新参者-3
「そうだ、リリナ。ここにはあれ、置いてるか?」
「はい。お店を開くときには一冊は確保しとけ、ってルールですから。モニターの下の台にありません?」
ゲンは早速、言われた場所の捜索に当たった。ほこりをかぶった本が何十冊も積み重なっている中から彼が引き抜いたのは、分厚く古い書物。六法全書にも匹敵するページ数だ。
「ほれ、大和」
「えっ……これ、読むんですか」
「最初の見開きだけでいい。ほかを使う機会なんぞ、そうそうないからな」
「ほんと、紙の無駄ですよねえ。リーフレットで済むのに」
大和は色あせたページを破壊しないように用心しつつ、ゆっくりとページをめくる。最初に記されているのは、この世界に来たばかりの新参者に向けたメッセージのようだった。曰く、
一、殺人ハ重罪ナリ(闘技場ヲ除ク)
二、必要ナ全テノ物ハ国ガ保障スル
三、闘技場ヘノ召集ニ抵抗シテハナラナイ
「言ってることは分かるけど……闘技場っていうのは?」
「中継してるだろ、あれだ」
ゲンが指差す先のモニターには、二人の男が戦う様子が中継されている。片方は身の丈ほどの戦斧、もう片方は身の丈の倍以上もある薙刀を振るっている。
「……プロレスみたいなもんですか?」
「客が戦いを求めてるって意味じゃ、性質としては似てるかもな。ただ、最も大きな違いは……」
ゲンの言葉を遮ったのは、闘技場の歓声。見ると、振り下ろされた戦斧が、男を真っ二つに引き裂いたところだった。断末魔の絶叫を上げる間もなく、鮮血が噴水のように闘技場に降り注ぐ。戦斧の男は、勝利への陶酔と生存への安堵に、顔を紅潮させていた。大和の目が点になる。
「は……?」
「……最も大きな違いは、闘技場での決闘は、どちらかが死ぬまで終わらないことだ。ギブアップもタイムアップもない」
ゲンの表情は険しい。リリナはぼんやりと天井を眺めている……否、あえて画面から目を逸らしている。
だんだんと状況を呑みこめてきた大和は、その体を震わせた。恐怖ではない。それは、怒り。行き場のない怒りが、その体を支配していた。
「……なんだよこれ。殺されてここに来て、また殺されなきゃならないのか……?」
「その通りだ、大和。私たちは、常に二度目の死と隣り合わせの状況にある。その死も、娯楽の提供という名の犬死にだ。もっとも、この世界のほとんどの人間はここを楽園と呼んでいるがね」
「楽園……!? 嘘だろ、だって」
「最初はみんな、大和さんみたいに怒りに震えるんですよ。でも、みんなすぐにこの世界の虜になっちゃうんです。欲しいものは何でも手に入るし、したくないことは何もしなくていいし……さっきの三人だってそうです。昔は、闘技場の中継で盛り上がったりなんかしなかったのに」
リリナが怒ったような、諦めたような声で呟く。
「何もしなくても何でも手に入るこの世界にいると、だんだん退屈になってくるんです。だから、娯楽が欲しくなる。それが闘技場なんです」
大和は言葉を失った。同時に、理解した。ここに人が寄り付かないのは、リリナの腕のせいでは断じてない。闘技場という娯楽を否定するリリナとゲンが……この世界における異端が、いるからなのだと。
重苦しい沈黙を破ったのは、扉がゆっくりと開く音だった。視線をそちらに向けたリリナは、喉から出かかった歓迎の言葉を呑みこんだ。ゲンも、鋭い眼差しで来訪者を睨み付けている。来訪者が不気味に笑う。
「招かれざる客、って感じですねえ。まあ、嫌ではありませんよ。こういう反応は新鮮ですからねえ」
くぐもった声は、鬼を模した不気味な仮面の下からもれ出ている。体つきは細く、背は高い。その上、漆黒のローブで全身を覆っているので、性別すら定かではなかった。
突然の来訪者に身を硬直させる大和をよそに、仮面の使者は大和の肩にそっと手を置いた。
「次は君だ。渡辺大和クン」
何の説明もないその言葉に、しかし大和は、本に記されていた一説を思い出した。
――三、闘技場ヘノ召集ニ抵抗シテハナラナイ――
「……闘技場、ですか」
「うむ、君は察しがいい。いかにも、君はこれから闘技場で華々しくデビューするのですよ」
ゲンが拳を握りしめ、リリナが顔を背ける。だが二人とも、使者の邪魔をしようとはしない。経験が二人に教えている、それをしたところで無駄であると。たとえばここで使者を殺したとしても、一度決まった闘技場への召集はなくなりはしないのだ。
大和は抵抗の無駄を覚り、退出を促す使者に大人しく従った。そういえば、生前殺される時も、勝手に諦めて無抵抗だったか。他人事のように、大和は思い出していた。
「……大和」
ゲンの声に振り返る。
「誰でも通る道だ。君はいざという時、殺すことを躊躇うかもしれん。だが、殺してでも生き残るんだ。我々に、次はないのだから」
力なく笑った大和は、使者に背中を押され、バーを後にした。
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