マニアック VS パブリック

 そもそもわたしが梨子りこ、ジェト、鬼選きよりっていう3人の自衛隊員にマニアックな感性を指導するために教官として半ば徴兵のような勢いでベトナムまで来てしまっていることに関しては、わたし自身のこれも人生の一ページ・・・・・・・実際はそんな単純には割り切れないけれども、少なくとも女神さまのお姿を見ると「それでいいんだ」という気持ちになる。


 だから、マニアックの反義語は『冷静』なんかじゃ決してないと思う。


 マニアックの反義語は『マニアックでない』ということだろう。そしてそれは具体例を示すことでより鮮明になると考えられるんだんけれども、つまりは「あなた以外」のすべてのもの、本当の「あなた」ではないニセモノのあなた、っていうことになるんだろうって思うよ。


 それは信念なんていう薄っぺらなものでもなくって、あなたが大好きなものを極めて偏執狂的に好きだ、っていうどうにも説明のつかないココロ。


 好きでいることをやめろといわれても、決してやめることのできない好きっていう概念。


 だから、対義語をこう考えるよ。


 パブリック公共


「あ。ギャトリン!」


 最初の石つぶてを投げられた。


「う」


 日本はもはや街の中で小さな石を探すことすら困難なニセモノの地面アスファルトの上で暮らす国になってしまったけれども、ベトナムのハノイっていう大都市では生物の当然の権利として本来の大地の産物である小石を誰でも平等に拾い上げることができる。


 けれどもそれを投げることまでは平等に認められた権利じゃあない。


「ギャトリン!」


 ハノイの原色に彩られる青果の並ぶ市場の台組の前あたりで、こめかみに石が命中して、けれどもそれは石の質量によってでなくって石の形状が、かどの部分が鋭利に尖った状態だったからダメージは軽くとも皮膚の表皮を切って出血したギャトリンの前に立ち塞がって二投目を避ける・・・・・・ううん、避けるんじゃなくって、わたしが石つぶてを喰らうことでギャトリンの帝室の末裔たる凛々しく美しい顔面にこれ以上傷がつくことを止めようとして、まるでマンガのように、両手を真横に広げて十字架のようなシルエットでわたしは立ったんだよね。


「教官殿!」


 そうしたら更にその前に梨子がダッシュして来て、梨子はわたしのデフォルメのような様式美の防御じゃなくってすぐに石を投擲した多分大学生ぐらいのベトナムのその男子に向けた攻撃体制を取れる前傾姿勢のフォームでわたしの更に前に立ったんだよね。


「手出しはするな!」


 それってギャトリンの声で、梨子をすら・・・・・・ううん、君臣の秩序をわきまえた梨子だからこそ、日本ではないベトナムの帝室の末裔たるギャトリンの指令を絶対のものと考えて、そのまま


「う」


 さっきのギャトリンに勝るとも劣らない薄い反応で梨子は今度は一擲めを投げた男子の隣に居たやっぱり大学生ほどの別の男子の二擲めを頬と顎の間ぐらいの柔らかな果肉の部分でさっきと同じ大きさ・形状の石つぶてを受け止めて、けれども今度は肉が柔らかい分切れるまでの硬さがなくて表皮からの出血はしないようだったけれども、多分、犬歯か下の前歯あたりが折れはせずとも歯根がグラつくぐらいのダメージは受けたようだ。


「やめなさいよぉ!」

「告、停止」


 ジェトと鬼選が更に梨子の前に双璧となって立ちながら、既にロードサイドに落ちている石を拾いにかかっているベトナムの若い女子男子たちにジェトがベトナム語で叫んだ。


「なぜギャトリンに石を投げるのぉ!?」


 自分の腕力よりも少し余るほどの大きさの石を右掌に握って手首のスナップで、下手投げで命中させようというモーションに入っていた女子が叫んだ。


パブリック・エネミー公共の敵!」


 もしかしたらその女子はソフトボールを競技者として行っているその投手かもしれなかった。そのまますぐには投げなくて綺麗に肩を入れて腕を下から後方に一回転させ、再度掌が自分のウエストあたりに振り下ろされてきた瞬間、明らかに人間の体に命中したら表面ではなく、骨や内臓を損傷させるような、やっぱり丁度ソフトボールぐらいのような巨大な小石を、シュピ、という音がしたんじゃないかな、って思うほどの人差し指と親指の絞り込みで、ライジングするように石が放たれた。


 ああ!


 自国民を傷つけるな、というかつての帝の末裔たるギャトリンが下した命令に全員が忠実に従い、わたしたちは被弾を覚悟してその石の軌道をただただ見つめていた時


「あっ!女神様に!」


 その女子の手許が大幅に狂ったのかそれともわざとなのか


 石はハーレーのサイドカーに鎮座まします女神さまの胸元目がけて直線の軌道どころか、数センチずつ上ずりながらレーザーが灼熱の気温によってやや上向きに弯曲するような勢いでぶつかっていった。


 ガリィィィイインンッ!


 わたしたちは二重の意味で驚いた。


 女神様の胸の膨らみよりも少し上の気道のあたりに当たった石が、四つに割れた。そして四片が、地面にトストストストスと落ちた。


 ということは、女子投手の投球のスピードが体感速度で160km/hはあったのではないか。


 それがひとつめの驚き。


 ふたつめの驚きは、女神さまのお肌は、石が当たってもまるで何の接触をも受けていないように、滑らかで、すべらかで、玉のようにお美しいままだった、ということだ。


「欅。強度激甚。技術結晶。日本」


 鬼選が丸ごと一本の欅の大木から削り出された女神さまの、その木そのものとしての強さと、おそらくは彫刻にあたった職人の魂の気高さが石を微塵にするという結果を生み出したことに、まるで漢詩でも詠むかのような感嘆のベトナム語で女子投手に話しかけた。


「くぅ!」


 一気に気勢を削がれて石を地面に置いたり落としたりしながら、そうして女神さまとわたしたちを何度も振り返りながら散開していく女子男子たち。


「パブリック・エネミーと呼ばわれましたね」


 梨子がそう言うとギャトリンはマニアックにつぶやいた。


「心外だ」

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