第6話 「鍛錬」
標高凡そ二千メート越えの、空気が薄い山の頂。その開けた場所にて、家で行っているトレーニングをいつも通りに終え、持ってきた水袋で水分を摂ると、俺はその場で座禅を組んで眼を閉じる。
そして想像する、今の人より圧倒的に強い、最強の影(自分)を。そして、そんな自分と剣を抜き構えた状態で向き合う。そのまま、十秒ほどの時間が経過したとき。
「シッ!」
俺は予備動作もなく繰り出した突きを繰り出してからの、右への横薙ぎの攻撃を意図も容易く、影は剣の腹で受けた、後ろに半歩動くのみで回避するに留まらず、剣が通り過ぎた瞬間に視認すら不可能な速さで剣を振り落とす。
「ック!」
俺は咄嗟に剣を引き戻し、腹の部分に左手を添えた瞬間、影の剣が俺の剣へと衝突。まるで巨大な岩を支えているかのような重さが、両腕から体を支える足へと圧し掛かる。
(重たすぎる!)
ただ剣を振り下ろしただけ。だというのにその攻撃は一撃必殺の威力を秘めていた。
(これ以上は…!)
耐えれない。そう判断した俺は剣を僅かに傾け、影の剣を横に滑らせることで衝撃を、そして剣を流す。しかし、影はそれを読んでいたのか、剣を流すために肩と腕の力をした瞬間に押し切られ、俺は、右肩から左わきへの袈裟斬りによって、殺された。
「ッッ…ハァ、ハァ、ハァ、…くそ」
幾ら自分が想像した圧倒的強者である影(自分)との想像の中の戦いとはいえ、その雰囲気はまさに死戦と呼ぶにふさわしい内容でそれを何度も試したが、やはり一回の戦闘で、知らず知らずに額にはびっしょりと汗をかいていた。
「あ~、くそっ! 強すぎるだろ…」
愚痴りながら、思わず地面に直に横になる。
自分が想像し、自分で決めた強さとは言え、その強さは圧倒的過ぎて、始めた当初は経った一秒で殺され、繰り返して行く毎に徐々に死ぬまでの時間は伸びて現在の最高生存時間は十五秒で、それ以上はどうあがいても現時点では殺されてしまうのだ。
「…強くならないとな」
と、そんな事を考えつつ空を見ると太陽は中天に差し掛かろうとしており、あと三十分もすれば中天、お昼になるだろうと、そう思った瞬間。体が栄養を欲したのだろう、ぐぅ、と小さくなり、鍛錬を切り上げて家に帰ることにし、体を起こすと服についていた土を払い、持ってきた水袋を麻袋に入れ、立てかけていた剣を背中に背負うと山を下り為に走り出した。
山には大小さまざまな岩と石があり、足回りは最悪と言ってもいい、そんな悪環境の中でも、もはや通い慣れた道だったので、俺は難なく走る速度を落とすことなく下山していくが、お昼までの時間があまりなかったので普段は使わない無属性魔法の一つで、全身に魔力を循環させて身体の能力を強化する魔法『全身強化(ベルガ)』を発動させていた。
『全身強化(ベルガ)』は肉体、即ち脳を含めた全てを強化する。故に時速七十キロほどの速さで走っていても、地面にある石の一つ一つを認識することが出来る。故に躓く心配も、何かにぶつかるといった心配一切なく、更にこの速さで走り続ければ太陽が中天になるまでで家につくと思われる。
(うん。やっぱり普段は使いたくないな…)
『全身強化(ベルガ)』は、魔力の消耗が大きいという弱点を除けば、かなり優れた魔法だ。だが優れている故に、戦闘以外では俺は極力使わない。何故なら、簡単に使えるが故に、この魔法を使えば強くなれる、と錯覚してしまう可能性があるからだ。
(何事も、こつこつと、だ)
人間、一息に強くなる方法に縋りたくなるが、それでも確実にこなして強くなるほうが俺は意味があると考えていた。そんな時、まだ距離はあるが、あちらはこちらに気が付いているのだろう一匹の魔物が立ちふさがる。
(あれは、岩獅子(ラーガ)か)
岩獅子。それは名前の通り全身の毛が硬質な岩のように硬く、皮も岩と同色で迷彩色として機能しており、近くを通った生き物を捕食する、岩や石が多い山に生息しておりもう一つの王的存在と合わせて、山の二大王者ともいえる存在なのだが、この場でのもう一体の紹介は割愛する。
(どうしたものか)
正直、岩獅子(ラーガ)を相手に時間を先ほどの余裕はあまりない。がしかし岩獅子は、なわばりに入ってきた者に対してかなりしつこく、山を下りるまで追いかけてきたという話もある程に面倒な魔物だった。しかし、下手に殺せばこの辺りの生態系に影響が懸念された。
(仕方がない…気絶させるか)
そう決めると、全身の魔力循環を加速させ『全身強化(ベルガ)』の強化度合いを上げ、一歩で地面を蹴り、そのままの勢いで岩獅子(ラーガ)の至近距離に接近、腹部へと潜り込み拳を叩き込む。
「ギャブ!?」
腹に一撃を喰らわすと、俺はそのまま足を止めること無く走り抜け、背後で岩獅子が気絶し、体を地面へと倒れたのを音で感じつつ、俺は下山した。
「よし、ここからは普通に走るか」
下山すると、発動させていた『全身強化(ベルガ)』を解除して、素の身体能力だけで走り続け、やがて太陽が中天へと差し掛かる前に家に着くと、家に入る前にストレッチをし、体を解す。
「よし、こんなものでいいかな」
この一連の鍛錬を四年前、ある程度には体が出来上がりつつあった六歳の頃から始め今日も続けている。
「あ、そういえば、母さんに呼ばれてるんだったけ」
今朝も、いつも通りの鍛錬場へ行こうとした時、メイドの一人で、俺に魔法を見せてくれた女性。ノウェルさんが器用に、部屋の前で立った状態で寝ていた。
「くぅ‥‥くぅ…」
「あの‥‥ノウェルさん?」
目の前の状況に、認識が追い付かず、声を掛けると、すぐに反応があった。
「‥‥はっ!? いけない、危うく寝るところでした…ってシルヴァ君!? 一体何時からそこに!?」
「ええっと。ついさっきです…」
思いっきり寝てましたよ、とは言わぬが花という気がしたので、黙っておくことにした。
「それより、どうして部屋の前にノウェルさんが? 朝は弱いはずでしたよね?」
生まれてからもう十年間も一緒に暮らしていると、ノウェルさんは朝に弱いという事は自然と分かった。だからこそ気になった。そんな朝が弱いノウェルさんがなぜ俺の部屋の前に居たのか。
「あ。そうでした。奥様からシルヴァ君にお話があるようで、今日のお昼を食べた後、執務室に来てほしいとの事です」
「母さんが?」
「はい。内容はその時に話されるとのことで、内容は私にもわかりません」
「そうですか…」
というようなやり取りもあったのを、今更のように思い出した。
(母さんが俺を呼ぶほどの話しか。一体何の話だろう?)
母さんからの話に軽く頭を悩ませながらも、体を水で濡らして絞ったタオルで綺麗にし、うがい、手洗いをして新しい麻製の服に着替え、リビングへ向かい、中に入ると既に母さんが座っていた。
「おかえりなさい、シン。早かったわね」
「うん。鍛錬をしてたらお腹が空いちゃって」
母さんと他愛のない話をしつつ、俺は自分の椅子を引いて座ると奥の方から今日のお昼が、俺と母さんの前だけなく座っていない場所にも置かれていく。
今日の昼食は、体を鍛え始めてたんぱく質を摂るためにお願いした、鳥の胸肉をサッと茹で、オーブンで表面をカリッ香ばしく焼き上げ、香辛料で味を調えた北京ダックのような肉料理、そして屋敷内の野菜畑で収穫した新鮮な野菜で作られた蕪のスープにサラダ、焼き立てのパンだった。
俺は肉だが、母さんのお昼は魚料理で、魚は近くの湖で捕れた新鮮な魚で、鱗を取り、そして皮を剥いだ後、身の部分に塩コショウで下味をつけ、オーブンで火を通した後、更に野菜と一緒に盛り付け、メイド特製のドレッシングをかけた料理で、前世のカルパッチョを思わせる料理だった。
「ではいただきましょうか。皆さんもお座りなさい。」
「「「「「「失礼します」」」」」」
母さんがそう言うと、今日の給仕を務めるメイド以外が用意されていた椅子に座る。
給仕担当のメイドは俺と母さんが食べた後、他のメイドと交代してここで食事を摂るその風景は、初めて食堂で食べ始めてた三歳の頃から七年も経てば俺からすれば当たり前の食事風景だ。
まあ、日本では家族みんなで食卓を囲む価値観があった俺はあまり驚かなかったが、世間では母さんのような従者と同じテーブルで一緒にご飯を食べる貴族は皆無、というよりかは存在しておらず。
小説なんかで見るような主人である貴族が食事を終えた後に調理場で余りものをご飯として食べるのが多いようで、教えてもらった時に聞いてみたことがあった。
「母さん。母さんはどうしてメイドの人たちとテーブルを一緒にするの?」
「そうね‥‥あの人たちは私、ううん私とあなたにとっての家族だから、かな?」
そう語る母さんはメイド達を本当に自分の家族であるかのように優しく接している。その一番の証拠がこれだった。
そして割とつい最近分かったが、俺が生まれた家が貴族というのは当たっており、爵位は伯爵。どうやら昔、先祖がこの国の国王を助けて、国王が感謝の意を込めて伯爵位を授けたらしい。
そして、詳しいことは分からないが、現国王夫妻と母さんは手紙のやり取りをするほどに仲が良いとのことだ。
「それでは皆さん、食材に感謝を込めて、いただきます」
「「「「「「いただきます」」」」」」
祈りを終えた後、食事や、何気ない会話が広がる和やかな食事な時間が過ぎる。
そして母さんが一番早く食事を食べ終えると食事の席から立つが、食事をしているメイド達は立たずに食事を続け、給仕のメイドたちが空になった食器を下げる。
これも母さんから「食べている際は火急の用事を除き立ってはいけません」とメイド達に言っているからだった。
「シン、後で執務室に来てね。必ず、よ?」
「は、はいっ!」
母さんが念押しに俺が答えると母さんは少し笑ったと食堂から出て行った。
(母さんが念を押す話しか‥‥いったいなんだろ?)
昼食を食べつつ。俺はそんなことを考えていた。
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