第5話 元通り
今日もまた代わり映えもせずにお家デート。いつものように背中をくっつけて本を読む。それだけの時間。
入れ替わりを決めた日から三日経ったから、今日は三日ぶりのデートということになる。莉子の様子はいつも通りだったし、私もいつも通りにできていたと思うから、今日は一見何でもない日に見える。いや、私の選択次第では本当に何でもない日になるのだろう。
今日が陽葵として莉子と過ごす最後の日だ。もう決めたことで変える気はないから、何でもない日になることはない。
私は、莉子の体温を背中に感じながら、莉子が結菜と付き合っていた時のことを思い出していた。
忘れもしない、一昨年の十月に莉子からの告白で結菜と莉子は付き合い始めた。そして去年のバレンタインが過ぎて三月を迎える前に二人は別れた。
結菜に振られた莉子が弱っているところにつけ込んで、上手いこと恋人の座を得てから、もう一年近く経っていた。よくよく考えてみたらお互いの誕生日こそ祝い合ったものの、どちらも当日ではなかった。クリスマスは何だかんだあってプレゼントを別日に交換して終わり。お正月はそれぞれ家族と過ごした。
バイトが忙しかった記憶しかない一昨年のクリスマスを莉子は結菜と過ごしたのだろうか。去年のバレンタインは、確か結菜は出かけていた気がする。そういえば一昨年の誕生日も結菜は出かけていた。
考えれば考えるほど、もやもやとした嫌な気持ちが大きくなっていき、怒りに似たものまで湧いてきた。気がつけば、好きで好きで仕方がなかった莉子が憎くて仕方がなくなっていた。
せっかく結菜になって愛してもらえるのに憎くなってどうするのか。そう思ったが、結局愛されるのは結菜であり〈陽葵〉ではないのだから、入れ替わりは好きなままでは耐えられないほど辛いかもしれない。
……好きなまま入れ替わらなくて良かったかもしれない。
もはや何のための入れ替わりなのか、よく分からなくなってきていたが、入れ替わりを実行しないという選択肢は、私の中になかった。
ふうっと、小さく息を吐く。心を落ち着かせた。
莉子に違和感を持たれたら終わりだ。極めて自然に別れなければならない。次のデートの約束ももうしてあったし、ほんの数日前までベタ惚れを丸出しで付き合っていたのだから、どう足掻いても不自然な別れにしかならないのだが、それでもなるべく自然な別れを演出したかった。……結菜として告白しやすいために。
「別れたいんだけど」
そう言ってから、もっと自然な導入とか仕草とか何かしら必要なものがあったかもしれないと、すぐに後悔した。それでも声に出してしまったから、もう後には引けない。失敗したという顔をしないように気をつける。
「……え? は? な、なんで? どうしたの、いきなり」
莉子がバッと振り返ったのを感じた。私はゆっくりと振り返る。真正面から目と目が合った。莉子からこちらを向くことは珍しいことだった。
「もう好きじゃないから」
昨日何度も練習した言葉を口にする。案外すんなりと出たのは、本当に〈もう好きじゃないから〉なのではないだろうか。
「私、何かした?」
莉子は珍しく焦っているようだった。
強いて言うなら何もしなかったかな。そう心の中で答えた。
「嫌なところがあったなら、出来る限り直すよ?」
直せるような問題ではない。莉子が好きなのは変わらず結菜で私じゃないだなんて。
愛してとお願いしたら心から愛してくれるとでも言うのだろうか。
デート中に見つめ合うなんて絵面だけ見れば、少し前だったら夢みたいな状況だ。それでも少し前とは違う今は、ただただ心が冷えていく。
「ごめん。もう無理だから。じゃあね」
多少不自然だったかもしれないが、莉子はそこに突っ込む素振りを見せなかったし気がついていないのだろう。今日の目標は別れること。それが済んだのならもうここに〈莉子に愛されていない方〉として滞在する必要はない。
素早く持っていた本を閉じ、自分の鞄にしまう。それを肩にかけて莉子の部屋を出た。後ろで「嘘……。待って」と声がした気がしたが幻聴だろう。莉子が私を呼び止めたことなんて今まで一度もないのだから。
「おまたせ! ごめん、寝坊しちゃって」
いけふくろう前のたくさんの人の中から私は莉子を見つけ、声をかけた。待ち合わせ時間を30分過ぎていた。遅れる連絡は入れていないが莉子は静かにそこで待っていた。
「どうしたの? いきなり」
スマホから顔を上げて私を見上げた莉子から出たのは質問だった。文句の一つや二つくらい出ると思っていたが、全く怒っていないようで遅刻には触れない。急に多くを語らずに呼び出されたことへの疑問が怒りを超えたのだろうか。
……いや、違う。今までとはきっと何もかもが違うのだ。私が〈結菜〉だから。
そのことに気付いた瞬間、もやりとしたがすぐに笑顔で隠す。結菜はいつだって笑顔なのだ。私の知る結菜はそう。おそらく莉子が知る結菜もそうだ。
「陽葵と別れたんだって? ……もう一度、私と付き合ってくれない?」
また不自然だったかもしれない。もっとお茶とかショッピングとかをして自然な告白の導入タイミングを探るべきだった。後悔したって遅いので、もう勢いで押し通すしかない。
それにまたそこまで気にしなくても問題ないかもしれない。莉子は面食らってはいるものの、私を怪しむ様子は見られない。何と言って良いのか分からないようで、口を小さく開けては何も言わずにまた閉じるという動作を繰り返していた。
「な、なんで? 私の事そういう好きじゃなかったんじゃ……」
「やっぱり好きかもしれないの」
被せるように言う。ボロが出る前に押し切らなければならない。幸い、莉子の思考はこの展開に着いて来れていないようで、莉子の表情は困惑の一色だ。不自然な告白が却って良かったのかもしれない。
「でも……」
「今、フリーなんでしょ? 陽葵は応援してくれたよ?」
考える暇を与えてはいけない。何故なら莉子にとって、〈好きな結菜〉からの告白は願ってもないことだろうが、別れた隙をついての告白なんて〈結菜〉じゃなくて〈陽葵〉のすることだ。
「ね、付き合って?」
余計なことを考えないで、目の前の〈結菜〉に飛びついて。
「……うん」
莉子は迷っていたようだったが、予定通り告白を受け入れた。しかし、少し怪しいとは言え、好きな人からの告白なのだから、莉子はもっと嬉しそうにしたらどうなのだろうか。莉子の何とも言えない冴えない表情に少しもやりとした。
それでも予定通りに事は運び、私は無事に〈結菜〉として莉子と付き合うことができたのだ。私は莉子に笑顔を見せた。悪どい顔にならないように気をつけたら左の頬が少し引き攣った。莉子はまだ思考がまとまりきっていないようで、少しぼんやりとしているから気がついていない。
私がスッと左手を差し出せば、莉子は躊躇いがちに右手を出した。私はその手をギュッと握り、付き合って一日目のデートが始まった。
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