04

「あなたの力が私のなんの得になるの? 私の自由、返してよ……!」


 いつか、くるかもしれないと浮かんでは消していた。夫はヴェーベに行くことを拒み、離婚。

 母は一人、頼るあてもなくヴェーベにやってきた、その上で、弥の特異な能力だ。いろいろな組織、機関からの取材、研究協力などの要請が全て親である母一人に寄せられていた。そのせいで、母の自由を奪い、苦しんでいたことは知っていた。だが、弥が何をしても、それどころか、その努力が母の苦悩に繋がった。

 そして、その日、母はついに娘に手をかけた。

 苦しいとは思った。かすれる意識。それでも、抵抗する気にはならなかった。決別の言葉が耳に届いていたから。


(私がいたら、お母さんは幸せには、なれない)


 なら、別にここで死んでもいいかと、そう思った。

 だというのに、気が付けば母は首から手を離し、泣きながら「出ていって」と、それだけ告げた。

 行くあてもなく、いつも遊んでいる公園にいれば、蒼哉と赤哉が真っ青な顔で駆け寄ってきて、赤哉は怒り出し、蒼哉は今まで見たことのない怖い顔をしていた。


「アオもアカも、お母さん、好き、でしょ? だから、ダメ」


 怒りを露わにしていた赤哉は、矛先がなくなってしまったからか、泣き出してしまい、蒼哉も不満そうな表情をしていた。泣いている赤哉の頭を撫でていれば、蒼哉が聞いてくる。


「弥は、家に帰るの?」


 その質問には首を横に振った。


「私がいると、お母さん、幸せじゃないから、もう、帰らない」


 空いていた手が取られると、蒼哉が強く握り締める。


「僕は、弥がいると幸せだよ。だから、僕らの家に来てよ」

「うん! そうしなよ! 俺も賛成! ね! 弥!」


 こうして、弥の居候は始まった。数週間も経たない内に、家は空家になっていて、母はヴェーベを追放されたことを知った。その裏で、蒼哉が動いていたことは気づいていたが、気づかないフリをしていた。ヴェーベから追放された先は、母が元いた帝国本土だから。


***


 缶コーヒーを一気に煽り、ゴミ袋に放り投げれば、軽い音を立てて跳ね、ゴミ袋から離れた地面に転がる。


「ヘタクソー」

「ダッセェ!」

「うっせーな」


 転がった缶をゴミ袋に突っ込めば、ルーチェはカップ麺をすすりながら、弥の姿がないことに気にしてか、周りを忙しなく見渡していた。


「あの、弥さんは……」

「トイレ」


 明らかに違うことは分かったが、それを問い詰めることはできなかった。ルーチェは、また一口ラーメンを口に運ぶ。


「で、正直なところ、これからどうする気です?」


 白菜を救出してしまったなら、もう間違えましたではすまない。今更、白菜を差し出したところで、許されるはずもなく、罪人を逃がした罪として、拓斗たちも本格的に追われることになるだろう。

 それに、蒼哉の処罰の時間までも短い。救出するにしても、白菜の二の舞にならないよう、今度はもっと上位の能力者が警備に配置されているだろう。


「どうするって?」


 遼太が全員の食事と一緒に買ってきた、アーモンドフィッシュを食べながら緊張感無く聞き返してくる。


「だから、これからのことです」

「蒼哉のことか? それとも、ワクチンを運ぶ方法?」

「両方です。今の状況、わかってるんですか? 私たちは、味方がいないんですよ? いくら能力者の力が強くても、それでどうにかなるのは一部だけで」

「まぁ、怒るなよ。カルシウム食ってさ」


 差し出されるアーモンドフィッシュのアーモンドを取ると、木在は眉を下げて、煮干を食べる。


「アーモンド1に、フィッシュ3だろ」

「知りません」


 細かいこだわりに呆れながら、遼太を見れば、口元に笑みを浮かべてこちらを見ていた。その笑みに、肩が震える。昔から、あの笑みを遼太がした時、何かしらの無理難題を押し付けるつもりだったり、何かを企んでいる顔だ。


「し~ろ~な~ちゃ~ん? 手伝ってくれるよな~?」

「ほんッッきで! マジ! 手伝いたくないんですけど」


 しかし、手伝わなければいけないのだろう。ルーチェのためにも、これからの能力者の未来のためにも。


「よっしっ! 作戦を説明するぞ」

「女の子がいないけど、いいのかい?」

「弥はあとで俺が知らせるんで、平気っす」


 遼太の説明が始まった。


***


 正義の剣は誰にも折れない。

 それが正しいことだから。規則や法則が、それをなお、強固に絶対なモノとする。

 その剣は誰にだって使えて、誰にだって勝てる最強の剣。

 いつもは僕が使う剣が、今は僕の首にかけられていた。押せば切れるギリギリの場所で、時を待っている。


「まったく、難儀だなぁ」


 蒼哉の死刑を執行する立場であり、見届ける役目でもある帝国軍の将軍の男は、めんどくさそうに頭をかきながら、蒼哉に話しかけていた。


「お前のお友達、助けられたらしいぞ。おかげで、ここの警備も厳重に厳重だ」


 その言葉に、安心したように表情を緩める蒼哉になおさら、表情を歪め将軍は強く頭をかく。


「助けられたいとか、思わないのか? 助けに来るって信じるとかよぉ」

「いいえ。最初からくれてやるのは、僕の命だけですよ」

「リーダーとして……か。でも、いいのか? 裏でこそこそやってるみたいじゃねぇか」

「道具の能力者僕たちに関係のある話ですか?」

「……そりゃそうだ」


 将軍はただ静かにため息をついた。


***


 下で人が動き出す気配がする。作戦が始まったのだろうか。


≪弥?≫


 電話の向こうで赤哉の不安そうな声と、後ろのドアが軋む音が耳に入る。


「……ん」

≪本当に、ごめん……わかってはいたんだ。こうなるってことは≫


 蒼哉も赤哉もこうなることを分かった上で、弥たちに協力していた。

 結果的に有益なものであっても、極秘に動き、まだ有益であると結果を確定づけていないのなら、その結果が確定づけられる前に、権力によって押し進め、その計画を潰してくるなどわかっていた。だが、自分たちが動くことで少しでも時間が稼げるならと、二人どころかチーム全体が、作戦の参加に異議を唱えなかった。


≪だから、弥……アオのことを思うなら――≫

「そんなんだから、俺にいつまでたっても勝てねぇんだよ」

≪!? 先輩!?≫


 相手はいつの間にか弥ではなく、遼太だった。


「クソマジメな盤面じゃぁなぁ? そんなんだから、おかしなスパイスでビビるんだよ。……それに」


 ビルの上を跳んでいく弥を見ながら、笑う。


「これはゲームじゃねぇ。一ターンで盤上のコマ全部倒せるチートだって、なんだってありなんだぜ?」


***

 

 将軍は剣を持ったまま、退屈そうに腰を下ろしていた。


「……待っていたって、誰も来ませんよ」


 明らかに待っていた。助けに来るのを分かっているかのように。これだけの警備の中を、蒼哉のためだけにやってくるなんて、ありえない。普通ならばそう考える。しかし、どちらも確信していた。


「お前のお友達は来るさ。わかってるんだろ?」


 ただの願いにも近い、来ないという言葉。


「本当のヒーローってのは、命令を聞くだけのイエスマンじゃなくて、ひとつのこと以外見えてないバカな奴なんだろうな」


 将軍が天井を見上げた瞬間、何もかもを破壊するような音が轟く。

 その拳を防げたのは、将軍だからこそだ。容赦なく振り抜かれた拳に、その場にいたほとんどのものが反応できていなかった。能力者用に補強されていたはずの屋根を、一撃で破壊するなど、誰も想像もしていない。

 現れた青いゴーグルの能力者は、たった一人で蒼哉を庇うように立っていた。


「ド派手な登場だな。嬢ちゃん」


 将軍の言葉にようやく兵士が気がつき、それぞれ武器を構えるが、将軍がそれを制する。


「嬢ちゃん。この状況で、その坊っちゃんを助けるつもりか? しかも一人で。普通ならその坊っちゃんを見捨てて、多くの人間が救われる道を選ぶだろ」

「それは、きっと正しい。誰も否定はできない」


 不安気に見上げる蒼哉の目に、弥の握り締めた拳が映る。今まで見たどんな時よりも強く、強く握り締められた拳。


「でも、その正しいことでみんなが、アオが泣くなら、私はそれを許さないッ……!」


 強く握り締められた拳が、将軍の剣とぶつかり、凄まじい衝撃を生み出した。下手に手を出せば、逆に自分が巻き込まれてしまう。兵士は、遠巻きに二人の対決を見守るしかなかった。

 弥が暴れている建物は、地響きを繰り返し、時々、建物に入ったヒビから塵を吹き出していた。


「あーあー、日向隊長? あのマジギレバーサーカーが暴れてる中に、俺今から行くの? 死んじゃう」


 拓斗は仮面の下で涙目になりながら、リーダーへ救難信号を送るが、返ってきた言葉はもちろん、


「逝ってこい」


 突き落とされるような一言と、本当に突き落とすための蹴りだけだった。


「こんなことまでして、守りたいか? その坊っちゃんが」

「守る。絶対に」

「処刑されるやつを救うなんて、家族でも親友でも、恋人でも、後輩だってやったやつはいねぇ。嬢ちゃんはいったいなんだ? 報告しておくよ、注意しろってな」

「…………居候」


 怪訝そうな顔をした将軍の顔面に迫る拳を避けると、避けた勢いで弥に切りつける。だが、その剣は鎧を少し削っただけ。


「一宿一飯の恩ってやつか」


 剣を翻すが、剣を掴まれ、避けられる。一歩離れた弥の手からは、血が滴るが、指は切れていない。


「……理解できねぇな。こんなリスクをおかすほどじゃねぇだろ」


 これだけの実力があれば、いずれは本土で暮らせる。能力者として大成できるはずだ。わざわざこんな危険な真似をする必要はない。

 気が付けば、すでに蒼哉の姿はなかった。


(逃げられたか……)


 仲間がいたことに驚きはない。だが、戦っているのは弥と将軍だけ。他は誰も戦っていなければ、蒼哉が消えたことに気がついているのものも、少ない。


「みんなは私の手を握り返してくれた人。居場所をくれた人たち。だから」


 絶対に守る。その言葉は、手甲と剣のぶつかった音と衝撃にかき消された。

 戦いが終わってみれば、数十分前とは比べ物にならないほどボロボロになった建物。屋根は無くなり、ガレキは辺り一面に散らばり、壁もところどころ崩れている。派手に暴れまわっただけある。


「まったく、いびつなクセしてまっすぐな拳だよ……嫁さんのビンタ思い出すぜ」


 功績ばかりを気にして、自分を見失っていた時に真っ当な道に戻してくれた、体にも心にも響く痛み。


「あら、今だってしてあげるわよ」

「勘弁してくれ」


 治療しにきたであろう妻に、疲れたように手を振った。


「逃がしたの?」

「逃げられたんだよ。あの嬢ちゃんの将来は有望だな」


 笑う将軍に、妻も呆れながらも嬉しそうに微笑んだ。


***

 

 夜の公園は、昼間と違い、時々、ジョギングをする人やホームレスがいるくらいで、遊具の方には誰もいなかった。遼太は先程から電話をかけては、別の班からの通信を受け答えしており、忙しそうでちょっかいを出すわけにもいかない。


「今は、向こうもダメそうだし……暇だぁ」


 拓斗が目を向けた先にいたのは、蒼哉と弥だった。遊具からは少し離れた木の影に座り込んでいた。


(……離婚寸前の夫婦)

「いやいや、シャレになってない」


 さすがに不謹慎だと、口をつぐむ。しかし、蒼哉が体育座りで伏いているのを、心配そうに声をかけるかかけずにいるか迷っている弥の姿は、遠目から見ているだけでも胃に悪い。いっそのこと、割り込んで騒ぎたい気分だ。


「ア、アオ?」

「……来るなって言った」

「それは、アカが」

「言われたことに違いはないよ」


 怒っているのか、それともただ拗ねているだけなのか。おそらく、両方だろう。


「…………来ちゃった」


 こんな状況でも、冗談を言ってしまう弥に、珍しく拓斗が胃を痛めながら様子を見ていたが、そんな拓斗の心配はいらなかったらしく、蒼哉は呆れた視線を弥に送ると、すぐに表情を緩めた。


「謝る気はないんだね」

「うん」

「即答しないでよ……弥は他人のこと大事にしすぎだし、頑固で、わからず屋。どうして、神様は弥にそんなに力をあげたんだろうね。そんな力さえ無ければ、弥が戦う必要も、無理する必要もないのに」

「無理なんて――」

「してる! 将軍と戦うなんて、無理以外のなにものでもないよ!」


 そもそも、厳重な警備の処刑場のど真ん中を突き破ることを一人でやる時点で、無謀以外の何もでもない。しかし、壊して解決するなら、とりあえず壊そうと、意外と単純思考の弥には、いまいちピンとこない。


「アオ」


 蒼哉の前に座ると、その手を握る。


「寂しいのは嫌い。誰かがいなくなるのは、ケガするよりも、ずっと痛い。全部、自分のため。だから、アオが気にすることじゃない」

「……気にするよ! 弥が痛いって思うそれは、弥がいなくなった時の僕らだって同じなんだよ!」


 ボロりと溢れ出した大粒の涙に、弥は珍しく大きく表情を崩し、慌てて助けを求めるように拓斗の方を見たが、無理だと首を横に振られ、遼太には無視された。


「弥のバカァーーーー!!」


 蒼哉を知っている人から見たら、その幼い様子に言葉を失うであろうその姿に、拓斗も口を開けて驚く。しかし、遼太は、赤哉の双子なだけはあると、子供の時、遠慮なくオセロを全て黒一色に染めた時のことを思い出していた。



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