第7話 かんざし

 この屋敷の朝は早い。

 一番はキザナ。

 普段はレイルと組み、ギルドでクエストを受けながら、情報収集を行っているが、その傍ら、屋敷周辺の罠の整備を行っている。


 次は、家主でもあるヘクター。

 魔王軍三騎士の一人であり、付近の魔王軍の管理を行っていることもあり、不在のことも少なくない。


 その次は、カリノ。

 戦闘で暴れるわりに、朝は静かに訓練していることが多い。朝だからというよりも、ノゾミが寝ている時間だからかもしれない。


 だいぶ遅れて起きてくるのが、レイル。

 夜遅くに帰ってくることもあれば、朝帰りのことも多いので、酒場で暴れているかどうかの違いなのだろう。


 そして、最後が――


「おっきろォーーッ!!!」


 世話しろと言われているノゾミである。

 布団を剥がしたところで、まず起きない。

 誰かの布団に潜り込んでいる頻度も多く、ノゾミの部屋を開けてもいないなんてことは日常茶飯事。自分の布団に潜り込まれた時は、困ったものだが、気にしたら負けだ。


「昼っすよ」


 最近分かってきたが、ノゾミの中にも、起きなければいけない時間があるらしい。

 過ぎたところで、驚きこそするが、すぐに開き直る。だが、その時間が迫っていると知ると、さすがに不貞腐れながらも起きる。

 あと、すごく天邪鬼。

 ここで「おはようございます」だの「今日は早く起きましたね」なんて言ってみろ、その瞬間に体を支えている両腕を放してベッドにダイブする。


「……れいる」

「レイルなら、今日はモンスターの分布確認ついでに、スナイプの練習してくるって言ってましたよ」


 起き上がるノゾミの髪を梳かして、髪を結う。

 前世で人の髪をいじったことなど、もちろんない。そもそも自分の髪だって、寝ぐせ直すのが精々だ。

 正直、この数日で何とか形になっただけでも、自分を褒めたい。

 たとえそれが、髪を降ろしてると、どこでも寝ようとするのを防止する対策だとしても。


「呼びます?」

「……執事みたい」

「世話係っす」


 どちらかといえば、手のかかる子供のいる母親の気分だ。

 相手はニートみたいな生活してるけど。


「むしろ、ノゾミさんは、なんか慣れてますよね」


 人に世話され慣れているというか。ヘクターとは、少し違うが、自分のことを他人に任せることができるタイプというか、風格というのだろうか。


 すると、突然、頭を左右に振り始め、手にまとめ始めていた髪が散っていく。


「あーー!! そういういじめ良くない! かっこわるいぞ!」

「下女はいじめられるものですー」

「そういう奴はいつか下克上されますわよ!」


 今度は、少し強めに髪を握り、まとめる。


「意外にも、本日は用事があるのです」

「用事?」

「レイル君とフジ君にご用事です」


 ノゾミの言われ、レイルも呼び、町の、あまりいい思い出のない場所へやってきた。

 1日しか思い出はないというのに、嫌な記憶しかない遊郭。

 まだ昼下がり。女たちはまだ眠っている頃。

 代わりに、下働きの人間が、世話しなく動き回っている。


「――で、どの面下げて俺の視界に入ってきたんだ?」

「こんな面」


 レイルが上機嫌に言葉を返せば、この遊郭の支配人の男が、頬を引きつらせた。


「べっつに、僕だって来たくて来たわけじゃないよ? 心が広いし、なにより格下に絡まれたのを根に持つなんて、ダサいじゃないか」

「ほぉ……ガキが随分と粋がるな。目が悪いのか? あぁ、お前の評判は聞いてる。目と腕はすこぶる良かったな。なら、頭が悪いんだな。どうしようもなく!」

「アッハッハ! よくわかってるじゃないか! 人間、ひとつくらいいいところがあるっていうけど、君は人を見る目もないみたいだね」


 後ろで聞いている身としては、いますぐに逃げ出したい。

 むしろ、レイルはどうしてこうも屈強な男に取り囲まれた状態で、笑っていられるか。


「まぁいいや、僕も仕事だ。伝えることは伝えておくよ。

 君、今すぐに死ぬか、この町を出ていくか、僕とこの男のことをきれいすっぱり忘れるか、どれか選んでくれないかい?」


 何を言っているんだと、男たちの表情は全くもって同意見である。

 フジですら、この突然喧嘩を売るレイルの言葉をすべて把握しきれているわけではない。

 実際、先程、レイルにノゾミが説明したのも「めんどうだから、あの遊郭を潰すことになった」というだけ。


「僕も説明とか交渉とか得意じゃないんだけどさ、ここにいるのが、当事者と交渉なんてできないタイプしかいないしさ。

 僕なだけマシだと思ってくれないかい?」


 やれやれと、まるでこちらが譲歩しているような顔をしているレイルに、心はどうにも向こうの味方になりかける。


「この男の代わりだった女は、隣町にいるし、ついでに本当に身請けをした男もそこにいるから、そいつらと話して、この男は解放で収まる話だろ」

「何言ってやがる。そいつは、こっちの従業員をひとり殺して、お前もひとり撃ってる。それで見逃せってのは、随分と都合が良すぎないか?」

「僕のは、君らが悪いんだろ? もうひとりは、町の外に出て死んだ時点で、誰のせいでもない。護衛なんだから、むしろ護衛対象が生きてるなら万々歳じゃないか」

「頭イカレてんのか? テメェらと、俺たちが同じ価値なわけないだろ!」


 怒鳴る支配人に、レイルは息を吐いて、振り返り、慌てたように遊郭に目をやった。


「だァーーッからッ! 交渉できるタイプじゃないって、言ったじゃないか!」

「え!?」


 遊郭の薄暗い廊下を駆ける無数の足音。

 何匹もの光を知らぬ獣が駆け回り、そこにいる人間を喰らい、喰らい、喰らい尽くす。


 誰かはその獣ではない何かと戦おうとした。だが、喰われた。

 誰かはその獣ではない何かに恐怖し隠れた。だが、喰われた。

 誰かはその獣ではない何かを救いだと笑い。喰われた。


 その影なる獣が通った後に、生きたものはいない。

 静寂に染まり始める建物の中に響いてくる銃声と、小さな足音。


「……」


 最も奥の部屋、薄着の女に囲まれた男が三人。

 その男たちの握る剣の矛先は、扉を開けたノゾミではなく、壁となっている女たち。


「はーい。しつも――」


 ノゾミが手を上げようとすると、するりと髪がほどける感覚と共に、かんざしが落ちる音。


「……せっかくフジ、がんばったのに。解けた……いや、下手なのが悪いんだけど、でも、がんばってたし……う゛ーー……」


 悩み始めたノゾミに、男たちも逃げられるのではないかと、少しだけ腰を引く。

 少し離れた切っ先に、一番年上の女が叫ぶ。


「私が結い直すわ! だから、助けて!」

「お前……!! 裏切る気か!?」

「下手に?」

「えぇ! さっきまでの髪型に!」


 女へ向けられた切っ先が触れるその一瞬前、男の半身が消えた。


「うるさい。話し中」


 一瞬で、残ったふたりの男の表情が恐怖へ染まる。

 ノゾミが動いた様子はなかった。ただ、心底邪魔そうな視線をやっただけ。ただそれだけで、男の体が半分、消えた。

 だが、ノゾミは女へ視線を戻すと、心配そうな目で確認するように尋ねる。


「本当に? フジ、本当に下手なんだよ? 人の髪どころか、自分のだっていじったことないし、かんざし触ったこともなかったからって、テキトーに差してたんだよ?

 私がやっても、たぶん私の方が上手で、速攻でバレるよ?」

「そのフジって子にバレたくないの?」

「だ、だって、がんばってるし……たぶん、あと一週間すれば解けないくらいにはなる気がするし……」

「ふふ……大丈夫。任せて」

「なるはやで」


 なら、話は早いと、髪を見せるように背中を見せるノゾミに、女も少し慌てたように近くにいた同僚に椅子や櫛を持ってくるように頼む。


「あ」


 今度は何かと、櫛を受け取りながら振り返る。


「えっと……ここの正しい従業員どれ?」


 肩を震わせたふたり。そして、その男たちへ目をやる女たち。



*****


 いざこざがあった店を物理的に壊すという、まさに魔王軍のような力業解決をされてから、早一週間。

 気兼ねなく町を出歩けるようになったのは、随分とラクだ。


 実際、あの店は、借金を背負わせた人間をタダ同然で働かせていたが、あの支配人が上手く隠し、ギルドや警察も動けなかったらしい。

 そんな場所に捕まったフジやその一派に喧嘩を売ったレイルは、静かに狙われ続けていたのだが、めんどうだからとノゾミがあの店を潰すことにしたという。

 ヘクターも金で解決するなら金か、もしくは悪事を利用してギルドや警察に恩を売っておこうかと思ったらしいが、その辺り、あの支配人は本当にうまかったらしい。

 ヘクターも金と労力が勝ると判断し、派手なことをしないことを約束にノゾミに許可を出したそうだ。


「ねぇ、あなたがフジ君?」


 そんな折、急に呼び止められたと思えば、控えめに言ってもきれいな女性が立っていれば、反射的に過去のトラウマが脳裏によぎり、身構える。


「あ、ご、ごめんなさい。名前は、えっと……あの子から聞いたの。黒髪の、変わった子から」

「……あ、新手のナンパですか?」

「もうそれでいいわ」

「いや、良くないと思うんですけど」

「とりあえず、不審なのは謝罪するわ。ごめんなさい。

 あの子に助けられたようなものだから、恩返ししたいんだいのだけど、あなたにこっそり髪の結い方を教えてあげるのがいいかと思って」


 その女性、プリミーナは、遊郭の中で売られていた人間をまとめていたらしく、現在も誰も使用していない遊郭の屋敷を使って、生き残った同僚たちと新しい事業を考えているという。

 あの事件は、町に潜り込んだ獣が屋敷で暴れたものとして処理されていた。

 支配人たちの死体は出てこなかったが、おそらく真っ先に逃げだしたのだろうと警察もそれ以上の捜査を行わなかった。


「不審には思ってるでしょうけど、他から煙たがれたから」

「ちょうどよかったんすね」

「そうね。あぁ、ほら、また緩く結んでる」

「ぅぇっこ、このくらいは」

「もー大丈夫だよ。もっと強く結んでも。引っ張らなきゃ痛くないんだから」


 元遊郭なだけあり、髪の長い人は多い。髪を結うなら、実践あるのみだと、その髪を貸してくれていた。


「でも、世話係ね。掃除とか料理とかもするんでしょ? 荷物持ちは男の子だから得意そうだけど、大丈夫?」

「い、今のところ何とか……」


 手探りなところがあるが、形だけはどうにか整っているような気がする。


「……ねぇ、フジ君。この近くに住んでるのよね?」

「はい」

「なら、わからないことがあったらここに来なさい」


 料理でも、掃除でも、洗濯でも、裁縫でも、きっと助けられることは多いから。

 そう言って、プリミーナだけではない。その場にいた全員が頷いた。


「貴族様に私たちみたいなのがお礼をするのは、おかしなことかもしれないけど、あくまで新人の使用人に教えるくらいなら許されるでしょ?」


 彼女たちなりのノゾミへのお礼替わりだった。

 魔王軍であることは、もちろん言えない。だが、きっと彼女たちも同じなのだろう。

 彼女たちから、本気で悪い人間とは思っていない。


「お、俺も、それはうれしいっていうか……その、よろしくお願いします」


 ついこの間まで、女は怖かったというのに、今は少しだけ怖くなかった。

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