第一章11話『幕間・月に照らされて』

淡い光がナズナを包む。先ほどまで体を突き刺していた赤く染まったナイフは傍らに置かれ、傷口はモンクシュットの魔法によって凍らされ、止血処置も施されている。その光を見ながらモンクシュットはため息をこぼした。


 整った顔はどこかはかなげな表情を浮かべ、月明かりがそれを照らす。その横顔は傍から見れば綺麗なもの、華やかな物である一方で、モンクシュット個人の感情においては決してそんなことはない。煽りに屈し我を忘れ、目の前で自決を許した。今日一日で己の至らなさを痛感させられ、言葉には表しきれないほどの無念を感じていた。


 そして目の前で治癒魔法をかけられ、今なお目を覚まさないナズナ。本来であれば彼の傷も王国騎士であるモンクシュットが負わなければならなかったのだ。切り札ともいえるほどの大魔法を使用し、敵の状態もよく確認せずに勝利を確信してしまった慢心がすべてナズナに重くのしかかってしまった。そして、アイリスも命の危険にさらした。民間人に恐怖させてしまうなど、王国騎士としてあるまじき行為だ。その上、モンクシュットには治癒魔法が使えない。できるのはせいぜい傷口を凍らせるだけの荒療治。治癒魔法の使えるアイリスがこの場にいなければ確実にナズナは死んでいた。友人の命一つ救えず、治療の様をただただ眺めていることしかできないこともさらに自分自身を責め立てる要因となっていた。


「終わりかな」


 強くこぶしを握り、うつむくモンクシュットの鼓膜が揺れる。アイリスが氷も解け、すっかり塞がった傷口と、穏やかになったナズナの呼吸音を聞いて、寝っ転がった状態のナズナの頭をポンポンと一撫でして立ち上がる。


「ナズナは......」


「命の心配はないと思う。いつ目を覚ますかはわからないけど......」


 モンクシュットはこの場において2人目の死者を出さずに済んだことにほっと胸を撫でおろし、アイリスの眼前に片膝を着き、頭を深々と下げる。


「この度は私の至らなさにより、多大なご迷惑をおかけしました。この罰はどのような罰でもお受けいたしましょう」


 1人の王国騎士として、誠心誠意心からの謝罪。言葉の通りどんな罰、アイリスが死ねと言ったら死ぬ覚悟すらも持ち合わせていた。


 しかし、そんなモンクシュットにアイリスは笑いかけて、


「いいのよ、罰なんか受けなくても。彼だってそんなことを望まないと思うの」


 そう言って傍らに横たわるナズナを見る。モンクシュットもナズナとは数時間の付き合いしかないが、彼の人となりはよくわかる。たった一人の少女を助けるために騎士団に協力を仰ぎ、協力を得られた暁には涙を流す男だ。アイリスの言葉通り、ナズナもモンクシュットには何の罰も課さないだろう。


 しかし、この2人が許しても自分自身が許してはくれないのだ。


「ですが......」


「だけども何もないの」


 口をついて出たその言葉を即座にアイリスが遮る。


「1人で責任を負う必要なんてないの。私が命を狙われてたなんて全然知らなかったし、あなたたちが来てくれなかったら私は殺されてた。そんな私を助けてくれたのに、どうしてその中の悪いところだけを見ようとするの?」


 腕を組み、ほっぺたを膨らませて、跪くモンクシュットを見下ろしながらそう言った。本人としては少しでも威圧的に見せようとしたのだろうが、その仕草はかえって愛嬌を生んでいる。


「私の安全が目標だったんでしょう?それなら私は助けられた。それでいいの。だから」


 組んでいた腕をほどき、モンクシュットの頭に腕を伸ばす。そして、手のひらをモンクシュットの頭の上に置いた。


「ありがとう」


 優しい声でそう言った。モンクシュットの目には涙がにじむ。自分の愚かさがさらに際立つような気もした。だが、そんな感情すらも押し流すほどに綺麗な、何の淀みもない感謝だった。


「ほら立って。罰は、今度困っている人が居たらあなたが率先して助けてあげること」


「ありがとうございます。その約束、王国騎士の名のもとに必ず遵守させていただきます」


 モンクシュットはさらに深く頭を下げてから立ち上がる。


 華奢で小柄な少女なのは変わらない事実だが、どこかその姿は大きく見えた。それは心の大きさか、はたまた、王族としてのオーラか。モンクシュットは目の前の少女の強さを認識した。


「じゃあ、これで過去の話はおしまい。これからの話をしなくちゃ」


 パチンと手を叩いて、アイリスが話題を転換する。まず第一に話し合うのはナズナの身柄の保護先と、王族であると発覚したアイリスの今後の処遇。


 しかし、モンクシュットにはそれよりも気になることが1つあった。


「彼......ナズナとはどういったご関係で?」


「会ったこともないはず......なんだけど」


 面識がないと言われてモンクシュットはあっけにとられる。ナズナがモンクシュットの協力を何とかこぎつけて、思わず涙を流してしまうほどに救いたかった人物だ。恋人や生き別れの兄弟。前世で親交が深かったと言われた方が納得できた。


「1度も、ですか?」


「ええ、1度も。さっきお屋敷であったのが初めて」


 再確認するもアイリスからの返答は変わらない。2人の足元に横たわっている少年は、全く面識のない人の為に命をかけていたということだ。モンクシュットも騎士という立場上、見知らぬ誰かのために命をかけるということはないわけではない。しかし、それは騎士という立場があるからであり、そのような行動を国民に強いることは絶対にない。そんな行いを、この少年はやり遂げた。とんでもない精神力だ。ここまでするのには何か芯がいる。それが、救われた本人が覚えていない恩義だったのだろう。


「ですが、事実、彼はあなたが命を狙われていることを知っていました。私も彼に言われて貴族街に足を運んだので。それに......」


 彼は命をかけてあなたを守りました。モンクシュットはこの言葉を言おうとして慌てて飲み込む。この言葉を言ってしまえば彼の行動の真意を捻じ曲げてしまうことになる。彼があの時見せた涙の意味を無下にすることになる。


 それに、アイリスだって馬鹿じゃない。ナズナの行動が自分のための行動だったと分かっていることだろう。


 しかし、アイリスには行動するための動機が見当たらないのだ。


「私を守る理由がわからないのよね」


 アイリスが王族だと発覚したのはついさっき。アイリスが命を狙われたのが選定絡みのことだというのが分かったのもついさっき。だとすると、それらすべてを知っていての行動だとしか思えないのだ。


 実際はそんなことはない。ナズナはアイリスの素性も、国王選出のための選定も、何一つ知らず、本当に恩義と後味の悪さを残さないためだけに行動しているのだ。


 しかし、状況証拠を並べるとアイリスの中ではすべてを知っているとしか思えない。


「一度お父様にも確認してみないと」


「サントリナ様ですか」


「ええ、何か知ってるかもしれないし」


「では、彼の身柄はどうなされますか?正体こそ謎が多いですが、この一件に関して言えば彼は一番の功労者と言っても過言ではありません。騎士団の方に彼の保護を進言することもできますが」


 2人は再びナズナの処遇について話し始める。騎士団に保護してもらえばいずれは職ももらうこともできるし、生活は安定する。そして、これからアイリスが巻き込まれるであろういざこざには巻き込まずに済む。済むのだが、


「......私が一度保護するわ」


 それでも、聞きたいことはたくさんあった。体を張ってまで、自分を助けるに至った動機。彼は恩人だからと言っていたがその恩を売った覚えがない。そのことも聞かなければならないし、選定について、そして、ナズナ自身の出自について。黒髪黒目で変な格好をしている彼のことは不思議でいっぱいだ。それ故に彼には聞かなければならないことが山ほど残っているのだ。彼を危険に巻き込むかもしれないことは承知している。彼が目を覚ました時に別の道を選ぶのならば、その時こそはモンクシュットに言って騎士団に保護してもらうことも承知の上で、現状のナズナの身柄はアイリスが自分の意志で保護したいと考えた。


「了解しました。では、彼の身柄の保護はシューア家にお任せします」


 今一番考えなければならないナズナの身柄についての話し合いはいい着地点を見つけられたのではないかと思う。


 しかし、モンクシュットの仕事はまだ山積みだ。自身の魔法で凍り付いた貧民街の復興、アセビの遺体の処理と引き渡し、そして、アセビの裏に潜むアイリス殺害の首謀者の特定、捜索、逮捕。


「この場所は......もう一人の彼はどうなっちゃうの?」


 アイリスは少し離れた場所、未だ氷漬けのままで安らかな顔を浮かべる青年を見やる。その顔こそ安らかではあるが、凍らされていない左腕は振り子のように自由で、その足元には血だまりができている。彼の命はもうすでに潰えている。


「アセビの遺体は騎士団の方で引き取ります。あなたの殺害を企てた首謀者について何かわかるかも知れませんから」


「そう......あまり乱暴はしないでね。この人も、被害者だから」


 俯くアイリスの姿、そしてその口からでた言葉はモンクシュットの予想とははるかに異なったものだった。


 今日起きた出来事において、ナズナが居なかったとしたら確実に自身を殺していたであろう人物。彼も被害者だというのは事実だとしても、最後まで自愛の心をもって接することなど全く考えられない行動だった。


「わかりました」


 それゆえに、モンクシュットはまたも自分の愚かしさとアイリスの凄さをまざまざと感じさせられることになった。


「この場所についても騎士団にお任せください。アセビの仲間が潜んでいないとも限りませんのでその捜索もこちらで行います。この場所の復興については僕自身が責任をもって行いますのでアイリス様はご心配なさらないでください」


 モンクシュットはあたりを見回す。大魔法を使って家屋がなぎ倒されているのはもちろんのこと、それ以前の戦闘で周囲の多くの場所が自分自身の魔法で凍り付いており、改めて終始アセビに振り回される戦闘であり、いかに自分が力足らずなのかと思い知らされる惨状だった。


「そう、じゃあお願いします」


 ペコリと頭を下げるアイリスに、モンクシュットもそれよりもさらに深く頭を下げる。


 そして、モンクシュットは息を引き取ったアセビのもとに向かい、自身の魔法で生み出された氷を解除する。そして、遺体を横にさせて、上空に氷の魔法を放って他の騎士に合図を送った。


「もう少しで他の騎士がここに来るはずです。お屋敷への帰路はその者たちに護衛を付けさせますがよろしいですか?」


「モンクシュットじゃないのね」


「生憎ですが僕はこの事件の事後処理をする責任がありますので」


「そう、わかったわ」


「それと、気になることが」


 これでひとまずの話し合いは終わり。あとは無事に他の騎士がアイリスを送り届けるだけだ。今日一番の功労者であるナズナになんのお礼もできず、何の褒章も与えられないのが残念で仕方ないが、騎士としての仕事はひとまずは終わった。ここからは、モンクシュットの個人的な興味だ。


「選定への参加はどうなされるおつもりですか」


 アイリスは俯いた。そして、沈黙が流れる。モンクシュットも答えを急かそうとはしないし、アイリスもそれを察してか急いで答えを導き出そうとせずにゆっくりと、じっくりと考える。


「わからない。私が王族だっていう証拠も十分じゃないし、もし王族だったとしても急に参加するなんて言ったら他の人がいい顔をしないってことも分かってる。だけど......」


 重苦しく言葉を吐き出すアイリス。その言葉は弱々しくはあるが、一言ずつ丁寧に発せられる。


「私が背負っているハンデ。翆眼のハンデを持っている私が王様を目指すことは、他にも色んな理由で虐げられている人に大きな勇気になると思う。だから私は、選定に参加する」


 キリっとモンクシュットを見つめるその瞳に宿る確かな覚悟。


「その言葉が聞けて嬉しいです。次期国王候補アイリス様」


 再び、モンクシュットは片膝を折り、深々と頭を下げて敬意を見せる。


「で、でも、お父様に事実確認してからの話よ」


「そうでしたね」


 立ち上がり笑顔を見せるモンクシュット。そこに他の騎士が数名駆けつけた。




 意識ここにあらずのナズナは、アイリスの護衛を任された騎士に背負われてアイリスの屋敷に向かう。


 そして、モンクシュットは残った騎士と共に貧民街の調査。その顔は一段と険しい表情になっている。


 そんな3人を、夜空に浮かぶ満月が不敵に照らしていた。

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残機5つの高校生 和泉 楓 @kaede09fu

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