第6話 二回目のデート

 「おはよう」

 チャイムを鳴らしてすぐに開いたドアから莉子が顔を出した。私は見たことない新しいワンピースに身を包んだ莉子に笑顔で、「おはよう。可愛いワンピースだね」と言った。

「あ、ありがとう」

 莉子は恥ずかしそうに俯いた。

 へえ、結菜にはそんな風なんだ……。

「お邪魔します」

 別れた日ぶりの莉子の家。別れたのはほんの一週間ほど前だし、家の様子は変わっていない。

 ああ、でも入ってすぐのここの棚に飾ってあった、私がプレゼントしたガラスの置物はなくなっている。もう捨てたのか。思っていたよりも早い。

「先に座っていて。私、お茶とお菓子持ってくるね」

 莉子がキッチンに消える。私はいつもの場所に腰をおろして莉子を待った。

 今日は莉子の希望を聞いたらお家デートになった。これじゃあ〈陽葵〉の時とあまり変わらないかもしれないと思ったが、莉子の態度が全然違う。別れた日からずっともやもやしっぱなし。吐いたため息は数知れず。こんなんじゃ幸せになれない。

 ……結菜の人生を喰い潰している段階で〈幸せ〉は願うことすら罪か。

 そんなことを考えていたら莉子がお盆を持って部屋に入って来た。――驚いた。お菓子ってケーキか。

「お待たせ」

「いや、ありがとう。……それってブラウニー?」

「ああ……うん、そう」

 以前はお菓子といえば、スナック菓子。適当にスナック菓子の袋をポンポンと投げ渡されて、どれが良いかと尋ねられるのが常だった。

「お菓子作りは得意じゃないけど、ブラウニーを作るのは二回目だし、味は大丈夫だと思う」

「……手作りなの?」

「うん……」

「え! 凄い、上手。美味しそう」

「……ありがとう」

 莉子の手作りお菓子なんて〈陽葵〉の時は見たことがない。――もう何も感じたくなかった。心にぽっかりと穴が開いて、風通しが良くなった。ずっと居座っていたもやもやは風に流されて、なんだかスッキリした。

 凄いとか美味しそうとか、そんなこと一ミリも思わなかったけど、勝手に口が動いた。私って憑依型の女優かも。思わずふっと嗤う。莉子は笑いかけられたと勘違いしたのか、照れ笑いを返した。

 ああ、生き地獄ってこんな感じ?



 しばらく部屋でお喋りをしたり、映画を観たり……客観的に見ればかなり充実した時間を過ごしてお開きになった。

 玄関で靴を履いていると、莉子がキッチンの方へ消えた。

 戻って来た手には可愛い花柄の紙袋。

「これ。さっきのブラウニー」

 莉子は紙袋を私に差し出す。

「たくさん作ったら、良かったら持って帰って。私、一人暮らしだから食べ切れないし。結菜は実家暮らしでしょ? ……家族で食べて」

 私は〈いらない〉と、その紙袋を莉子の手から叩き落としたい衝動に駆られたが耐えた。家族でって、その中にあなたの元彼女も居ますが? そいつの存在は――私の存在は――無視ですか?

「ありがとう」

 過去最高傑作の作り笑い。玄関にある鏡に映った自分の顔をチラリと横目でチェックしたから、咄嗟の素人の作り笑いとは思えないクオリティであることは補償できる。

 莉子も今日一の笑顔だ。私の気分は今日一最悪だけど、まあ莉子には関係ないもんね。〈陽葵〉の気持ちなんて。



 「ただいま」

「おかえり。どうだった?」

 帰ってすぐ――まだ靴も脱ぎかけの時に――結菜がリビングから飛び出して来た。

「別に普通」

 結菜は何も悪くないが、莉子の最悪なデートの直後に、友好的に接することは難しい。そっけない私に結菜は、「普通って何さ」と頬を膨らませた。

 その後、少し間があって、「……莉子、どんな感じだった?」と、結菜は私に聞いた。私は脱いだ靴を揃えると、「別にいつも通りっぽかったよ」とだけ答えて洗面所に入った。

 結菜は当然のように一緒に洗面所に入って来て、手を洗う私の真横に立つ。

「落ち込んでなかった? ……ほら、陽葵が振ったから」

「いや、全く」

「ええ……。そんな訳ないと思うけど。莉子の性格的に――」

「結菜にはそうなんじゃない?」

 水を止め、手を拭き終えると出口側に立っている結菜を押しのけて洗面所から出た。

「そんなことないと思うよ。本当に」

 まだ追ってこようとする結菜に、「これから部屋で課題をするから邪魔しないで。レポート、明後日締め切りだから」と言って、結菜を洗面所に残して部屋に入った。

 二人の部屋だが結菜はリビングで過ごしていたっぽいし、この部屋には来ないだろう。莉子の家に持って行ったバッグは結菜の物なので、中身を全部出す為にチャックを開ける。1番上に入っていた花柄の紙袋に顔を顰める。

 取り出すと迷わずに机の横に置いてある小さなゴミ箱に入れた。ゴミ箱から覗く花柄が鬱陶しかったので、ゴミ袋を縛りキッチンに行った。結菜はチラリとこちらを見たが声はかけてこなかった。

 キッチンの生ゴミ用のゴミ箱に、縛ったゴミ袋を投げ込む。これは私にじゃなくて、〈結菜〉に作った物だ。こんな物、いらない。

 食べたくなかった。だからといって結菜に食べさせるのはもっと嫌だ。勿体ないけど仕方がない。このブラウニーは私を――〈陽葵〉を――無視したのだから。

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