第二話 光の差さぬ将来
家が好きでない私にとって、学校は掛け替えのない安息の地である。女子校ということもあってかクラス内での対立は無く、スクールカーストも皆無に等しい。流石に全員仲良しとはいかないが、気が合わない人とはそもそも関わらない。それが当たり前にできるこの場所が好きだ。
それに、この学校に入ってから初めて友達もできた。家の掟で女子校に行く為に無理やり受験させられたのは嫌だったけど、結果的に良かったのだと思っている。
長かった一日の授業を終えて、凝り固まった体をぐっと伸ばした。日頃の鍛錬のせいもあって、全身がポキポキと音を立てる。中学生からしていい音ではないな、といつも思う。
「詩月ってば随分疲れてるみたいね。ちゃんと休み取ってるの?」
いつの間にか横に来ていた凛子が私の顔を覗き込んでいた。
両腕を上に上げたままで、私は首を縦に振る。
「昨日も六時間寝たから。心配される程じゃないよ」
「そう? ならいいけど、あんまり無理するんじゃないわよ。あんた、何だかんだで頑張り過ぎるところあるんだから」
言いつつ、私の机に個包装のクッキーが置かれた。凛子の思考の断片が見えて、私は思わず頭を振った。
「だから、本当に大丈夫だってば。単に今日の授業内容が重かっただけで」
「はいはい。今のうちに好物で栄養補給しておきなさい」
それだけ言うと、私の言葉には耳を貸さずにスタスタと自分の席に戻って行った。その姿を見送って、私ははぁっと息を吐く。
「凛子には敵わないな」
流石は親友歴三年目だ、と机に置かれたクッキーを手に取る。見せないようにしていても、全てお見通しなのか。
ホームルームまでまだ少し時間がある。せっかく貰ったのだからと、包装を破って中身を噛じる。
数日前の夜姉に八つ当たりしてしまってから、結局今日まで謝れずにいる。翌朝顔を合わせてみたらいつも通りの姉がそこにいて、却ってタイミングを逃してしまった。傷付けてしまったはずなのにそんな様子はおくびにも出さず、笑いかけてくれる姉。なんとなく気まずく感じながらも、安心してしまう私がいた。
ひょっとしたら、姉はあの夜の出来事を全く気にしていないのかも知れない。そう思うことも多々あったが、確証は持てないし罪悪感も消えない。それに、去り際に見せた寂しげな表情も目に焼き付いている。能天気な姉だけれど、気にしていないと思うには無理がある。
謝ることすらできず、姉の優しさに甘えて何事も無かったかのように過ごしてきた。それが、どうしても情けなくて自己嫌悪を掻き立てる。最善な行動は分かっているのに、結局何もできない。討魔師としてだけでなく、人間としても終わってる。
口の中でほろほろと砕けるクッキーは、甘いはずなのにどこか苦味も纏っていた。きっと練り込まれたチョコチップのせいだろう。
甘くて美味しくて、でも苦い。しかし苦味の中にまた別の甘さが感じられる。食べ慣れているはずなのに、何だか不思議な味わいだ。
「貰ってばかりじゃ悪いし、後で何か返さないと」
凛子の好物はおつまみ類だったはずだから、帰りがけにコンビニで幾つか買うか。購買に売ってれば楽なのにな。
そんなことを考えながら最後の一欠片を口に放る。ふと、さっきの彼女の言葉が脳裏に蘇った。
「……『今のうち』って言ってた?」
普通に考えれば、帰宅してまた肩身の狭い思いをする前に、ということだろう。凛子以外のクラスメイトから同じことを言われていても、きっとそう解釈していた。
でも、彼女の場合は一概にそうとは言えない。なぜなら、今までにも――。
「お前ら席に着け、ホームルーム始めるぞ」
冷気と陰が忍び寄りつつあった思考は、入ってきた担任の一声によって中断された。ほっと息を吐いたのも束の間、教卓に紙の束が置かれたのを見て背筋に冷たいものを感じた。
なんとなく、しかしとてつもなく嫌な予感がする。数分前の凛子の言葉が、頭の中で渦巻き反響する。
学級委員の号令でホームルーム開始の挨拶をすると、担任はいそいそと例の紙を配り始めた。いよいよ心拍が加速し、脈打つ音が耳元で聞こえる。
前の座席のクラスメイトから紙を受け取り、書かれた文面に目をやって、親友の言葉は今回も『それ』であった事を確信させられた。
担任が内容を説明する。クラスメイト達はつまらなそうに紙を眺めているが、私は憂鬱と苛立ちと僅かな焦燥でそれどころではなかった。
ホームルーム終了後、私は担任に廊下へ呼び出された。そして、幾つか話をした。想定内ではあったけれど、私の憂鬱を加速させるには十分過ぎた。
◇ ◆ ◇
「中学生の進路希望調査で志望大学まで考えさせるとか、流石に飛躍し過ぎよね」
ビーフジャーキーを齧りながら、凛子は気だるげに言葉を発した。
「中高一貫だからってのは分からなくもないけど、中三でそこまで考えてる人なんて普通いないわよ」
私自身、文系か理系かも分からないもの。ビーフジャーキーの最後の一枚を口に収めた彼女は、大きく伸びをしながらこちらを見る。何でもない口振りではあるが、私の事を気遣ってくれているのは明白だった。
腰を下ろしているベンチは、十月の風に晒されて凄く冷たい。負の感情が入り乱れる心に、残酷なまでに突き刺さる。駅のホームから差し込む陽光が唯一の温もりだ。
何か言葉を返さないととは思うけど、声帯は震えず息ばかりが口から漏れる。凛子もこれ以上言葉が見付からないらしく、煩いはずのこの場所に静寂が流れる。
『一条は、家柄的にも大学進学するとは限らないだろ? 教師としては勧めたいところだが、無理に提出しなくても良いからな。親御さんとの折り合いも大変だろうし』
呼び出された際に、担任は抑え気味の声でそう言った。普段は快活な人なのに、こんな静かな声が出せるものなのかと少々面食らった。そしてそれ以上に、自分の将来が闇に飲まれているように感じた。
――私は、担任教師にすら討魔師として生きると思われているのか。
討魔に意欲的な姉が附属高校に通っていることもあり、仕方ないといえばそれまでなのだろう。それに、担任はあくまで大学進学を勧めたいと言っていた。担任まで「生まれた家柄に従うべし」という思想で無いのは有難い。担任に一切の否はない。
けれど、担任の気遣いが私の行く末を示しているようで絶望させられる。
討魔の家系に生まれたから、幼少期から鍛錬を積んで十五歳で御役目に就く。一条家の娘だから、高校卒業後は討魔に専念し二十歳でお見合いをする。そして、女の子を産んで討魔師として育てる。浮世離れしたしきたりに、私も従うことになる。そう突き付けられているようで苦しい。
討魔師という存在もその御役目も、世間に知られているとはいえ身近な存在ではないらしい。こんなおかしなしきたりがあることを、外部から指摘し改善してくれる人は一人もいない。
これが分家ならまだ救いはあったのに、どうして一条に生まれてしまったんだろうといつも思う。つくづく運命が恨めしい。
「……せめて、百発百中の凛子の『勘』が、今回だけは外れててくれたらなぁ。何も今日じゃなくてもいいじゃん」
思わず零してしまってから、自分の失言にはたと気が付く。凛子が口を開くよりも先に、首を振りながら言葉を打ち消す。
「あ、違うから! 単に進路希望調査が無かったらいいのにって意味で、凛子は何も悪くないから! そういう意味じゃないから!」
すると、重い表情で黙り込んでいた凛子は、ふふっと吹き出した。
「そんな必死な形相しなくても分かってるわよ。この期に及んでそんな誤解するはずないでしょ」
暗い面持ちが一変し、夕陽が輝くような笑みがそこにはあった。親友の笑顔とは不思議なもので、私の気持ちもいくらか晴れた気がする。その旨を伝えると、彼女は少し得意気に鼻を鳴らした。
「こんなのでいいなら、いつでも笑ってあげるわよ。なんなら怨霊退治も手伝おうかしら」
いつになく調子のいい発言に、今度は私が吹き出した。
「気持ちは嬉しいけど、討魔師の血が流れてないと討てないから無理だよ」
「やってみないと分からないわよ。どの地域のかは知らないけど、うちの遠縁に討魔師の家があるらしいし」
「たまに言ってるけど、本当なのそれ?」
「少なくともおばあちゃんは大真面目よっふふふ!」
「羽純家の伝承の信憑性低いなぁっははは!」
気が付けば、二人揃って腹を抱えて笑っていた。
お先真っ暗な私の人生も、雁字搦めの家柄も、凛子と一緒にいる時だけは見ないでいられる。私も普通の中学生でいられる気がする。
この掛け替えのない時間が、どうか永遠に続いて欲しい。
◇ ◆ ◇
「進路希望調査? もうそんな時期かぁ」
帰宅途中の電車の中で、偶然姉と遭遇した。この時点で凛子と共にいた高揚感は失せており、陰鬱とした気分を感じ取ったらしい姉に聞かれるがまま答えていた。
「私の時も思ったけど、中学生相手に志望大学聞くのも無理な話だよね。私なんて東大と京大しか知らなかったもん」
「お姉ちゃんに東大は無理だね」
「自分でもそう思う」
照れ臭そうにそう答える姿は、どこにでもいる平凡な女子高生だった。討魔の素質があるとはいえ、この家に生まれていなければ姉も普通に暮らしていたのだろう。そう思うと、なんだか妙な感覚になる。
「お姉ちゃんの時は、進路希望調査どうしたの? 適当な大学書いて出した?」
討魔師であることを誇りに思っている姉も、かつては私と同じ悩みを抱えていたのではないか。そんな淡い期待を胸に、問いを投げ掛ける。ひょっとしたら私の未来を変える手掛かりになるかもしれないと、どこか祈る気持ちで。
しかし、返答は最も『姉らしい』ものだった。
「ううん、出さなかった。担任の先生に『卒業後は御役目に専念します』って伝えて」
さらりと、事も無げに言われてしまい、私は黙るしかなかった。「やっぱり『いい子』だね」と口から出そうになって、すんでのところで言葉を飲み込んだ。
代わりに、数十分前にも思ったことを口にする。
「生まれたのが分家だったら、討魔師以外の道も選べたのに。本家だけ選べないなんて不公平じゃない?」
流石の姉も、これには同意してくれるだろう。そう思っての発言だったのだが、姉の反応はまたもや芳しくなかった。曖昧な表情で小さく唸るばかりで、以降は何も言わない。
少しむっとして、私は再度不満を吐き出す。
「だってそう思わない? お姉ちゃんが御役目に就いたばかりの頃に一緒に戦ってたお姉さん達も、就職するからって討魔師辞めたんでしょ?」
私自身は共闘したことがないとはいえ、過去に何度か会ったことがある。二ノ宮家の紫織さんと、三橋家の莉乃さん。お姉ちゃんと一緒に怨霊退治をしていたはずなのに、いつの間にか引退していた。それ以降会っていないけれど、彼女達と顔を合わせら嫉妬で狂う気がする。
姉は彼女達の引退に何を思っているのか。なんとなく聞けてないけれど、良い感情を持っていないことは何となく察している。それに、自分一人に全て押し付け辞めて行ったのに快く思う訳が無い。
「分家もうちと同じように厳しいか、反対にうちも分家くらい緩かったら良かったのに」
「……うん、そうだね」
何か返してくれてもいいのに、姉は最後まで微妙な反応のままである。何だか張り合いがなくて、結局その後はお互い無言で電車に揺られていた。
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