今様・怨み節

冷門 風之助 

その1

◎この物語はかなり前に発表した作品を、大幅に加筆訂正させて頂いたものです。また、予めお断りしておきますが、結末はかなり暗く、バッドエンドで終わります。もしそれがお気に召さないと思われる方がいらっしゃいましたら、お読みになるのを止めて頂くことをお勧め致します◎

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

『まったく、何が原因なのか、さっぱり分かりません。やましいことは何一つしていないのに』

 男は俺の仕事場、乾宗十郎探偵事務所に入ってくるなり、男は憤然とした表情でソファに座った。

 いや、入って来たのは正確には彼だけではない。

 彼は女を連れていた。

 男は背は高いが、痩せていささか神経質そうな顔をしている。一見しただけでオーダーメイドと思われる金のかかったスーツを着用に及んでいた。

 女の方はクリーム色の地に、ピンクの花を散らしたワンピースを着て、若作りをしているものの、明らかに男よりも年齢が上だ。

 俺は何時ものようにコーヒーを出してやり、何時もと同じ”ミルクと砂糖はありませんから”と断りを入れた。

『では、まずお話を伺いましょう。引き受けるか否かはそれからということで如何です?』女の方が何か言おうとしたが、男がそれを遮り、”構いません”という

 30秒ほど間を置き、俺の前のソファに並んで座った二人は、殆ど同時にコーヒーを啜る。

 

 男は自分の名前を佐伯敏也さえき・としやと名乗った。年齢は32歳。

 建築設計事務所の所長をしているという。

 女は佐伯の妻で、名前を菜穂子なほこ、年齢は夫より16歳上の47歳で、横浜で婦人用下着専門のブティックを経営しており、夫婦の間には現在高校一年の息子が一人いる。

『最初は実に妙なことでした』

 佐伯敏也氏はカップを卓子テーブルの上に置くと、また大きくため息をつく。

 半年ほど前、彼は固定資産税の納付通知が自宅に届いたので、自分名義の銀行預金口座から引き出そうと、取引銀行に出かけ、ATMの前に立った。

 すると”この口座は現在凍結されております”という表示が出た。

 不審に思った彼は、銀行の窓口に行って確認すると、前日に”佐伯敏也だが、問題が起こったので、自分名義の口座を凍結して欲しい”と連絡があったという。

 しかし、佐伯はそんな電話をかけた覚えはないし、妻に訊ねてみたが、彼女も知らないという。

 第一、彼の家には口座を凍結しなければならない事情など存在しないのだ。

 佐伯は身分証明書と、銀行の通帳と印鑑を取ってきてそれを提示し、何とか凍結は解除して貰った。

 しかし応対をした行員によれば、その声は確かに佐伯敏也の声に似ていたし、銀行の口座番号もすらすらと淀みなく答えたという。

 『それ以前、何か変わったことはありませんでしたか』俺の問いに、佐伯氏は、 

 『確かに少し前に一度空き巣に入られたことがありました。しかし盗まれたものは何一つありませんでしたし、結局被害届を警察に出しただけでした』と答えた。

 

 

 不可解なことはその後も続いた。

 ある時、佐伯が電車に乗っていた時だ。

 彼の傍にいた若い女性が、こちらを指さして、

”痴漢よ!”と叫んだのである。

 車掌が飛んできて次の駅で降りてくれという。

 しかしその時、佐伯は両手に荷物をぶら下げていたから塞がっていたし、

 同じ会社の部下が一緒だったので、 潔白を証明したから、すぐに疑いは晴れた。

 不思議なことに、彼を指さした女性は、何時の間にかその場から消えていたのである。

『夫だけじゃありません』

 今度は妻の菜穂子が、小さな声で言った。

 ある日彼女が仕事終わりに近所のスーパーに買い物に行き、セルフレジで勘定を済ませて外に出ようとすると、後から声を掛けられた。

”ちょっと事務所までご一緒して貰えませんか?”というのだ。

 何のことだか分からず、彼女が事務所まで行くと、エコバッグを開けて見せてくれという。

 彼女がレシートと一緒にテーブルの上に並べて見せると、買った覚えのない、一袋のキャンディが入っていたのだ。

”こんなものは買った覚えはない”と言ったが、警備員は、

”いや、貴方のすぐ後ろにいた男性がバッグの中に入れるのを私は確認した”という。

 つまり彼女は万引きの共犯を疑われた訳である。

 彼女は事務所に連れて行かれ、店長から問い詰められた。しかしその女はどこを探しても見つからず、彼女は最後まで身の潔白を主張したため、根負けした店長氏は、

”初犯のようですから、今回は大目に見ます。しかし当分の間店には出入り禁止ですよ”と、嫌な目で睨まれ、一筆念書を入れさせられたという。


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