第一章2話 『生き返るって気持ち悪い』

ぼーっとした頭がだんだんと晴れてくる。何が起きたのか、だんだんと頭が理解し始める。俺は、何かに轢かれて死んだ。体が吹き飛ばされ、骨は砕けて、頭がつぶれて......


そんなことを考えていると、目の前を何かが通り過ぎる。それは、馬車のようなもの。しかし、正確には籠を引くのが馬ではないため、馬車とは言えない。その籠を引いているのは大きな犬のような、オオカミのような、そんな感じの生き物だった。通り過ぎたタイミング的に、俺はあの乗り物に轢かれて死んだのだろう。頭がその事実をしっかりと理解し、体につい数分前に起きたであろう出来事の感覚が残っているように感じる。死んだ。その事実に耐え切れず、体が拒否反応を示す。ものすごい吐き気と眩暈に襲われて、俺はその場に座り込んでしまう。人々がごった返す中で、座り込む珍妙な格好をした青年。誰も声をかけるはずはないと思われていたが、


「おい、兄ちゃん。大丈夫か兄ちゃん」


俺が轢かれる前に警告してくれたであろう人物が、座り込んだ俺を心配して声をかけてくれる。とてもありがたい。人込みの中に座りこむ変な格好をした少年、と白い目で見られることは無くなりそうだ。しかし、あいにくその呼びかけに応えている余裕がない。そちらにリソースを割いてしまうと、吐瀉物を外には出すまいと気を張っている喉の頑張りが無駄になってしまう。商店街の真ん中であろう場所で嘔吐するわけにはいかない。しかもそんな場所で座り込んだままというのもとてつもなく邪魔だと思う。


「とりあえず、衛兵さん呼んできてやろう」


親切なおじさんが衛兵を呼びに行こうとしたとき、


「あの、その人は私が保護します!」


そう言って、人込みの中から一人の少女が飛び出してきた。




とても寝心地がいい。異世界の商店街の道路って、こんなにもふかふかなんだなぁ。そんなバカなことを考えていると、少女が俺の顔を覗き込んでくる。


「あ、起きた」


さらさらロングの金髪に緑色の目、いわゆる翆眼という奴だ。手足はすらっとしていて、身長はさほど大きくはない。155㎝ほどだろう。覗き込んでくるその美少女の整った容姿にはどこか品位や高貴さを感じる。それは容姿だけではなく、俺が寝かされている場所のせいもあるんだろう。うん十万はすると思われるソファが俺の下に敷かれており、天井にはシャンデリア。部屋には暖炉。しかも掃除は隅まで行き届いていて、埃一つない。お屋敷や豪邸と形容するのが正しい。どう考えてもこの世界だけではなく、日本でも相当な上流階級の人の住む家だ。


「おはよ。君、大丈夫?」


どうやら俺は身柄拘束宣言をされた後、ばたりと倒れてしまったらしい。そんな俺を、商店街のおっちゃんに、王都の貴族街の隅っこにあるこのお屋敷まで運ばれてきたらしい。案内したのはもちろん、今も心配そうに俺をいろいろな角度から観察している金髪翆眼の美少女だ。


「あ、うん。大丈夫だと思う」


無理をしてそう答えたわけではないということを証明するためにテーブルに置かれたコップ一杯の水を飲み干す。そして、上体を起こしただけの体をソファにきちっと座りなおすと、少女もテーブルの向こうのもう一つのソファに座る。その座り方一つとっても洗練された仕草が垣間見える。このすごい家に住んでいるということも踏まえて、きっと高貴な家柄の人物、貴族というものなのだろう。俺は無事だということを伝えると、貴族というよりは町娘のように微笑んでいる。不思議な感覚だ。彼女の笑顔や言葉はどこか安心するような気がする。そんな顔のまま、


「あなた、この辺の人じゃない......よね?」


「ま、まあ」


彼女は核心を突いてくる。俺はこの世界とは違う異世界から来たんだ!なんて言ったら間違いなく頭のおかしいやつ認定されてしまうに違いない。この場面で有効なのは。


「覚えてないんだよねぇ」


白々しいとは自分でも思うし、命を助けてくれた恩人をだましているという罪悪感もあり、目の前の少女と目を合わせられない。


「それって、記憶がないってこと?」


「名前くらいは、ギリギリ」


嘘です。物心ついてから、記憶喪失になんてなったことはありません。


「俺、本当は」


あきらめて本当のことを言おうとした時だった。


「じゃあ、迷い子ってことだ。記憶がないまま突然外に放り出されてる人のことを言うんだけど」


苦し紛れの記憶喪失という嘘は奇跡的に何とかこの世界に起こりうる事象と嚙みあったようだ。正直、自分も驚いている。


「そ、そうなんだよ!名前以外はすっかりでさ」


なので、ここはそれに乗じて記憶喪失の迷い子というのを貫いておくことにする。


「じゃあ名前、教えて?」


「あ、うんいいけど」


美少女に名前を聞かれるなんて、グループワークなどの必要最低限の場でしかなかったため、少し動揺してしまった。


「一ノ瀬薺。気軽に薺って呼んでよ」


「イチノセ・ナズナ。家名が先に来るなんて不思議な名前ね」


やはり異世界。日本人的な苗字が先という名前よりも外国人風の方が一般的だったか。ならばナズナ・イチノセと名乗っておくべきだった。


「あ、ごめんね。私の名前、まだ行ってなかったね」


少女は姿勢を少しただして、コホンと咳ばらいをした。


「私の名前はアイリス。アイリス・シューア」


そういうと彼女はすっと手を伸ばして、


「よろしくね、ナズナ」


差し出された手を握り、握手を交わす。華奢で小さな女の子らしい手だった。しかし、命の恩人だということを抜きにしても、その伸ばされた手の先を見ると、微笑むアイリスが頼もしく感じる。もしかしたらの話にはなるが、怪しい人に拾われたら一生奴隷として暮らさなければならないなんて未来もあったかもしれないのだ。異世界で行き倒れそうになっていた俺を救ってくれたのがこの子でよかったと心から思った。俺は本当に周りの人に恵まれている。


「もし、あなたが良かったらなんだけど、行く当てがないならしばらくこの家にいない?」


アイリスが俺の手を俺の手をより一層強く握り、提案した。もちろん俺としては断る理由はない。別にこの世界に行く当てなどはないため、この家に住まわせてもらえるならば御の字だ。だが、


「俺としてはありがたい提案だけど、なんでそんな提案を?」


「別に変な意味じゃないのよ!ただ、せっかく助けた人なのに、行く当てがないっていうのも分かっている人なのにここで見捨てちゃって、もし死んじゃったりしたら、夢見が悪いもの。だから、せめて、どこか、当てが決まるまでは、この家にいてほしいっていうか......そう!これは命令。私がいいっていうまでこの家で私にお世話になるっていう命令」


途中からのは照れ隠しだろうか。いろいろと理屈を並べて、命令だなんだとは言っているものの、この提案は間違いなく俺のことを気遣ってのことだ。しかし、記憶が無く、おかしな格好。そして、この世界ではおかしな名前をした初対面のやつにこんな提案をするアイリスはきっと、根っからの善人なんだと思う。


「わかった。じゃあお言葉に甘えてしばらくはこの家にお世話になるよ」


「本当!よかった」


ほっとした表情を浮かべるアイリス。


「あと5日もすればこのお屋敷の家主、私のお父様も来ると思うから、あなたのことは一度お父様にも相談してみるわね」


こうして俺とアイリスのお屋敷暮らしが始まった。




ここから俺の長い長い5日間が幕を開けることになるとは、この時の俺は思いもしていなかった。


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