第3話 結菜
「おかえりー」
部屋に入ると同時にそう言われ顔を顰める。今、一番見たくない顔が二段ベッドの下の段からこちらを見ていた。
「……結菜(ゆいな)。私の漫画、勝手に読まないでって言っているよね?」
「え、機嫌悪ぅ……」
結菜は栞を漫画に差し込み、ベッドから体を起こした。そして、様子を伺うようにゆっくりこちらに近付いて来た。
私はというと、何もしたい気分ではなかったが、ずっと入り口に立ち尽くすわけには行かないので、まず手に持っていた鞄をそこら辺に投げ置いた。その後、片手で雑に引っ張ってイヤリングを外しながら自分の机に向かって歩いた。その間、結菜の顔は見たくなかったが動きは気になったので、見ていないふりをしながら視界の端っこに入れていた。
「そんな取り方したら耳が千切れちゃうよ?」
私のすぐ横まで来た結菜は、私の顔をじっと見ながらそう言った。表情から何か読み取ろうとしているのだろう。
私は、結菜には読み取られたくなかったので顔を背けたが、おそらく無駄だ。一卵性双生児がみんなこうなのか、どうなのが普通なのかなんて全くわからないが、少なくとも私と結菜はお互いに隠し事はできない。相手の気持ちや考えが、何となく察せられるのだ。他の人より確信を持って。
「……莉子とはどう?」
まだじっと見られている。背中に結菜の視線が刺さる。探るようなそれはただでさえ不快な気分をさらに不愉快なものにしていく。
「……どうって?」
先ほどよりも不機嫌な低い声が出た。自分が振った元恋人との関係を聞くなんて無神経なやつ。
ラブラブだけど? そう勝ち誇ったように言い切れればこんな質問なんでもなかったのかもしれないが、今はバレンタインデートを断られた後と言うのもあって余計に苛ついた。
「いや、莉子と何かあったんだろうなって……。今日デートだったんでしょ?」
何かあったとしてもお前にだけは教えないよ。
私は乱暴に勉強机の椅子を引くと、どすんと雑に座った。私に答える気が無いことを察した結菜のため息が頭上から聞こえる。早くどこかへ行ってくれと願った、結菜はまだ何かあるようでそこから動かなかった。
これは誰よりも明確に分かっているはずなのに、わざわざ口に出して、ほっといてくれと言わない限りここでそうしているつもりか?
私もため息を吐くと顔を上げ、結菜の目を見た。私がほっといてくれと言うより先に結菜が口を開いた。
「莉子はめちゃくちゃ尽くしてくれるでしょ? 何がそんなに不満なの?」
「……え?」
ほっといてくれと言うはずだった口からは小さな驚きの声が漏れた。結菜は何て言った? 尽くしてくれるでしょう?
「え、って何。尽くしてくれるでしょ?」
結菜はまたそう言った。
え? どういうことだ?
いや、尽くしてくれていたらこんな悩みは生まれていない。普通にバレンタインデートを約束して、当たり前のように手作りチョコを贈ってくれるだろう。
と、言うか何だって? 莉子が尽くしてくれる? ……面白くないジョークだな。ジョークであってほしいな。
「……例えば?」
気が付いたらそう聞いていた。これ以上掘り下げてはいけないと心が悲鳴を上げているが、脳は自身の記憶と結菜の発言の違いが産む矛盾をどうにかしたくて仕方ないらしい。
「バレンタインは料理苦手なのに頑張ってチョコケーキ作ってくれたよ。それにイベント事は毎回申し訳なくなるくらい気合の入ったことをしてくれた。そうでしょ?」
残念なことに結菜は嘘をついている時の顔ではなかった。これは普通に過去のことを思い出して話している時の表情。……信じたくないとか、信じられないとか、うだうだするのも無駄に思えた。
「……嘘」
小さく溢れた絶望の音を拾って結菜は目を見開いた。
「え? してくれないの? ……本当に?」
本当に? わかっているくせに。私の顔を見れば嘘か本当かなんて。
まあ結菜も私と一緒で、無駄だと分かっていながらも疑うポーズを取りたくなるほど信じたくなかったのだろう。
私とほとんど同じ顔で仲良く傷ついた顔をしている結菜を見ると少し安心した。結菜はもう本当に莉子に対し恋愛感情を抱いていないのだということが、そこから分かるからだ。恋敵の気持ちに寄り添って一緒に悲しむなんて無理だ。
その安心が命取りだったようで、視界がぼやけ出したかと思ったら右目の目頭から生暖かい液体が鼻の横の頬を伝い落ちる。涙だ、と思った時には、左目の目頭からも目尻からもどんどん溢れた液体が頬を伝い出す。
あの日、結菜に振られてぐしゃぐしゃになっていた莉子に卑怯な告白をした時、泣かないと決めた。棚からぼた餅の汚い私に、泣く権利なんてないと思ったから。泣くようなことがあったとしても自業自得だと思ったから。
これは受け入れ、諦めなければいけないことなのだろうか。いや、諦めなければいけないことは他にあるのではないだろうか。それは何なのだろうか、なんてもう分かっていたけれど、分からないふりでただ泣いていたかった。
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