実は呪われていた、なんて良くあることだ。

 が、一方で物理的な攻撃は一切と言っていいほどしてこない。

 過去一番衝撃的だったのは、土木作業員の怨霊を退治した時のことである。筋骨隆々としたその姿に死すらも脳裏を過ぎったのだが、いざ戦闘に入ってみれば逃げるばかりで何もしてこなかった。手には鋭利なスコップが握られていたが特に振り回してくる訳でもなく、護符で動きさえ封じればあっさりとその身を散らした。私がこの手で討ち取れた、数少ない相手だった。

「見掛けによらず大したことなかったね、お姉ちゃん」

 全身の震えを押し殺しながら振り返れば、姉は心底嬉しそうに頷いて見せた。

「見た目は人間そっくりだしたまに声を出したりもするけど、鍛錬さえきちんとすれば怨霊は怖くないよ。詩月が殺せて良かった」

 姉曰く、日頃の鍛錬は剣術を磨くだけでなく呪いや憑依への抵抗力を高める意味もあるそうだ。長年鍛錬させられてきたのにこれが初耳で、祖母への不満がまた一つ増えたのはよく覚えている。


 刃を振るうことで負の連鎖を未然に防ぎ、この街の平和を守る。そこだけ切り取って見れば差程嫌でもない。本当に幼い頃には、颯爽と魔を討つ姿に憧れを抱いたこともある。自分もいずれはああなれるのだと嬉しく思った記憶もある。

 けれど、物心ついてからはそんな浮ついた夢想をしたことはない。なにせ、付随するしきたりやらリスクやらが最悪なのだ。加えて私には討魔の素質が無い。なのにこの家の血は討魔師であることを強いてくる。こうなってくるともはや呪いである。

 呪いを討ち取る為に、自らが人生に呪われ続ける。姉ならいざ知らず、私にはとても無理な話だ。増してや――。


「聞いているのかい詩月! あんたのせいで陽菜実が怪我をしたっていうのに、反省の色一つ見せやしないで!」


 ――こんな老害に、向いてないことが明白な仕事をさせられた上で罵られ続けるなんて。

 私でなくても、普通の感性を持った人間なら誰でも辞めたいと思うに決まってる。相手が現役ならまだしも、とっくに引退していて普段は家にいるだけの婆さんなのだなら尚更だ。

 一条家の名誉に固執している祖母、家のしきたりに疑問を抱かない母、怨霊退治に喜びを感じている姉。立場の弱い父を除けば、この家の人間は誰一人としてまともな感性を持ち合わせていない。怨霊退治の苦しみを誰も分かってくれない。それが何よりも気持ち悪いし、腹立たしい。


「自分がやらかしたことを分かっているのかい? どうなんだい詩月!」


 ……いや、本当に感性がおかしいのは私の方なのかも知れない。少なくとも、この家の血を引いた人間としては。


「せめて返事くらいしたらどうだい詩月!」

「うるさいなぁ! 私に怨霊退治は向いてないって、いつになったら分かるの!?」

「またそれかい! 全く、陽菜実がお前の歳の頃は――」


 ああ、また始まったよ姉自慢。もう暗唱できるくらい聞いたって言うのに。そんなに姉と比べてどうしたいの? 姉みたいになれって言いたいの? 胡座かいて怒鳴り散らしてるだけで、私が姉みたいになれると思ってるの?

 私の振るう刃が重いのは、怨霊の外見の他にこれのせいでもあるのに。いつになったら分かるんだろう。何度言ったら通じてくれるんだろう。

 いっそ、私の刀でこの家の何もかもを斬り捨ててしまいたい。そう思うことは、もはや何度目か。とっくの昔に数えるのも諦めた。


 ◇ ◆ ◇


 討魔師に必要な要素とは何か、一度凛子に尋ねられたことがある。二年前、彼女と出会ったばかりの頃だったか。当時はまだ鍛錬しかしていなかったから、それらしいことを何も答えられずに終わった。

 でも、今なら分かる。討魔師として生きる上で最も重要な要素は、きっと「自己犠牲」だ。


 姉は、怨霊退治を「成仏のお手伝い」と称している。幼い頃はどうだったか覚えていないけれど、三年前に姉が討魔師になってからは間違いなくそう言い続けていた。

「亡くなった人も、自分から生まれた怨念が暴れてたら安心して成仏できないでしょ? だから、私達で怨霊を斬るの。そうすれば亡くなった人も安心できるし、なにより街の人達を守れる。それって凄く素敵なことじゃない?」

 私が御役目に就いてから、初めてこの仕事に疑問と不満を抱いた時。姉は、笑顔でそう語った。浮かんだ表情に曇りは一切見受けられなくて、彼女の心の底から出た言葉なのだと疑うべくも無かった。

 亡くなった人の為だとか、街の人の為だとか、スケールの大きいことを言っている筈なのに微塵もそれを感じさせない口振り。正義のヒーローのような人間が本当にいるという事実に、そしてそれが実姉なのだという現実に、私は少なからず嫌悪した。はっきり言って気味が悪かった。一番近くにいた筈の姉が、知らないうちに遥か彼方に行ってしまっていた。その実感も相まって、姉と上手く接することができなくなった。

 小学生くらいならまだ分かる。むしろ微笑ましいと思う。でも、姉は高校生だ。現実の残酷さも恐ろしさも、私以上に知っている筈である。その上でこう言っているのだから、私には正気とは思えない。あるいは、生来の能天気な性格の弊害がここまで出ているのか。どちらにせよ、私とは別次元の存在であることは間違いない。数々の欠点が無ければ、彼女を人間とすら認められなかっただろう。

 思想だけでなく、戦闘面でも姉は正義のヒーローたりえた。

 怨霊に生理的嫌悪を覚える私の分まで敵を討ってくれる。私が冷静に戦闘をこなせるように、数々の助言もくれる。私がミスをしても励ましてくれるし、祖母に叱られても慰めてくれる。護符で敵の動きを封じるのも得意で、薙刀の扱いも優雅で鮮やか。私生活はともかく、討魔師として、一条家の娘として姉は完璧だ。


 そんな完璧な姉だからこそ、不出来な妹を庇ったせいで負傷したのが祖母には気に食わなかったらしい。


「一条の名をどれだけ汚したら気が済むんだい! 昔からあれだけ鍛錬させても未だに討魔一つ出来やしない、やる気も無い、果ては他人の足を引っ張る。せめて、精進しようという気概くらい見せられないのかい!?」

 祖母の怒鳴り声は、一時間経った今も尚この家を震わせている。鼓膜を貫くような音が窓ガラスに反響して、甲高い音すら発している。恐らく外まで響いているだろう。もう慣れっことはいえ不快であることに変わりはない。

 幼い頃から、祖母が怒鳴るのは私を想っての事だと教わってきた。両親に不満を漏らしてそう言い聞かされたのは、一度や二度ではない。

 でも、そうでは無いのだと今の私にならはっきりと分かる。

「……討魔師の家柄と名誉がそんなに大事なら、優秀なお姉ちゃんだけ手元に置いて、私は養子に出すなりすればいいじゃない。そうすれば私が足を引っ張ることも無いんだし」

 長い間腹の底で渦巻いていた言葉を、ついに抑えきれなくて吐き出した。祖母は一度目をぱちくりとさせた後、ギョロリと目を剥いた。

「一条の本家に生まれておきながら、お前はどこまで恥知らずなんだい! それに、お前がいなければ陽菜実の負担が増えることも分からないのか! お前のせいで陽菜実の意欲まで削がれたらどう責任取るつもりだ!」


 ――やっぱりね。この期に及んでも家柄とお姉ちゃんのことしか見てないんじゃない。


 酷く屈辱的で絶望的な宣告をされたにも拘わらず、私の内心は高揚していた。長い間抱いていた仮説が正しかったのだと、目の前で偉そうにしているだけの老人の化けの皮を剥いでやれたのだと、そんな優越感が私の心を揺さぶっていた。

 口角が上がりそうになるのを抑えて、あくまで平静を装って言い返す。

「でも、ずっとおばあちゃんが言ってるんじゃない。『お前が足を引っ張るから陽菜実が怪我をした』って。私がいなければお姉ちゃんも怪我しないで済んだってことでしょ?」

「屁理屈を叩くな! 少しは反省できんのか!」

「屁理屈じゃないでしょ? お姉ちゃんを怪我させちゃったのは悪かったと思ってるけど、おばあちゃんにとやかく言われる覚えはない」

「自分の能力の低さを棚に上げて、何を偉そうに――」

「そもそも」

 煩く捲し立てる祖母の言葉を遮って、僅かに黄ばんだ眼球を憤り全てを込めて睨み付ける。

 討魔師になって半年とちょっと。鍛錬を積み始めてから早十年。時に不満を押し殺し、時に嫌悪し、時に怒りに身を焼かれてきた。それももう、ここで終わりにしてやる。今までなけなしの良心で言わないでおいてあげたことも、気にせず言ってやる。

 息を深く吸って、吐かずに両目と喉に力を込めた。


「時代錯誤のしきたりが幾つもあって、平気で人間そっくりの敵を刻んで、自己犠牲を喜ぶような狂った家なんて今すぐにでも出て行きたいわ。そのうち私まで頭おかしくなりそう」


 祖母も、その隣で体裁の為に座っていた母も、虚を衝かれたような顔をした。これ以上時間を無駄にしたくないのでさっさと立ち上がり、相手方の顔も見ずに部屋を後にする。

 襖を閉めた後で落雷のような怒号が聞こえてきたが、無視を決め込んだ。


 長年の鬱憤を吐き出したことで気分はそれなりに軽かった。けれど、別の憂鬱の波が私を飲み込み、視界を黒に染める。廊下の軋む音が耳について、不快感のあまり頭を掻きむしりたい衝動に駆られる。

 とりあえず、一人になりたい。今後のこととか進路希望調査とか色々考えなくちゃいけないことはあるけど、ひとまず一人になって頭を冷やしたい。重苦しいこの気分をどうにかしたい。

 それなのに。


「詩月……」


 タイミングが最悪過ぎるよ、お姉ちゃん。

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