新参者-2

 目が覚めたらここにいた。少年の現状を言語化するなら、それ以外にはなかった。

 ただ一つ分かっているのは、故国の日本とは違う国らしいということだけ。道は舗装されず薄茶色の土がむき出しで、自動車の姿はなく馬車が行き交っている。建物も木造の古いものばかりだ。

 その上、この町は暗かった。常に外灯が煌々と輝き、空には星どころか月も雲も出ていない。それが、何十時間経ってもそのままなのだ。昼と夜の区別が、ここにはなかった。

 件のバーは、その町の中でも特に閑散とした区画にある。外灯だけは数多くあるものの、人の行き来がほかと比べて明らかに少ない。空の暗さもあって、初見では恐怖心すら抱く場所だが、少年があえてここに足を踏み入れたのは、人ごみを避けるためだった。落ち着いて考えるなら、人が少ない方がいい。

「いらっしゃいませ。お早いお帰りですね」

 扉を開けると、リリナの優しい声が少年を出迎えた。

「あの人たちは、いないんですか?」

「暇人ばかりではありますけどね。四六時中ここにいるわけじゃないですよ」

 来客だというのに、リリナは椅子から立ち上がろうともしない。少年は前回と同じ、カウンター席に腰を下ろす。

「カルアミルク、頼んでいいですか?」

「飲まずに帰っちゃいましたもんねえ。いいですよ、ちょっと待っててくださいね」

 準備のため、ようやく重い腰を上げるリリナ。冷静さを取り戻しつつある少年は、その様子を観察する余裕を持っていた。

 なるほど、男たちが少年をリリナ目当てだとからかっただけのことはあって、美人には違いない。細くしなやかな体つきは、小柄ながらも妖艶な魅力を醸し出している。カールした金の長髪と黄金の双眸が、白い肌に映えて輝いている。

「少しは落ち着きましたか?」

 大きめのグラスを少年に差し出しながら、リリナが笑いかける。気を遣ってくれているようだと、少年は声色から判断した。

「そうですね。えっと……リリナさん、でいいですか?」

「リリナ・ショットランタっていいます。リリナでもリリちゃんでも、お好きに呼んでください」

「じゃあ、リリナさん。俺やっぱり……死んだんですよね。じゃあ、ここは」

「死後の世界。陳腐な響きだがね」

 少年の言葉を継いだのは、背後の男。リリナがほっと溜息をついた。

「助かります、ゲンさん。解説って苦手なんですよね、私」

「よく知っているとも。彼がそろそろ戻ってくるかと思って、わざわざ来てやったよ」

 ゲンは少年の隣に座りながら、品定めするように少年を眺めていた。

「しばらくぶりだな、少年。私は……まあ、ゲンと呼んでくれ。皆もそうしている」

 ゲンは筋骨隆々の大柄な男だ。漆黒のスーツに紺のネクタイ、黒縁の眼鏡と、生真面目なセールスマンを思わせる出で立ちだが、隠しきれない筋肉の厚みがそのイメージを邪魔している。とはいえ、柔和な微笑みを浮かべる彼からは、威圧的な雰囲気は感じない。

 それよりも目立つ特徴は、右腕がないことだった。もっとも、少年が驚いたのはそのこと自体ではなく、先の自分がそれに気付けぬほど動揺していたことだったが。

「はい、ゲンさん。俺は渡壁大和です。昨日は……いや、まだ一日経ってないのかな」

「そのあたりの判断は難しいな。ここには日の出がないし、時計を持っている者もごく少数だ。まあ、それだけ時間には無頓着な世界なんだよ」

「世界……やっぱり、ここは俺の知ってる所じゃないんですね?」

「そうだ。ここは死者……それも、殺された者の魂だけが転生する世界だ」

「殺された……?」

「ああ。私も、リリナも、もちろん君も……この世界の全ての人間は、誰かに殺されたからここに来ている」

 大和はちらとリリナの様子を窺うが、別段変わったことはない。すると、大和の視線に気づいたリリナが、優しく笑った。

「もう随分と長い間こっちにいますから。正直、あんまり覚えてないんですよ」

「こういう奴も、ここでは少数ではない。君もしばらくは悩むことになるだろうが……いずれ、乗り越えられるさ。そうなれば、ここで楽しく暮らせばいい」

 リリナからカルアミルクを受け取り、一気に飲み干すゲン。それに触発されて、大和も続く。

「あ、美味い。美味いです、リリナさん」

「ふふふ、そうでしょうそうでしょう」

「ここに来る奴はこれ目当てさ。これ以外はからっきしだからな」

「ゲンさんまでそういうこと言う……」

 殺された、という重い過去を背負っているようには見えない、明るい笑顔。少なくとも、この二人はここで楽しく生きているようだ。文字通りの、第二の人生を。

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