侍と獣たち-1

 円柱ガールを自称する得体の知れない女に背を向け、白装束の少女は柱を出る。すると、万雷の喝采が彼女を出迎えた。初めの数度こそ戸惑ったが、今では慣れたものだ。

 闘技場に入場する際に使う柱と、退場する際に使う柱は同一ではない。つまり、全く知らない区画に放り出されることは稀ではなかった。各地に点在する柱は百三十二本。目当ての人物に会える可能性が百三十二分の一であることを考慮すれば、出待ちは鬱陶しいどころか、可愛らしいものだ。

 満面の笑みで歩み寄ってくる観衆をあしらいつつ、少女は周囲の様子を観察した。案の定、初めて見る風景が広がっている。足元に広がる地面はコンクリートに覆われ、所狭しと起立する灰色の建物は背が高い。オフィス街といった風情だ。そう思って、少女は呆れたように笑みをこぼした。それは、汗水流して働く人間がいてこその言葉だ。この世界で使うべきではない。

 カメラを構え、雑誌記者の真似事でもしているような人々の間をするりと抜けて、少女は細い路地に飛び込んだ。追ってくる者もあったが、入り組んだ路地を気ままに走る少女に追いつける者はなかった。

 追手を撒いたのを確認すると、少女は速度を緩めた。ここがどこなのかは不明だが、問題はない。もとより決まった拠点などないのだから。もっとも、いつどこに放り出されるか分からないこの世界では、そういう人間も少なくない。

 当てもなく歩く少女の耳に、男の声と、犬の鳴き声が届いた。男は二人で下品な笑い声を上げ、犬の鳴き声は今にも消えてなくなりそうなほど細い。少女は考えるより早く、声の方へ駆け出していた。

 入り組んだ路地の奥の奥、三方をビルの壁に塞がれた袋小路。幅三メートルほどの路地で、二人の男が横たわる子犬を交代で蹴りつけていた。全身痣だらけの子犬にはすでに鳴き声を上げる体力すら残っておらず、蹴られるたびに微かに呻くばかりだ。

「おいおい、そろそろ死んじまうんじゃねえか?」

 背の低い小太りの男が、心配そうに言った。無論、心配の理由は犬の安否ではなく、自分たちの玩具が壊れてしまうことにある。

 答えたのは、恍惚とした表情で一際強い蹴りを炸裂させた長身痩躯の男。

「よく持ったほうだがな。まあ、ダメになったら次を探せばいいだろう。なあ!」

 怒号とともに、男の爪先が犬の腹部に突き刺さる。子犬は血の混じった唾を吐きだしたが、いまだ絶命には至らない。戦人の身体能力をもってすれば野良犬など蹴りどころか、軽い張り手一発で即死させられる。男たちがあえて手加減しているのは、少しでも長くこの娯楽を楽しむためであった。

 犬が激しく痙攣しだすと、長身の男は動きを止めた。

「おっと、つい加減を間違えたか。今回の止めは、お前の番だったな」

「そうだよ。まったく、冷静そうな顔しといて、意外とすぐ殺っちまうんだから」

 小太りの男が犬から距離を取る。助走をつけて本気で蹴り飛ばすのが、最近のマイブームだった。一瞬で粉々にしてしまうため、最後の一発にしか使えないのが難点だ、と彼は考えている。

 小太りの男が全力疾走し、勢いそのままに鋭い蹴りを繰り出す。噴き出した鮮血が周囲の壁を赤く染めた。

「ぎ、ぎああああっ!?」

 だが、苦痛の叫びは小太りの男の口から飛び出した。それが刀傷だと先に気付いたのは、呆気にとられている長身の男だった。

「……なんだ、お前」

「……」

 血に濡れた白い刀を携えた少女は、無言。だが、釣りあがった眉と、刀を握る手に浮かぶ青筋が、彼女の激昂を示していた。

 男とて、闘技場外の私闘は初めてではない。だが、その相手は自分に少なからぬ因縁を抱く相手に限られた。ケンカを売る場合も、買う場合もだ。だが、今回は違う。この少女と相見えるのは、初めてのことだった。

「くそっ……なんだよお前! 俺が何かしたかよ!?」

 足から血を流しながら、小太りの男が立ちあがる。そうだ、いきなり襲われる心当たりは、二人ともなかった。

 すると、男たちの態度に、少女の身体から溢れる憤怒の気迫がその濃さを増した。

「何かしたか……そう言ったの?」

 背筋の凍るような冷たい声とともに、少女が刀を構える。眼前の得体の知れない死神のような少女に、二人の男は戸惑うばかりだった。

「止まれ、辻斬り」

 低い重厚な声は、三人から少し離れたところから聞こえてきた。声の主は、くたびれた背広を着たやせ形の男。顔の右半分は鬼の面で隠れている。右手に持った白銀の拳銃は、少女の頭に照準を定めていた。

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