相談所について、綾斗を落とさないように気をつけながら階段を駆け登る。

 バタンッと大きな音を立てて、俺は息を切らしながら未だに目を覚さない綾斗をソファーの上に寝かせた。

「卯木さん!」

 半分睨む形で目を丸くしている卯木さんを見つめる。彼は立ち上がって、近寄り険しい顔をして綾斗の顔を覗き込んだ。

「…力を使いすぎたね。明日は学校、お休みかな」

「あの、大丈夫なんすか?」

 我ながら情けないことに声が震えてしまった。

 それに、卯木さんはふんわりと笑う。

「大丈夫。たまぁにやるから。ここからよほどのことがなければ命に危険はないよ。今日中は無理だけど、明日になれば目を覚ますから」

 それを聞いて、俺はようやく肩の力を抜いた。よかった。このまま死んじまうんじゃねぇかと思った。縁起でもないけど。

「それにしても、ここまで消耗するのは久々だな…何があったか、聞いてもいい?」

 綾斗に毛布をかけてやりながら、卯木さんが首をかしげる。俺は大きくうなずいた。



 先程の出来事を覚えている限り全て話し終えて、俺はふぅと一息つく。

「とりあえず、以上っす」

「…なるほど」

 ふむと一つうなずいて、彼はにっこりと笑った。

「美穂」

 ふっと、それまで姿がなかった美穂さんが姿を現した。卯木さんの隣で、彼女は不思議そうに首をかしげている。もしかしたら彼は普段、あまりこういう風に美穂さんを呼んだりしないのかもしれない。

 …ていうか、今のどうなってるんだ?聞ける雰囲気じゃないから、聞かないけどさ。

「嵯峨野家の次男を懲らしめてきてもらえるかな。勝手な行動をしたことの、落とし前をつけてもらわなきゃ」

 それに、一瞬虚をつかれたような顔をしたあと、美穂さんはちらりと眠る綾斗を確認して、卯木さんに対して綺麗に一礼した。すぅと、彼女の姿が消える。

「…その、今のってどういう?」

 流石に聞かずにいられなかったので、首をかしげる。

「簡単に言うと、こっちが喧嘩を売られたから買って、綾斗がさっき、勝利した。けど、それなりのダメージを負ったから、こっちが倍返しに喧嘩を売り返しに行った、って感じかな」

 そんな簡単な話なのか。

 腑に落ちないでいると、彼は苦笑する。

「ごめんごめん。少し意地悪だったね。ちゃんと説明すると、完全に君を巻き込むことになるだろうし、長くなるんだけど…」

 俺はうなずく。

「大丈夫です。もう巻き込まれてると言っても同然だし、今日は特に用事もないっす。俺、一人暮らしだから家に誰もいねぇし」

 少し食い気味で言ってしまった。それに少し笑って、卯木さんは話し始める。

「まず、この業界にはエリートの家が四つあってね。宇都井うづい家、みぎわ家、卯木家、嵯峨野家。綾斗は卯木家…つまり、うちの分家に当たる家の子なんだ」

 つまり、卯木さんはエリート家の人間なのか。

「ちなみに、僕が卯木家の現当主です」

「え」

 思わず声が出てしまった。

 失礼極まりないとは思うが、こんな胡散臭い人が当主ではたして大丈夫なのだろうか。

「ふふ、今少し失礼なこと考えてるでしょ」

「…すんません」

 事実なので、素直に謝罪しておく。それにおかしそうに笑って、彼はうなずいた。

「気にしてないよ。話を戻そうか。うちと嵯峨野家は、一応協力体制を組んでいたんだけど…今回向こうがうちの綾斗に手を出したってことは、それをもうやめますよ、っていう宣戦布告しにきたっていう可能性が高い。まぁ、襲ってきたあっちの次男くんは結構問題がある子らしいから、単独で勝手にやったってだけかもしれないけど」

 ふぅと息をついて、彼はソファーに身を沈める。

「操言師は珍しい。綾斗はその中でも能力が高くて、力が強い。狙われることは結構ある。その度にあんな風になるわけじゃないけど、力を使いすぎるとそれなりの代償が必要になってくる」

 真剣な顔をして、横たわっている綾斗を見つめる。

「力が大きければ大きいほど、代償は大きい」

「…代償ってなんですか?」

「体の自由がきかなくなる。体が自分のものじゃないみたいに重くなるんだって。前に綾斗が言ってた」

「呪い、みたいっすね」

 俺の言葉に、卯木さんはうなずいた。

「力を普通に使うだけでも、すごく眠くなって、眠気に勝てないらしい」

 それに、俺はこの間の綾斗を思い出す。たしかに、仕事を終えたあとすぐに眠ってしまった。あれは代償だったのか。

「だから、普段大きな力を使う時は緩和させるために札とかを使ってるんだ。今回は急だったから、全部言霊でやっちゃって、こうなったんだけどね」

 苦笑して、ため息をついた。

「多分、襲ってきたのは次男の式だ。それを強制的に空間をこじ開けて、還した。そりゃもう消耗するよね」

 それに、俺は綾斗があの黒い塊を消した時の表情を思い出す。たしかに、苦しそうな顔をしていた。あの時すでに、結構限界を迎えていたのかもしれない。

「俺、年上のくせにあいつに守られてばっかですね」

 深いため息をついて、俯く。

「君には戦う術がないからね。ただ視えるだけだ」

 ズバリと容赦なく言われた事実に、ぐさりときた。いや、別に慰めて欲しくて言ったんじゃないからいいんだけど。そんなにはっきり言われると普通に傷つく。

「ああ、ごめん。悪気はないよ」

 慌てて取り繕う卯木さんに、俺は乾いた笑いを返した。

「あのね、綾斗は君を気に入っている」

「はぁ…」

 突然言われたその言葉に、俺は首をかしげる。

「あの子、基本的に人に懐かないし、人と一定以上の距離を置いて、気まぐれで、ひたすらひねくれてるんだよね」

 なんだかそれだけ聞くと少し厄介な野良猫の話をされている気分になる。ていうか、最後の一言は普通に悪口だろ。否定はしないけど。

「綾斗が自分から人に近づくのなんて、初めてなんだ。ね?だからさ」

 にっこりと、やはりどこか胡散臭い笑みを浮かべる。

「君が綾斗を守れるようになってよ。大丈夫。僕たちも協力するし、綾斗自身もきっと力を貸してくれる。君にとっても自分の身を守れるようになるっていう点では、いい話じゃない?」

「…いいですよ。どうせもう後には引けないし、年下に助けてもらいっぱなしじゃ格好つかない。俺も、今のままじゃそのうち限界が来るって、思ってたんで」

 ぎゅっと拳を握って、俺はうなずいた。

 俺じゃなくてもいいのかもしれない。俺じゃ綾斗の力になれないかもしれない。俺は足手まといにしかならないかもしれない。

 でも、助けてもらった恩を返さないのは嫌だ。俺にできることがあるんなら、それはやらなければならない。

「あの日、あいつと会ったのはきっと、運命だと思うから」

「ふふ、いいね。その言葉、たしかに受け取りました」

 ほわっと体が光に包まれる。え、今何された?

 目を丸くしている俺に、卯木さんは何も言わずに微笑んだ。

 もしかしたら、俺はとんでもないことに巻き込まれてるのかもしれない。ていうか、多分そうなんだろう。

 早くも自分の選択を後悔しそうになって、俺はため息をつくのだった。


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