第5話 ヴァンパイアの悪酔い

「またか」

「すみません、こういう相談、多いんですよね」

「もう受け付けちゃったんでしょ、仕方ないよ」

 ここは献血ルームのとなりのNPOの小部屋。その、奥の事務席の片隅。

 受付をはじめたばかりの新人職員相手に、先輩が相談に応えている。

 先輩も後輩も、時節柄マスクをしている。

 訪問者用のガラスドアの外にも内にも『新型コロナウィルス対策として施設内ではマスク着用をお願いしております』という張り紙がある。

 一方開けた受付の向こうはがらんとして、待合にも一人しか居ない。

 手首の内側に規則的に並んだ切り傷跡をいくつもつけて、それを隠すようにシュシュを巻いた少女である。

 その子はソファに座って、スマホをじっと見て間をもたせている。

 今日の午後の最初の訪問者はその子だった。


 ここはヴァンパイアのための生活支援団体『あかいまごころ』の支部である。

 基本的には献血で集められた血のうち、保管期限が過ぎてしまったものの一部を引き取って、国内に生活する人数非公表のヴァンパイアに提供する業務をしている。

 だが一方で、個人からの血液提供のための窓口もある。

 そして、そういう窓口だけに、変わった相談者もやってくる。

 その少女の相談はこうだった。

『リストカットの血を引き取って欲しい』

 ――事前の質問票には、こうある。現在通院中の病院の欄に精神科、常用薬の欄にいくつかのジェネリックの精神科処方薬の名前。

 その質問票のボードを見て、先輩はため息をついた。

「薬飲んでる人の血と飲酒時の血は受け取れないって、説明したよね」

「はい、それ飲んだ方が間接的に薬の成分飲んじゃうので」

 先輩は後輩に言った。

「そう、特に精神科の薬と酒は、ハイになったり落ち込んだりするから要注意」

「すみません」

 後輩はそうわびた。先輩はさらに追い打ちのようにぼやいた。

「私も10代の頃はリスカやってる子の血もらって飲んでたけど、薬の入った血って、アルコールの入った血と同じくらいはっきり酔うからね」

 ――そういう先輩のマスクの下の顔は、わかりやすいほどに他のいわゆる普通の人とは違う。上の犬歯が八重歯と呼ぶには鋭すぎるほどに長く伸びている。

 先天性のヴァンパイアである。

 3日に1度、体重の1%程度の血を飲まないと頭痛や情緒不安定などが出る。それは1週間から10日ほどで被害妄想や加害衝動などにかわり、半月後には冷や汗や強い震えが出て、最終的には心神喪失状態となり発作的に人を襲って生き血を吸う。

「けど、なんか、このまま追い返すのも忍びなくて」

 そういって、後輩はタッパーにおさまった赤い液体を見せた。

 先輩はそれをみて、ごくりとのどを鳴らした。

 ――先輩も、そろそろ3である。

「もう持ってきちゃってるのか……もしかして『薬飲まずに切ったから大丈夫』とか言われた?」

 後輩は渋い顔でこくんとうなずく。

 先輩は頭をかかえた。それから、後輩をなぐさめるようにぽんぽんと肩を叩いた。

「リスカしないで済むための薬飲むのやめてリスカしてたら、世話ないわ。ったく」

 先輩はそうぼやいて席を立ち、「ちょっと待ってて」と事務室の奥の引き出し棚に向かった。

 いくつか棚を確かめて、一枚のチラシを出してきた。

「今回は引き取るって伝えて。それから、『次回からは処置室で血を抜きますから、こういう形では持ち込まないでください』ってきちんとお伝えして。それから、渡せそうならこれを」

 連携団体である『未成年の精神疾患療養者のための支援NPO』の行っている互助イベントのチラシである。

「はい、すみません」

「いいよ。同じような子が来たら、他の古株に受付変わってもらって。まだ自分で対応しようとしないで」

「はい、すみません」

 そう繰り返しわびて、後輩は受付に戻ろうとした。その肩をつかんで先輩はとめる。

「そのタッパー、置いてきなさい」

「え」

「処分しとくから」

 そう言われて、後輩はタッパーを先輩に託して、窓口にもどった。

 先輩は一人きりになると、そのタッパーをしばらく見つめ、質問票の薬を携帯電話で検索した。検索して現れるのは、中学時代の級友が飲んでいたものと同じ成分名ばかりである。

「……結構重たい薬出されてるじゃん。ちゃんと治療してくれよ、ったく」

 そうぼやくと、先輩はタッパーの蓋をあけて、その角から升酒のようにぐいっとあおった。

 凝固しかかった血はにこごりのように口に垂れ、唾液に溶けてのどの奥に流れていく。

 その感覚に懐かしさを憶えつつ、同時に淡い罪悪感を憶えた。

(……あいつ、元気にしてるかな。ちゃんとリスカやめたかな……)

 先輩は空にしたタッパーを手に給湯室に行き、それを洗って燃えないゴミに捨てた。


 ――席に戻り、事務作業に戻る。

 ほどなく、パソコン画面の計算表が記号の羅列に見え始める。

 頭の奥がまるで塩漬けにされるように思考が鈍っていくのを感じる。

「……なんだよ、やっぱり薬飲んでんじゃん。……やっぱ飲まずに捨てるべきだったか」

 すでに飲んでしまったものは仕方がない。

 机の下から私物の飲み口付きの魔法瓶を出し、中身のいくらかぬるくなったコーヒーを、ぐびぐびと飲み干した。

 机に突っ伏して、腕時計を見る。

 現在午後1時半、今日の勤務時間はあと4時間半。

 よろよろと立ち上がり、奥の上座の席へと向かって歩いた。

 倦怠感で弛緩した体を気合で押すようにして上司の席にたどり着くと、そこに座った壮年の大先輩にぐったりとうなだれるように頭をさげた。

「すみません、今日は早退させてください」

「どうしたの」

 そう聞かれて、ありのままを白状すると、大先輩は苦笑いして

「わかった、一人で帰れるか? タクシー呼ぶか?」

 と言ってくれた。

「タクシーは自分で呼びます。お疲れさまでした」

 詫びるようにそう言って、よろよろと自分の席に戻り、残りの仕事を後輩に息も絶え絶えに引き継いだ。

 帰ろうとすると、大先輩は先輩を呼び止めて、小瓶に入った血を渡した。

「帰る前にちゃんとしたの飲んで行きなさい。多少は楽になるから」

「すみません」

 そう侘びてマスクをずらし、受け取った血を栄養ドリンクのように一気に飲み干した。

 まるでキツい酒でも飲み干したように息をついて、マスクをつけなおす。大先輩はその手から空の瓶を受け取った。

「明日も薬が体に残ってるようなら、有給つかっていいからな」

 瓶を専用のゴミ箱に落として、恰幅のいい壮年のヴァンパイアはそう言った。

「はい、失礼します」

 先輩は日傘をさし、まるで秋口の蚊のようによろよろとした所作で、昼の街へと出ていった。

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