第5話 「母の慈愛」

 翌日。俺は日課のトレーニングを一通り終えた後。普段であれば本を読んだりするのだが、そんな気分にもなれず何もすることもなく一日を過ごして気が付くと夕飯の時間になっており、俺は食堂へと向かった。


 今日の夕食のメニューはメイド達が作ってくれたパンにレタスとトマトに似た野菜とゆで卵の野菜サラダ。そして鶏肉を使ったテリーヌ、そして具材が煮溶けるまで煮込まれ、そこに塩で軽く味付けた野菜の旨味が煮溶けた所に、更にこんがり焼かれたベーコンと玉ねぎのような野菜。最後のアクセントとして胡椒を掛けられたことによってピリッとした香辛料が香りをより立たせるスープ。

 そんな豪勢とも言える夕食を綺麗に食べ終え、手を合わせる。


「…ご馳走様でした」


「あら、もういいの?」


「うん。今日はそこまでお腹が空いてないんだ」


「そう…?」


 母さんにそう答えるが、お腹が減っていないのは本当だった。けど、母さんが俺のことを心配するのは仕方がない事でもあった。何せ、普段はお替りをして二~三人前は食べるのだが、今日はその半分の一人前しか食べなかったのだから。


「体調がおかしいとかじゃないのよね?」


「うん。大丈夫だよ」


 心配そうに見る母さんを不安にさせないように明るく振舞うと少しは安心したのか、母さんは安堵したように胸を撫でおろしていた。


「そう…?もし何かあったら言いなさいね?」


「うん。じゃあ、部屋に戻るよ」


 そう言うと俺は食堂を出るとそのまま部屋へと戻る。その最中でも頭に浮かぶのは昨日の事だった。


(やっぱり出来るのんじゃないかと思っても、やるべきじゃなかったか…?)


 あの時の思い付きの中で出来た無詠唱ノースペルが、まさか一握りの人しかできない特異技術だとは思ってもいなかった。


(‥‥いや。考えればすぐに浮かぶことか)


 俺は、この世界に前世の知識を持ったまま転生し、新な生を受けた。しかしそれは他の同世代の子達と比べると世界が違うとはいえ知らない事などもあれど、経験と知識の量が違う。だというのに、初めて「魔法」が使えたという興奮から直ぐに試したいという欲の自制が出来なかった。


 だが、今回の唯一の幸運な点は家の中での出来事である点だ。けど、そしてそれはこの屋敷のメイド達からしても、俺は知っている同世代の子と比べて異質な存在として見られるという可能性があり。そして、俺は知っていた。異質な存在に向けられるのは理解できない事による恐怖、嫌悪。その果てにあるのは排斥や虐めで。その恐怖と痛みを俺は前世で嫌というほどに身を以て知っていた。


(もう、あんな思いは御免だ)


 これでも社会に出て働いていたので昔の事は引きずっていない。がそれでも多感な小学から中学を卒業するまで続いた苛めによる傷は体からは消えたが心には残り、今もなお、精神的な傷は確かに俺の心の奥底に居座っていた。


 ゆえに、俺は本気で恐れていた。母さんが、シュメルさんが、その話を聞いたメイド達が天才だとして世間に話を広めるのではないかと。

 もちろん、子供を有名にしたい。この子の将来のためにと思いから親(例外も存在する)が悪気がないことは今では理解できる。だがそれを切掛けに親から、周りからの視線を気にして生きていくのは俺は嫌だった。それなら、人知れずに死んだほうがマシだというほどに。ゆえに、思わずため息が出る。


(…なんで俺、あそこで自制出来なかったんだろう)


 昨日のは周りを気にせず、つい自分の好奇心に任せて夢中になった結果で。起きてしまった事に何を言っても仕方がない。それが分かっていても過去の自分に対するため息が尽きるはずなく。そうしている間に部屋前まで戻ってきていたので。

 そのままドアを開けて部屋に入るとそのまま靴を脱いでベッドに横になる。


(…このまま、寝てしまおう)


 部屋に戻る前に歯磨きは済ませたので、このまま寝ても問題はなく、何より何かをしようという気分でもなかったので寝ることにし、そのまま横になっていると自然と眠気が押し寄せて、俺はそのまま眠りに就いた。

 それから、どれくらいの時間が過ぎたのかは分からなかった。けど、何となく意識が少し浮かび上がった時だった。ドアが開く音が聞こえ部屋の中に誰かが入ってきた。


(…んんっ‥‥だれ‥‥?)


 眠気から頭が回らず、体も思い状態でも微かに眼を開けて部屋に入ってきた人物を見ると、ちょうどその人物が俺に布団をかけてくれている所だった。


(……母、さん‥‥?)


 夜の帳が降りた中で、窓からの月明かりによって見えた影が母さんだとは分かったけど部屋に来た理由が分からなかったが。寝ぼけた頭でもなんとかそれが浮かんだ。


(‥‥もしかして、昨日の事を聞きに…?)


 そう思うと同時に意識が急激に覚醒していくのを感じていると、母さんは服が汚れるのも構わずに床へと座り、ゆっくりと手を伸ばすと俺を起こさないように優しく、髪を梳くように頭を撫でる。


(‥‥気持ちいい‥‥)


 母さんの手から感じる温かさに、精神は大人であっても体は子供故に正直で。急浮上した意識が再び沈んでいく最中、母さんの顔が見えた。そこには柔らかな、自らの子供を優しく、慈しむ包容力に溢れた母さんの優しい表情だった。


(母‥‥さ…ん‥‥)


 意識が途切れかけながら母さんを見ると、それに気が付いた母さんが優しく微笑むと小さくだが、優しい旋律の子守歌を歌いだした。


「~~~、 ~~~~~~、~~、~~~~、」


(こ…の、う、た…)


 その子守歌を俺は何度か聞いたことがあった。

 それは赤ん坊の時に気持ちが悪いという感情を堪え切れずに思わず泣いてしまった時。寝付けなかった夜の時に、母さが歌っていた子守唄で。いよいよ、瞼が閉じる。そんな時だった。


「シン、私は貴方の味方よ。だから、怖がらないで。貴方は貴方が思う自分の道を進んでいきなさい。私はあなたを応援するから。でもね、一つだけ約束して。折れてもいい、けど必ず自分の力で立って。貴方の人生だもの、思うままに生きなさい。あの人のように、ね」


(‥‥あの‥‥ひと…?)


 母さんが口にしたあの人。それが誰なのかが気になったが、俺は押し寄せた睡魔という波に飲み込まれ瞼は閉じ、意識は深く沈んでいった。



 私は自慢の息子の少し癖のある、でもあの人と同じ黒い髪を撫でる


「ふふっ、いい寝顔ね…」


 すると、くすぐったがるようにもぞもぞと息子、シルヴァは寝返りを打つ。


「あらあら」


 寝返りを打ったことで掛けていた布団がずれて、風邪をひいてはいけないので掛布団をそっとかけ直した時、服の上から僅かに触れただけで分かるほどに柔らかく、けれど確かな硬さのある感触からそれが何なのかはこの子をずっと見ていたのですぐに分かった。


「頑張ってるのね」


 まだ幼い体。でもこの子(シルヴァ)が頑張って強くなろうと四歳から始めた事。その確かな成果という名の証がそこにあった。


「ふふ、子供の成長は早いものね」


 生まれた時からなんとなく感じていた事。この子は周りから聞いていた子供と比べて明らかに違う。最初からではないけれど、少なくとも赤ん坊の時から私たちの話を理解しているように見える事が何度もあった。

 そうだとすると、普通は気味悪がるかもしれない。けど私にとってそれはどうでも良かった。この子はあの人と私の子供で、無二の愛する息子という事の前には。


「シルヴァ。時が来れば貴方に話してあげる。あの人からあなたへの言伝を、ね。」


 私は最後に優しく頭を数回撫でると、そっと立ち上がる。


(はあ、仕事が無ければもっと一緒に居られるんだけどね…)


 そんな事を思いながら残った仕事を片付ける為に音を立てないように部屋から出ると、もう一度シルヴァの寝顔を見て静かにドアを閉める。


(はあ、頑張りますか!)


 翌朝に疲れた顔を見せないために、息子の寝顔を見たことで回復した気力で残っていた仕事を片付けるために、私は抜け出した執務室へと戻る。

 そして、執務室に戻るとシュメルからの小言を聞きながら仕事の再開すると、息子の寝顔は偉大という事なのか、気分転換が出来ていたようで仕事はあっと言う間に終わらせることが出来た。

 そのお陰でその後はしっかりとした睡眠が取れたお陰で寝起きも気持ちもすっきりしていて、改めて我が子の寝顔は偉大だね、と改めて思ったのは私、リリフィア・シュトゥルムだけの秘密だ。

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