第一章8話 『貧民街の戦い』
ナズナが到着する約20分前。
「もう追いかけっこはおしまいか?」
貧民街の一角。建物はちらほらと見えるが、人が住んでいる気配は微塵もしない。モンクシュットは逃げるアセビを追いかけて、この場所へとたどり着いた。
「これ以上逃がしてくれないでしょ」
「ああ、そのつもりだ」
貴族街から貧民街まではそこそこの距離がある。そして、2人が駆けてきたの地面よりも不安定な屋根の上。にも関わらず、息が切れている様子はない。
「最後の警告だ。投降しろ。さもなくば力ずくで拘束させてもらう」
モンクシュットが腰の剣を抜き、左手に冷気を纏わせる。その目はアセビをじっと見据えて、逃亡を許さぬように視線で縛っている。一方でアセビは懐からナイフを1本取り出し、こちらもまた、モンクシュットから視線を離さない。
夕焼けに染まる空の下、強者二2人が見つめ合う。両者が小さく息を吐いた。刹那、先手を取ったのはアセビ。アセビは右手に握ったナイフをモンクシュットにめがけて放った。ナイフは銃弾のようなスピードで突き進む。
「なんの」
モンクシュットが素早く剣を振る。鉄と鉄のぶつかる甲高い音が、貧民街に響いた。弾かれたナイフは柄と刀身に別れ、地面に転がる。ナイフの陰に隠れての突進に備えて剣を構えなおす。しかし、突撃に備えるもナイフが発射された場所に人の姿はない。背後に気配を感じ取ったモンクシュットが剣を振りながら振り返る。またしても音が響く。背後から切りかかったアセビのナイフを辛うじてモンクシュットが剣で受け止める。
「やるね」
アセビは一度後ろへと跳躍し、体制を整える。
「次は僕の番だ」
モンクシュットが左の手の平をアセビへと向ける。
「『氷よ』」
アセビの足が踏みしめる地点が冷気を帯びる。
「『天を刺せ』」
モンクシュットの呼びかけに応じるように、アセビの足元から一瞬にして氷の柱が出来上がった。天を突きさそうかというほど高く、太くそびえたった氷の柱は貧民街の気温を大幅に低下させるほどの大魔法。しかし、
「危ない危ない」
氷の柱の背後からアセビが姿を現す。アセビには傷一つついていない。もちろん、一撃で決められるなどと思っていなかったモンクシュットだが、表情一つ変えないアセビを見て顔を曇らせる。
「では、これならどうだい」
モンクシュットは再び左手をアセビに向ける。
「『氷よ』」
言葉に呼応して、モンクシュットの周りに10本以上の氷柱が浮かび上がる。
「『行け』」
直後、氷柱が一斉にアセビの体へと叩きつけられた。
飛び交う氷柱は乾ききった貧民街の地面へとぶつかり砂塵を巻き上げる。規模こそ先ほど見せた天を刺す柱よりも幾分か小さいものにはなっているが、速度はこちらの方が遥に速い。一つでも当たれば戦闘は続行不可能の代物。それが10以上一斉に向かっていったのだ、反撃は無い。はずだった。
砂塵の奥が光る。貴族街でも見せた跳躍力を発揮し、アセビが高く飛ぶ。夕日に照らされた鋼鉄の刃がモンクシュットめがけて降りかかる。
「『氷よ、守れ』」
すんでのところで、モンクシュットは頭上に氷の盾を作り出し、アセビの強襲を防ぐ。渾身の一閃を防がれたアセビは飛びずさり、モンクシュットから距離を取る。
「『氷よ』」
先ほどと同様にモンクシュットの周囲に氷塊が浮遊する。しかし、先ほどよりも数が増えている。
「『行け』」
氷を飛ばす魔法。先ほどとは違う点は一斉にアセビに向かって発射しない点だ。先ほどよりも狙いすまされた氷塊がアセビを襲う。だが、アセビは持ち前の脚力を生かし、モンクシュットを中心にして旋回する。身を翻し、身を伏せ、宙を走る。所々に建つ家の壁をも蹴り、氷塊を回避する。避けきれないと直感で判断したときにはナイフを投げることで氷塊を迎撃する。
人間のものとは思えない身体能力で無数の氷柱を回避するアセビの前に、モンクシュットの氷塊が先に底を尽きる。アセビに攻撃は許していないものの、モンクシュットの氷塊がアセビに命中することは一度たりとも無く、その影響から周囲には氷柱が至る所に突き刺さり、家も草木も凍りついており、アセビが氷塊の迎撃に使用したナイフも散乱している。
そして時は戻る。日は沈みかけ、空には月が見えている。
ナズナが到着したときに目に入ったのは凍り付いた貧民街。地面に転がる無数のナイフ。そして、余裕の笑みを浮かべるアセビと、肩で息をしているモンクシュットの姿。
「来たか、ナズナ」
モンクシュットがアセビから視線を逸らすことなく背後にナズナが到着したことを確認する。
「隙を見て援護に回ってほしい。タイミングは君に任せるよ」
魔法を打ち続けていても埒が明かないと判断したモンクシュットは、ナズナに後方から支援を要請してアセビに斬りかかる。アセビは危機感を本能で感じ取り、ナイフをもう1本、左手にも携える。
先ほどまで貧民街に響いていたものよりも激しく響く鋼鉄が打ち付け合う音。両者の身体能力、または戦闘能力の高さゆえに常人がその戦いに入り込んでしまえば最後、首と胴体が泣き別れになることは必至だろう。こんな戦いに、THE・常人とも言えるナズナにどのような援護ができようか。竹刀で先頭に参加するか?首が飛んでいくだけだ。石を投げてアセビに攻撃するか?こんな状況でアセビだけを的確に狙えるだけのコントロールなんてあるはずがない。ナズナに残された選択肢はただただ見ていること、それしか許されていない。
「クソ......使えねえ......」
こんな時に魔法を使えたら。こんな時に超人的な身体能力があれば。たらればをごたごたと考えているだけしかできない自分に腹が立つ。
ナズナがそんなことを考えている間にも時は流れる。2人の戦闘は続いている。幾度か行われた刃同士の競り合い。一度も決着はついておらず、互角と言える。両者間合いを取るために飛びずさる。モンクシュットは次はいつ攻めに転じようかと思考する。その様子を見て、アセビが口を開いた。
「英・雄・の・息・子・もたいしたことないな」
ナズナには聞きなじみのない単語が聞こえた。アセビはモンクシュットに対して英雄の息子と言った。その言葉を聞いて、モンクシュットは先ほどよりも早く、鋭く踏み込み、アセビに刃を振るう。それすらも交わして不敵な笑みを浮かべる。
「そりゃそうか。魔獣から国民を守った英雄アキレア様もあっけなく死んじまったんだもんなぁ」
アセビは煽り続ける。英雄アキレアと英雄の息子、アセビの言葉を聞くに、モンクシュットの死んだ父親について話しているのだろう。傍から見ているナズナにとってはモンクシュットの冷静さを欠かせるための罠だと、簡単に理解できる煽り。
「その辺にしておけよ」
口調は冷静そのもの。しかし、ナズナの目に映るモンクシュットは顔が見えずとも、後ろ姿だけで激しく憤っているのが感じられる。
「あまり口車に乗せ.......」
「本当のことだろう」
ナズナがモンクシュットに呼びかけようとするもアセビがそれを遮ってアセビは煽りを続ける。モンクシュットの怒りはさらに深く、大きくなっていく。
「黙れ」
アセビを強く睨みつけるモンクシュットの周囲に氷柱が出現する。それらは一つ一つが地面に突き刺さったものよりもさらに大きく、そして鋭利になっている。これが当たれば恐らく致命傷になりうるだろう。
10、20、30。強い殺意をもってモンクシュットは氷塊を作り上げていく。
「殺せよ、英雄の息子」
アセビが最後の一手を打つ。モンクシュットは体を震わせて怒りをあらわにする半面で、必死にそれを抑えようともしている。頭ではこれが罠だと理解しているのだろう。
モンクシュットの周囲に浮かぶ氷柱が一斉に弓を引くように溜めを作り、一斉掃射の準備を開始する。恐らく、周りの建物ごと吹き飛ばしてでもアセビを殺そうとしているのだろう。
「モンクシュット!やめろ!」
ナズナの声は届いていない。氷塊が発射されようとした瞬間だった。
「何これ......」
ナズナの背後から、予想外の参加者の声がして、ナズナも、モンクシュットも、アセビもそちらに釘付けになる。
「なんでここに来たんだ」
その声の正体はアイリスだった。
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