46 かみさま

「バアルさん、ごきげんよう」


 屋敷の中に入ると、白髪の少女が迎えてくれた。


「あぁ、こんにちは、お嬢さん」


 ルミス、少女、メイド。

 3人の美女に囲まれている俺。

 なんだか幸せだな。


『バアル?』


 っと、違う違う。

 俺は目的があってここにやってきたんだ。


「早速だけど、君のお兄さんに会わせてくれるかい?」


「ええ、勿論。兄様あにさまも楽しみにしているもの。早く、早く行きましょう?」


 言いながら、少女は俺の手を引いて案内をしてくれる。

 流石貴族の屋敷だ。この屋敷だけでコリン村よりも大きいかもしれない。

 目的の部屋に行くだけで一苦労だ。

 でも、行く先々で使用人達が頭を下げてくるから、偉くなった気分になって気持ちがいい。

 いや、実際偉いのは前を歩いている少女なんだろうけど。


「いよいよ……いよいよだ」


 歩を進めるにつれて、心臓の鼓動が早くなってくる。

 ルミスを生き返らせてくれる人物と会えるんだ。

 とても正常ではいられない。


 長めの廊下の奥に、一つの扉を見つける。

 おそらく、あの部屋が目的の部屋なんだろう。


 心臓の鼓動の早さに比例して、俺の歩みも速くなる。

 その歩みは次第に早歩きとなり、最終的に走っていた俺は、いつの間にか少女を追い越していた。


「ここに、神様が……っ!」


 感情が昂る。

 そのすべては、ルミスへの愛だ。

 ただそれだけが、俺を強く動かしている。


 やっと、ルミスが生き返ることができるんだ。

 ここが俺の物語の終着点なんだ。

 俺達はハッピーエンドを迎えるんだ。


 ついに扉の前に辿り着き、あと数歩で部屋に入れるというところで──


「……っ!?」


 ──俺の歩みは、完全に止まった。



 つい先ほどまであれほど高まっていた感情が、急速に引いていく。


 なん……で?


 この扉を開けてはいけない。

 この奥に進んではいけない。

 なぜか、愛よりも更に本能に近い感情が、そんなことを訴えてくる。


 なんでだ?


 ほんの少し走っただけなのに、全身が汗で濡れている。

 何か……呪いのようなものだろうか。

 悪神である俺が気圧されるほどの何かが、奥の部屋から溢れ出ている。


 ──ヒュー、ヒュー


 こんな豪華な屋敷でも、隙間風が入ってきているのか。

 一瞬そう思ってしまうほどに、俺の呼吸はまともではなくなっていた。


 駄目だ。入れない。

 ここまで来て、この部屋に入ることができない。


 いいや、それこそ駄目だ。

 俺は、何としてもルミスを生き返らせないといけない。

 なら、いくら怖くても、この部屋に入らなくちゃ。

 そもそも俺は、何に対して怖がっているんだ?


「ビビるな……大丈夫だ。俺は、愛と力の戦士なんだ……」


 自身を鼓舞していると、背中に何か冷たいものが触れる。

 いつの間にか、少女が追い付いていたようだ。


「うふふ、どうしたのバアルさん。どうして中に入らないの? 愛と力ね……いいえ、私は愛と勇気と聞いたわ」


 愛と勇気。

 成程、確かに俺に今足りないのは勇気なのかもしれない。


 鬼が出るか蛇が出るか。

 どんな地獄が待っていようとも、俺の願いはただ一つ。

 何があってもルミスを生き返らせるんだ。


 俺は物語のハッピーエンドを信じ、その扉を開けた。




 そこでは黒い髪の少年が、豪華な椅子でくつろいでいた。

 少女は兄と言っていたけど、年頃は変わらなさそうだ。双子なのかもしれない。

 白い少女よりも、更に白いその肌は、とても人間のものだとは思えなかった。


「あはは、ようこそ僕の部屋へ。バアルさんと、ルミスさんだっけ?」


 その少年は声をかけてくるけど、その手に持った大きな本に視線が向いたままだ。

 代わりに本の表紙に施された一つ目がギョロギョロと動き、俺を見つめる。


 なんでだ?

 どうして俺はこんなに気分が悪くなっている?


 できることなら、一生俺を見ないでくれ。

 そんなことを考えながら立ち竦んでいる俺を訝しんだのか、少年は初めて俺を視界に収めた。

 それだけで、俺は直接心臓を鷲掴みされたように感じた。

 喉の奥から何かがせり上げてきて、そのままに胃の中の物をぶちまけたくなる。

 本当に嘔吐してしまったら、汚してしまった物を弁償できるわけがないし、この家の全員から不興を買うことは明白なので、なんとか我慢をする。


「何をしておる? さっさとそこの椅子に座らんか」


 部屋の中で立ち尽くしている俺に声がかかる。

 見れば、いつの間にか二人の女性が俺の後ろに立っていた。


 二人とも驚くほどの美人だけど、人間ではなさそうだ。

 一人は褐色の肌に尖った長い耳……ダークエルフだろうか。

 もう一人は獣の耳と尻尾が生えているから、獣人族だろう。


 王都では人間が少ないというのに、この部屋では人間は一人だけだ。

 いや、この少年が人間かどうかは怪しいから、人間は一人もいないのかもしれない。


「おい貴様、二度は言わんぞ?」


「あ、ああ……失礼します」


 そしてこの美女達、相当に強い。

 それもそうだ。人間以外の種族で貴族の屋敷にいるってことは、その実力を買われているんだろう。

 だけど、それにしてもちょっと強すぎるように思う。

 それぞれと単独で戦ったとしても、苦戦は必至だろう。

 それが2体1となれば、勝ち目は薄いかもしれない。


「どうしたのキャス? 気が立ってるね、ランキングが落ちたからかな? 仲良くやろうよ」


 黒髪の少年の強さは未知数だけど、この二人の主人と思われるから、それなりには戦えるのか?

 貴族だから従ってるだけか? いや、凄い魔法使いだし、やっぱり強いんだろうな……


『前門のドラゴン後門のベヒモス……かな?』


 ルミスが呟く。

 昔、爺ちゃんが言ってた言葉だ。

 確かに、そういう状況かもしれない。


 最大限警戒していた俺は、次の少年の言葉にかつてない衝撃を受ける。


「あはは、そんなつもりはないけどね。それにね、そのことわざの使い方は間違っていると思うよ?」




 ……え?

 こ、こいつ、もしかして──


『私の声が、聞こえてる……?』


「ルミスの、魂の声が、聞こえてるのか!?」


 俺とルミスの質問に、その少年は笑って答えた。


「え? あぁ、あはは、勿論聞こえてるよ。魂の声……ね。僕は魂の研究をずっとしているんだ。まだ分からない事ばかりだけど、もしかしたらそのお陰かもね」


 神様。

 もしかしたら、少女の言うことは本当なのかもしれない。


「改めて自己紹介をしようか。僕の名前はアーリマン・ザラシュトラ。貴族だとか、そんなこと別に考えなくていいから、気軽にアンリって呼んでよ。よろしくね、バアルさん、ルミスさん」


 俺が持っていた警戒心は、跡形もなく崩れ去った。

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