06 悪魔の取引

 変わる。

 俺の何かが変わっていく。

 何かが、力強い何かが、どす黒い何かが、無理やり俺の中に入ってくる。


 俺の力が大きくなるのを感じる。

 それと同時に、俺が人間から離れていくことも理解した。

 その証拠に、俺の肌は青みがかっている。


 ──くすくす、さぁ坊や、体を少しだけ借りるわね──


 俺の意識はあるけど、体が勝手に動き出す。

 そう、体がのだ。


 見れば、俺の両足の自由を奪っていた杭は、俺が歩を進めることで簡単に破壊される。

 俺の両手の自由を奪っていた二本の剣は、どれだけ力を入れても微動だにしなかったのが嘘のように、簡単に抜けていく。

 あまつさえ、その剣は俺の手のひらにすっかりと馴染んでいた。


 突然剣を抜き歩きだした俺に、村人達は驚愕の表情を向ける。

 ありえない光景に、声の出し方も忘れているようだった。


 あぁ、ルミス。

 お前まで、そんな目で俺を見ないでくれよ。

 俺はそんなに変わってしまったのか?

 安心しろ、お前だけは、絶対に守ってやるから。

 さぁ、光鉄剣イザナミ。早くお前の願いを叶えろ。

 そして早く、俺に体を返せ。


 ──くすくす、えぇ、勿論よ──


 俺が近付いても、村人達は逃げることはなかった。

 よく見れば、みんな腰が抜け震えているようだ。


 俺は内心ほくそ笑みながら、光鉄剣イザナミを首にあてがう。


 ルミスの首に。








 あれ?

 なんで?

 おい、光鉄剣イザナミ、待て、違うだろ?

 よぉく見ろ、間違えてるぞ、待て、待て待て。


 ──くすくす、なぁんにも間違えてないわよ坊や──


 待て、待て待て待て待て、落ち着け。


「バア……ル……? なん……で?」


 ルミスが俺を見上げてくる。

 絶望の表情で。


 違うだろ!? ルミスは違うだろ!?

 俺はあいつらを殺したいんだ!!


 ──くすくす、そうよ。坊やはあっちの人間を殺したい。だったら、わらわが殺せるのはこっちの人間しかいないわ──


 違う違う違う違う!

 それだけは駄目だ許してくれ!

 あっちの男達を殺してくれ!

 頼む、頼む頼む頼む頼む頼む!!


 ──くすくす、それは無理。わらわがあっちの人間を殺したら、坊やがあっちの人間を殺せないもの。契約の内容に反するわ──


 いい! そんなのいい!

 そんな契約どうでもいい!!

 頼むから、なんでもするから!!

 ルミスだけは、ルミスだけは止めてくれ!!


 ──くすくす、くすくす──


 俺の意思に反して、俺の体は剣を振りかぶる。


「バア……ル……止め……て……おねが──」


 ──ヒュッという音が、ルミスの懇願の言葉をさえぎった。

 血の涙を流す俺の目には、首と胴体を切り離されたルミスだったものが映っていた。













 守りたい女の子がいたんだ。



 少しドジだけど、いつも一生懸命な優しい子。



 好きだったんだ。


 俺の命さえも、捧げようと思ったんだ。


 どんな仕打ちにも、耐えてきたんだ。


 耐えて、耐えて耐えて耐えて、暴力にも理不尽にも耐えて。


 絶望の人生の中で、たった一つの希望だったんだ。


 幸せだったんだ。


 ルミスの声を聞くだけで良かったんだ。

 ルミスがいるだけで良かったんだ。

 ルミスを想うだけで良かったんだ。


 なのに、なのになのになのに。

 俺が、俺が、俺が……


 ルミスを殺した。


「あ……あぁ……あああぁぁぁ……ああああああぁぁああ!!」


 なんでだよおぉぉぉぉ!

 嘘だ、嘘だ嘘だ嘘だぁぁ! 嘘だぁぁぁぁ!!

 ごめんルミス! ごめんごめん、助けて、誰か助けて!!

 ルミスを生き返らせて!!


 ──くすくす、ごめんね坊や。それはできないわ──


 殺して! 俺を殺してくれ!!

 消えてなくなりたいんだ!!

 ルミスと一緒に、一緒にいたいんだ!!


 ──くすくす、ごめんね坊や。それも無理。坊やは人間を辞めたの。坊やの命は永遠よ──


 ああぁあああぁぁああぁぁぁ!!?

 俺は!? 俺はどうすれば!?

 俺はどうすればいいんだ!!?

 誰か、誰か誰か誰か誰か!?

 俺を助けて!! ルミスを助けて!! 俺たちを助けて!!!


 ──くすくす、あぁ、気持ち良かったぁ。じゃぁ、わらわはしばらく眠るわ。後は、坊やの自由に生きてね。ばいばい──


 それきり、光鉄剣イザナミの声は聞こえなくなった。

 俺に残ったのは、絶望以外には何もない。


 泣く。

 大声を上げて泣く。

 体は大きくなったのに、子供のように泣く。


 転がったルミスの首を抱き抱え、ルミスと目があった時──


『──バアル、泣かないで──』


 ──奇跡が起こった。


 光鉄剣イザナミの声ではない。

 優しい声。

 ずっと聞いていたくなる、綺麗な声。


 それは、ルミスの魂から響く声だと、俺はすぐに理解できた。

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