第9話 居残り残業 ~2~
企画書の修正作業は夜遅くまで続いた。
「ふふ……」
静まったオフィスの中に優衣の静かな笑い声が響いた。
「何がおかしいの?」
「思い出しちゃったんです。高校時代のこと……」
「高校時代?」
「高校の学園祭の準備で、こうして夜まで作業したことあったなあって」
「ああ、僕も思い出あるよ。みんなでワイワイやりながら暗くなるまで準備の作業をしてたっけ。けっこう楽しかったな」
「高校三年の時の学園祭の準備の日、やっぱり遅くなっちゃって。私、その時、好きな男の子がいて、その子が一人で残るっていうんで私も一緒に残って手伝うって言ったの。その子は大丈夫だって遠慮してたんだけど私から手伝わせてって無理やり言ったんです。今と全く同じで懐かしくて笑っちゃった」
「へえ、高校の時にそんなことあったんだ」
「でも、私、その時ズルしちゃったんです」
「ズル?」
「そう。少しでもその子と長く一緒にいたくって、ワザとゆっくり作業してたんです」
「それはズルいね」
「でしょ?」
俊輔は思わず吹き出すように笑った。
優衣もつられて笑い出した。
「あっ、今はズルしないでちゃんとやってますから心配しないで下さいね」
「分かってるよ」
二人はまた笑い出した。
「ありがとう。桐山さんのお陰でかなり早く終わったよ」
「いいえ、とんでもないです。たいしたことできなかったですから」
「そんなことないよ。桐山さんに手伝ってもらわなかったら何時になるか分からなかったよ」
優衣は笑いながら首を横に振った。
「あの、何かお礼するね。何がいい?」
「いいえ、いいですよ、お礼なんて。私が無理やり手伝っただけですから」
「そういう訳にはいかないよ」
優衣はちょっと考えるように俯いた。
「じゃあ、夕ごはんご馳走してもらえますか?」
「あの、今から?」
「ダメですか?」
俊輔はすぐに舞奈の顔が頭に浮かんだ。
舞ちゃんのことだから僕を待ってるだろうな。
いや、でもよく考えたらこの残業させたのは舞ちゃんじゃないか。
まあ食事くらいいいか。
桐山さんがいてくれて本当に助かったんだし。
俊輔はそう自分に言い聞かせる。
「じゃあ、夕飯一緒に食べようか」
「はい」
優衣は嬉しそうに明るく返事をした。
でも、困ったな。女の子が好きなオシャレなレストランとか全然知らないんだ。立ち呑みの居酒屋って訳にもいかないし……。
その時、優衣はあるレストランの前で立ち止まった。
「あの、ここにしましょう」
その店を見て俊輔はちょっと驚いた。
「あの……こんなとこでいいの?」
「こんなとこがいいんです。安いけど美味しいんですよ、ここ」
奢られるからと言って遠慮をしているのだろうか。
優衣が選んだのはいわゆる格安イタリアンのチェーン店だった。
店の中に入ると、会社帰りのサラリーマンでけっこう混みあっていた。
席に案内され、優衣はパスタとチョリソーを注文する。
俊輔はピザを頼んだ。
「ここ、パスタとチョリソーにドリンクバー付けて千円行かないんですよ。凄いですよね」
「そうだね」
「私、お料理の美味しさって値段の安さもあると思うんです」
「値段?」
「はい。だってお金かければ美味しくできるのは当たり前じゃないですか。私、高いお料理でも金額が高いと聞くと食欲が無くなっちゃうんですよね」
それを聞いた俊輔はポカンと口を開けながら優衣の顔を見つめる。
「あ、すいません。貧乏臭いですよね」
優衣はそう言いながら舌をぺろっと出した。
それを見て俊輔は思わず吹き出して笑った。
「いや、そうだね。僕もそういう時あるよ」
俊輔は優衣の癒される仕草に舞奈とは違う魅力を感じた。
だめだ、だめだ。僕には舞奈がいるんだ。
俊輔は心の中で自分に喝を入れた。
「あの……高城さんて、かの……」
優衣がそう言いかけた時、ちょうどウエイトレスが注文していたチョリソーを持ってきた。
「わあ、美味しそうだね」
「あ、ですね!」
思わず苦笑いをしながら料理を皿に取り分け始める。
「あの、今何か言いかけた?」
「いえ、何でもないです」
優衣は慌てて首を横に振った。
食事を終えると時計は十一時を回っていた。
「あの、今日はご馳走様でした」
「いや、こっちこそ遅くまで仕事手伝ってくれてありがとう。助かったよ」
「また一緒に食事してもらえますか? 今度は私に奢らせて下さい」
「いや、いいよそんな」
「ダメですか?」
ちょっと寂しい顔で優衣が俊輔を見つめる。
「いや、今のは食事をしないっていう意味じゃなくて……」
戸惑う俊輔を見て優衣はくすっと笑った。
「それじゃ、お疲れ様でした。おやすみなさい」
「ああ、お疲れ様でした。ありがとう」
俊輔と優衣は駅の改札口でそのまま別れた。
一人になったその瞬間、俊輔の全身に怒涛の罪悪感が波寄せた。
「やばい。舞ちゃんに連絡するの忘れてた!」
俊輔は慌てて電車に乗り込んだ。
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