第3話 酒の中の悪魔

 孤独であることがつらいのではなく、孤独だと感じることがつらいのだと誰かが言った。

 隣の芝生が青く見えるというのは言い得て妙な言葉だと思う。

 口から火が吹けそうなほど、酒で頬が熱い夜。

 飲み干した心のなかにすさぶのは、まるで森林火災の炎の旋風のような憤りだった。

 それを慰めてくれるものがないから口にした酒が、まさに火の酒となって心を焼け野原に変えている。

 私は声を失った雄鶏の朝のように、鳴くことも出来ないまま、のどを酒で焼いている。


 おぼつかない足でトイレに立ち、鏡を見れば真っ赤な目をした悪魔がいた。

 赤い頬に赤い舌で、息を荒くしている。

 水を飲めど動悸は止まらず、座り込めど息は休まらない。

 子守唄ももう聞こえない。優しく頭を抱えてくれるかいなもない。

 あるのは暗い廊下だけだ。


 いつからこうだったのだろう。

 酒の悪魔は、鏡の中で隣りに座った。

「まだ隣は青く見えるか?」

 冷笑だけが慰めになり、体は寒さに震え始めた。

 ――酒は分解されるほどに体温を奪う。

「お前のほうが青い顔だ」

 悪魔はそう言い、わらう。

 黙れと怒鳴ることも出来ない。他の誰も居ないのだから。


 めまいの中で立ち上がり、壁をなでて歩く。

 酒の悪魔は影になり、寄り添いながら背をさする。

「お前が悪いわけじゃないさ」

 心にもない虚しさが、空の部屋に音も無く響く。


 あふれるほどの水をつぎ、こぼれるほどに飲み下す。

 窓辺に座り月を見る。

 窓を開けて、外に出る。

「お前には羽がない。飛べないのなら、立たないことだ」

 悪魔は諌めるようにそうつぶやいて、寒気を羽織らせ私を戻す。


 悪魔は別れも告げずに帰り、私はただ震え、孤独の暗みに身を伏せる。

 鈍る思考を僅かな救いに、隣の芝も見えぬほど、低く伏せて、寝息を立てる。

 そうでなくとも明日は来るのだ。

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