ダメに決まってるだろ 中編
どうしてこうなった。週末の昼前、僕は日比生の駅前の広場で天を仰いでいた。了承はしていた。納得はしていた。それでも理解していたというわけではないのだ。
「やーやーやーやー、辛気臭いツラしてるんじゃあないよ肱川ァ。楽しい楽しいお出かけなんだからよぉ、元気に行こうぜ元気に!」
どうやら無意識に眉間に皺が寄せられていたようだ。目頭を押さえながら頭の中で原因を探るが、どう考えてもそれは目の前で馬鹿笑いをする孤塚だ。
「よ、よ、よろしくね」
孤塚の隣で小さく丸まっている貫田さんの様子から察するに、あのテンションで強引に誘われたのだろう。梅雨の真っ最中、もうすぐ夏になるというのに薄手のセーターを着込んでいる貫田さんは、ひょっとしたらかなりの寒がりなのではないだろうか。そんな風に現実逃避をしてしまう自分がいた。
僕一人の意見であれば完全に無視をして突っぱねることも出来たのだが、孤塚はよりによってホームルームが終わった直後に嶋村さんに許可を取りにいくという暴挙に出た。ここまで来ると、やりたい放題という概念が服を着て歩いているとしか思えない。廊下側の一番奥の席に座る僕は、ちょうど対角線上に離れている嶋村さんの席で何を話しているのかはよくわからなかった。ただ、孤塚が両手を合わせながら何度も何度も頭を下げているのは見えていた為、断られたのかと思っていたが、結果としては全く逆のようであった。
「まぁ、たまにはいいんじゃない?」
今日の彼女は長袖のシャツにジーンズというシンプルな服装だ。それだけに彼女の美貌が非常に映えるものとなっていた。そんな嶋村さんが、僕の隣で微笑む。そう言われてしまうと、僕は何もいうことができない。主体性がないだとか、流されすぎだと思う人もいるかもしれない。それでも僕にとっては彼女が最優先なのだ。
「見せつけるのも、嫌いじゃないしね」
二人に見えないように、後ろに組まれた僕の手をなぞりながら小さく呟かれた嶋村さんの言葉に、肺が縮み上がるような感覚を覚えた。嶋村さんは予期せぬタイミングでとんでもないことを言うことが多いので、寿命が少しずつ削られていくような気がする。それを受け入れている僕も大概なのだろうが。
「まぁ、これもこれで、か」
完全に嶋村さんに飼い慣らされている自覚はある。先ほど触れられた右手の感触を思い出すたび、なんでも出来る気がした。
孤塚も来たことがないと言っていたこのショッピングモールだが、どうやら貫田さんも来たことがないらしい。つまり全員がここに初めて来たということになる。その為、一階から順次周っていこうということになった。
全部で5階建ての大型ショッピングモールであるこの場所は、大まかに1階がブランドものや女性アパレル関係の店舗が中心に配置されている。上へと行く度に男性向けアパレル、専門店と続いていき、一番上の5階がレストラン関係という構成になっている。僕が行きたかったロック関係のショップは4階にある。近くに行ったら向かえばいいと思考を切り替えて、真新しいフロアを歩いていく。
「あ、この服かわいいね」
「本当ね、貫田さんにとても似合いそう」
「あー、でも結構いい値段するねぇ」
楽しそうに笑う貫田さんと嶋村さんを見ていると、こうやってみんなで出かけるのも悪くはない気がした。よく考えてみれば、嶋村七海という女の子は何らかのグループに属してはいないようだった。同年代の女子は何かと仲がいい集団で集まり、結束を深めていくことが多い。ここにいる貫田さんも例外ではない。クラス委員としてクラスメイトの皆と幅広くコミュニケーションを取っているが、普段は他の女子生徒と一緒にいることが多い。
しかし、嶋村さんはそういったグループに属することなく、付かず離れずといったスタンスをとっているようだった。そしてそれは、4月に僕とコイビトになった頃あたりから顕著になっていた。なので、こうやってクラスメイトの女の子と一緒にいるという光景がとても珍しく思えた。
「……なぁ肱川」
どこか遠くを見ていた孤塚が、視線を動かさずに僕に向かって声をかけた。どうせ碌でもないコトだろうが、盛り上がっている女子勢に比べて手持ち無沙汰なタイミングであることは確かだ。本当は嶋村さんのところに行くのがベストなのかもしれないし、隣で笑っている貫田さんに若干のジェラシーを感じているのだが、女の子にそういった感情を持ってしまったことに対して自戒する意味で彼の言葉に耳を貸す。
「ぶっちゃけ嶋村さんとはドコまでいったんだ? Aは当然行ってるとして、B? C? XYZ?」
「XYZってなんだよ、掃除屋でも呼ぶつもりじゃあるまいし」
「いいんだよ、とにかくどこまで行ったんだよ。不純異性交遊なんて許しませんよあたしゃ」
想像通り碌でもない内容だった。これで急に政治や学業の話をされても困ると言えば困る。溜息を吐きながら応えても、まさに暖簾に腕押しという言葉がピッタリだった。
ちらり、と嶋村さんの方を見る。もうすぐ夏が来るからか、店内には薄手の服が数多く並べられていた。暑くなったらすぐに夏休みが始まる。その頃には僕たちは、どうなっているのだろうか。孤塚の下らない話を聞いてしまったのか、なんだか妙に意識してしまう自分がいた。
「……想像にお任せするよ」
僕の呟きを聞いて、腕を頭の後ろで組みながら孤塚は口角を大きく開いて笑う。毒気のない爽やかな笑顔というか、人懐っこい笑顔はクラスで人気が出るというのも頷ける話だ。そんな彼がなんで、目立つのが嫌いな僕の隣にいるのかわからなくなる時がある。そういうタイプの人間は、同じようなタイプの人と連むようなイメージがあるからだ。
そんな僕の考えなど馬鹿馬鹿しくなるような程に、彼の口から出てくる言葉は下らないものだ。僕の肩に手を置き、小さな声で呟かれた言葉はあまりにも反応に困るものだった。
「アレだよアレ。お前って結構奥手っぽいからな。ここはお節介ながらアドバイスってヤツだ。嶋村さん、あーいうニコニコ顔してるけど、絶対押しに弱いタイプだぜ。押して押して押して押し倒しちゃえよ。案外、イケるかもよ」
こういった話題にどうやって反応すればいいのかわからない。笑えばいいのか、怒ればいいのか。正しい選択はどれなのだろうか。
孤塚は恐らくいつでも笑顔を絶やさない、頭脳明晰で容姿端麗の優等生中の優等生という嶋村さんの表面的なところしか見えていないのだろう。乾きを嫌い、刺激を求める彼女は退屈な日々など壊したくてたまらないものだ。それこそ、夜遅くに誰かに襲いかかるほどに。
「なんの話してるの?」
「な、なんでもないよ」
タイミングがいいのか悪いのか、店の奥から嶋村さん達が戻ってくる。慌てて孤塚を引き剥がしながら答えると、嶋村さんは微かに眉を下げていた。僕たちのやりとりが例によって笑いの金銭に触れたのか、孤塚は変な笑い声を上げ始め、貫田さんはそれを見て困った顔をしていた。
他愛のない会話をしながらのんびりとショッピングモールを歩いていく。目当ての店も軽く目を通したが、真新しいものは特に存在していなかった。探せば何かありそうだったが僕を除いた面々が興味がなさそうなジャンルの為、長居してまでする気もなかった。
あとは雑貨屋や専門店を何点か巡り、全員がビニール袋を1、2個持ったぐらいでショッピングモールを一通り見ることが出来たようだ。なんだかんだでかなりの広さを誇る施設を時間をかけて回れば、それなりの時間を要するものだ。気がつけば午後5時。長い時間を歩きっぱなしの為、足が疲れてきた。そろそろ撤収という流れになり、僕たちは駅に向かって移動することになった。
「あ」
ショッピングモールを出て、駅へと向かう道中、貫田さんが小さく声をあげる。彼女の視線の先には買い物袋だろうか、大きなビニール袋を手に持って歩く女性の姿があった。見るからに大荷物であるそれを重そうに持つその人を、心配そうに見つめていた。
「あの人、森本さんのお母さんだ」
聞き慣れない名前に眉を顰める。誰のことだかわかっていない僕に、貫田さんは小さな声で僕に囁いた。
「ほら、肱川くんが4月の夜に見つけたあの女の子だよ」
心臓が止まる。脳に酸素が届かなくなる。足元の感覚が消え失せ、アスファルトの沼へと急速に沈んでいくようだ。崩れ落ちそうになる僕の肩を、嶋村さんが静かに支えてくれた。貫田さんは女性の方向への視線を向けていたので、それに気づくことはなく言葉を続けていく。
「誰かに怪我させられて、今リハビリ中なんだって。ほら、クラスの赤城さんが森本さんの幼馴染で、大変みたいって言ってたよ」
絞り出すように貫田さんの口から吐き出された、リハビリ中という言葉に僕の胃袋が握りつぶされたかのように縮み上がり、先ほど食べたホットドッグが食堂へと押し上げられていく。
もっと僕がうまく対処していれば、そもそも彼女が危害を加えられる前に動くことが出来たならこのような結果にならなかったのかもしれない。最善を尽くしたつもりでも、結果としては後味が悪いものになってしまった。僕の肩をそっと支える嶋村さんがやったことであると確信している以上、その事実はなおさら僕の脳と身体を締め上げていくのだ。
「ちょっと手伝ってくるね。ごめん、一人で帰るから」
僕が後悔を噛み締めている間に、貫田さんはゆっくりと女性に向かって歩き出していた。何か声を掛けようと脳を動かしているうちに、小走りになった彼女には既に届く距離から離れてしまっていた。
「貫田さーん、俺も行くから! そんな走らないでぇ! 肱川、嶋村さん、埋め合わせはするからなァ!」
居ても立っても居られなくなったのだろう。孤塚も僕たちに両手を合わせながら頭を下げ、貫田さんを追いかけていく。僕たちも貫田さん達を追いかけたほうがいいのではないだろうか。一瞬そう考えたが、逡巡が先に僕の足を止めていた。僕に何が出来る? 加害者を知っておきながら、行動することもなく日々を過ごしていく僕に、何をしてやれるというのか。偽善を通り越して欺瞞ではないか。手を堅く握り、唇を噛むことしかできなかった。
柔らかな手のひらが、僕の手首を掴む。嶋村さんの手だと気づくより先に、強い力で引っ張られる。抵抗することもできずに、そのまま僕の腕を引いてどんどん歩いていく嶋村さんの表情は、見ることが出来なかった。貫田さん達が向かっていた方向から逆の方へと進んでいき、あっという間にメインストリートから外れたら路地裏に辿り着いた。
人の気配など全くない路地裏で、嶋村さんの手が離される。ようやく彼女の表情を見ることが出来る。殴りつけた人の母親を見て、彼女は何を思っているのだろうか。僕はゆっくりと歩き、彼女の正面に立つ。
彼女の眼を見てはいけないという漠然とした危機感があったが、抗うことはできなかった。躊躇いながら彼女の眼を覗き込んだ瞬間、僕の心臓は爆発する。彼女の眼は見開かれ、爛々と輝いていた。頬は上気し、呼吸も浅く速くなっている。ジーンズで強調された細く長い足は細かく震えていて、まるで歓喜の渦にいるようだった。途轍もないほどの精神的高揚、興奮と喩えていいのかもしれない。
凄まじい速さで腰と首に手を回される。蜘蛛の巣に絡め取られた獲物を追加の糸で包み込むような先日の抱擁とは決定的に違う。今回は獲物を捕食する時の動きだ。
そう気付いた瞬間、嶋村さんの唇が僕の唇に触れていた。歯と歯がぶつかりそうな程の勢いでぶつけられた彼女の唇の柔らかさを感じるよりも先に、熱いものが僕の口の中に入り込んでくる。口内を蹂躙して暴れ回るそれが彼女の舌だと気付くのに、そう時間は掛からなかった。
脳を侵し尽くすような彼女の口付けに、もう逃げることなどできなかった。直接鼓膜に入り込む水音が、思考することすら許さない。付き合って数ヶ月のコイビトがするようかものではない、情事そのものの口付けに、脳の奥がスパークしていく。
僕の唾液を全て吸い尽くされ、逆に彼女の唾液で口の中を満たされる。時間にして1分程度かもしれない。それでも、僕には途轍もなく長い時間に感じていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます