その2
『それだけでは終わりませんでした』
佐伯氏は興奮したせいか、声が裏返って甲高くなっている。
ここから後は同じことの繰り返しであるから、まあ、流して記しておくとしよう。
頼んでもいないテイクアウトのピザが届く。
スパムメールが毎日のように来る。
等、等、等・・・・という訳だ。
『本当に心当たりはないんですか?』俺はシナモンスティックでカップをかき回し、先を舐めてから一齧り、それからコーヒーを一口飲む。
『ご覧になって分かる通り、妻は私より歳が上で、再婚です。今はそれしか言えません。ただ、私たちは夫婦仲も良好ですし、何らやましいことはしていない。それだけは確かです。』
夫は真剣な眼差しで俺を見つめながら早口でそう言った。
その間、何度か夫人が口を開こうとするが、敏也氏はその度に『君は何も言わなくてもいい』と制していた。
『・・・・基本料金は一日6万円と必要経費。万が一拳銃が必要というような事態に陥った場合には、危険手当として一日プラス4万円の割増料金をつけます。他に聞いておくことは?』
『では、引き受けて下さるんですね?』
俺はデスクに手を伸ばし、立てかけてあったファイルボックスから、書類を一枚取ると、二人の前に置いた。
『契約書です。良くお読みになって、納得が出来たらサインをお願いします。』
二人は契約書を頭から最後まで何度か目玉を往復させて読むと、夫の方がボールペンで手早くサインをした。
『結構、では仕事にかかります。』
俺はサインを確認してから、もう一度二人の顔を見た。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
俺はまず、佐伯氏が口座を持っている銀行に行ってみたが、支店長と称する人物が出て来て、
『お客様の個人情報に関わることについてはお答えが出来ません』という、木で鼻を括ったような答えしか帰ってこなかった。
仕方がない、俺は渋る佐伯氏に委任状を書かせて、もう一度銀行にとって返した。
支店長は渋々と言った体で当時の状況を話した。
1:電話の声は確かに佐伯氏だったこと。
2:全くよどみがなく、詰まったりせずに、ごく自然な会話だった。
3:口座番号も知っていた事。
『とてもじゃありませんが、騙しているという風には思えませんでした』
彼ははっきりと主張した。
次に俺は、夫人が万引きを疑われたスーパーへと足を運んだ。
小太りで頭の禿げた40過ぎの店長氏は、流石に口が重かったが、
『外部には絶対に漏らさない』と俺が約束をすると、渋々ながら当時の状況を話してくれ、店内にあった防犯ビデオを見せてくれた。
確かにそのビデオには、サングラスを掛けた背の低い、キャップを被ったどこにでもいる若者が写っており、夫人が商品棚に目を移している瞬間に、店内専用の買い物かごにあったマイバッグに、何やら投げ込む姿が、不鮮明ながら確認できた。
しかしこの青年については、その後どこに行ったのかまったく発見出来なかったという。
『あの奥さんはウチの店のお得意さんでしたしね。その人が万引きなんて破廉恥な真似をするとは思えなかったし、奥さん自身も最後まで否定されましたしね。でも保安警備員は現認してるし、カメラにも映っているわけですから、こっちとしても見て見ぬふりは出来ませんから、それで仕方なく、出入り禁止ということで収めて貰ったという訳なんです』
俺は店長に頼み込み、謎の男の写真をプリントアウトして貰った。
次は鉄道会社だった。
佐伯氏が痴漢扱いされた、あの会社である。
しかしこちらもスーパーと大同小異だった。
当時乗務していた車掌を突き止め、話を聞いてみたのだが、
”最初に痴漢だと騒いだ女はいつの間にか姿を消してしまったし、確かに彼(佐伯氏)は両手に荷物を持っていたから、手を動かして女の身体を触る余裕なんかない。おまけに彼が痴漢行為に及ぼうとした瞬間を目撃した人間もいないんですからね”と、困ったような顔で言っていた。
その他、宅配ピザの店についても、男だったということが確認できただけで、大した収穫にはならなかった。
”謎の多い事件だな”
俺は思った。
しかしこうした何て事のない事件の裏に、何かが隠されている。
そんな気がしてならなかったのである。
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