04 幸せ

 これは夢だろうか。


「バアル! バアルバアルバアル! バアルゥゥ!!」


 それとも俺はとっくに死んでいて、ここは天国なんだろうか。


「良かった! 生きてた……バアルが生きてた!!」


 いや、そんなことどうでもいい。

 とにかく、とにかくとにかく、ルミスとまた会えた。

 またルミスと話せる。

 今はこの幸せを、ただ噛み締めよう。


「る、ルミス!? なんでこんなとこに!? この部屋に入るのは禁止されてるだろ!?」


 とんでもなく嬉しいのに、なんでか強がってしまい、どうでもいいことを聞いてしまう。


「こっそり来たの! バアル、ごめん、ごめんねぇぇぇぇ!!」


 ルミスが俺に抱き着いてくる。

 ルミス、ルミスだ。

 幻じゃない、本物のルミスだ。

 今すぐ抱きしめたいのに、剣が邪魔でそれはできない。


「な、なんでルミスが謝るんだよ!? 俺は、俺が希望して生贄になったんだ! ルミスが泣くことはねぇよ!」


「わたし……わたし……バアルが手を上げてくれて……心のどっかでホッとしちゃった! バアルが死んじゃうのに……わたし……」


「いいんだよ、俺が望んだことなんだ。ルミスが悪く思うことはねぇよ」


「わたし……バアルが生きてるって噂を村で聞いて……なのに、来るの遅くなっちゃった……」


「はぁ!? そもそもな、ルミスはここに来ちゃ駄目なんだよ。そんなこと、気にするなよ」


 それでも泣き続けるルミスに、俺はなんとか笑顔の作り方を思い出し、声をかける。


「それに、俺はお前が会いに来てくれたことが、本当に嬉しいんだ。ありがとう……ルミス」


 増々大きくなったルミスの泣き声は、壊れかけだった俺の心を癒してくれた。




 それから、俺の世界は変わった。

 村人達からの執拗な暴力はまだ続いている。

 だけど、毎日ルミスが会いに来てくれるようになったんだ。


「じゃーん! 今日は鶏肉のスープだよー!」


「おぉ! 旨そう! ありがとよルミス!」


 俺は空腹を感じない。

 それでも、ご飯を食べることは好きだった。

 それに──


「はい、あーん」


 俺は手足を自由に動かせないから、ルミスに食べさせてもらう。

 こんな臭い暗い部屋でも、それだけでご飯の味は何倍も美味しく感じられた。


「ご馳走さま! 爺ちゃんにもお礼言っといてくれよ!」


 爺ちゃんってのは、ウィリアム爺ちゃんのことだ。

 ウィリアム爺ちゃんは、俺とルミスの育ての親にあたる。

 ルミスの差し入れで鶏肉のスープが多いのは、爺ちゃんが俺の好物を覚えてくれているからだろう。


「はーい、今日のお勉強を始めまーす!」


 ルミスは、いつも俺に勉強を教えてくれる。

 勉強といってもとても簡単なもので、いつもは村であったことを教えてくれる程度だ。


「今日はね、うふふ、読書でーす!」


 そう言って、ルミスは本を掲げる。


「読書!? ルミス、文字が読めるのかよ!?」


「ふふーん! バアルのために勉強したんだぁ。それじゃ、読むよー」


 俺のため。

 嬉しい。凄く嬉しい。

 ルミスはまだ文字を読むことに慣れてなく、何度もつまりながら物語は進んでいく。

 それでも、ルミスの声を沢山聞けるこの時間は、これ以上なく幸せだった。


「──そしてついに、その兄弟はお母さんを生き返らせることに成功しました。でも、それはせいぜんのお母さんとはとても言えず、まるで化け物のようだったのです。おしまい」


 ルミスの声を聞くことに集中していたが、物語が終わったと同時に突っ込みを入れる。


「なんだよその終わりかた。なんでお母さんはちゃんと生き返らなかったんだよ」


「んー……お爺ちゃんはね、死んだ人はそっとしておかないといけない、って言ってたよ?」


「なんだよそれ……」


 母さんだったものを見ながら、俺は少し気分が沈んでしまう。


「……バアル?」


 ルミスが不安げな顔で覗き込んでくる。


「バアルは、私が死んじゃったら悲しい?」


「当たり前だ! ルミスを死なせるもんか! 俺が絶対に守ってやる!」


 四肢を動かすことができないのに、俺はそんな宣言をしてしまう。

 俺はルミスを守ることなんてできるんだろうか。

 でも、そんなことは今はどうでもいい。

 今のルミスを、笑顔にできるならそれでいい。





 そうして、村人にリンチをされながらも、毎日ルミスと会うという、地獄とも天国ともいえる日々は過ぎていった。

 ルミスの話では、俺が地下室に監禁されてから5年も経ったらしい。


「バアル、今日は新しい本が手に入ったから、一緒に読みましょう?」


 あれから、ルミスは一度も欠かすことなく、毎日会いに来てくれた。

 本当に、本当に救いだった。

 村人からのリンチは止まるどころかエスカレートしていったため、ルミスがいなければ、俺の心は死んでいただろう。


 感謝の念を込めながら、本を読むルミスを見つめる。

 どんな悲惨な結末の話でも、ルミスが読めば、俺にはこれ以上ないハッピーエンドに聞こえる。

 どんな悪逆非道の登場人物でも、ルミスの声なら、俺には全員が天使に思える。


 綺麗な声。

 綺麗な目。

 綺麗な鼻。

 綺麗な口。

 綺麗な髪。


 あぁ、ルミス。

 俺はルミスが──


「──好きだ」


 つい口から感情が出てしまう。

 物語が止まってしまう。


 見れば、ルミスは顔を赤くしてうつむいている。


 やばい、やばいやばいやばい。

 幸せな時間が壊れる。

 俺の一言で。

 いや、ここはもう覚悟を決めろ俺!

 もう言ったんだ。もう後戻りはできないんだ!


「ルミス、好きだ! ずっと好きだったんだ! これ以上ないぐらい好きだ! ルミスの何もかもが好きだ!」


 ルミスは顔を上げ、俺を見つめてくる。

 その表情が嬉し気に見えるのは、俺の妄想なのだろうか。


「俺はこんな状態だけど……もし、もしもさ、俺が自由になったらさ……け、結婚……しよう」


 決してありえない、もしもの話。

 それでもいいじゃないか。

 俺は幸せを見たいんだ。

 ルミスと、幸せになりたいんだ。


「…………」


 少しの静寂。

 自分の心臓の鼓動がうるさい。

 あぁ、静まれ! ルミスの返事を聞かせてくれ!

 ルミスが口を開く。


「……えぇ、嬉しいわバアル」


 それは、最上の答えだった。


「結婚……結婚しましょう! 私も、バアルがずっと好きだったの!」


 ルミスは涙を流している。

 その表情と言葉から、それは嬉し涙のはずだ。


「バアル、私ね、明日で成人になるのよ? だから、本当に結婚できるの」


 ルミスは本を落とし、俺に抱き着いてくる。


「もしもじゃなくていい。今のバアルでいい。だから、明日結婚式をしましょう?」


 そして、俺たちは初めての口づけをした。








 今日という日が、俺の幸せの絶頂だったんだ。

 今日という日が、無限に繰り返されたらよかったんだ。

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