とろけるように溶け込む4人
ハノイの街を観てわたしは直感したよ。
極めてマニアックな街だ、って。
「煙突の接合部分、もっと綺麗に仕上げんかアホが」
「やかましわ。アホにアホて言わしとけんわアホ」
「おーい!フォー茹で過ぎやねん!何年やっとんじゃ!」
「茹で過ぎちゃうわ。あんさんの舌が寿命やねん」
「
「なんですか教官殿」
「わたしベトナム語わかんないけど、なんかみんな大阪弁みたいに喋ってる気がする」
「さすがです教官殿。このハノイはまさしく商人の街。大阪の活気に勝るとも劣らないでしょう」
「そうよぉ、
「マニア。方法如何。擬態女神」
ジェトは軽く言ってくれたけど最後の
「そうだよね。もう住む場所も無いし女神さまをどうやって周囲の目から誤魔化そうか」
けど、鬼選は答えも持ってた。
「マニア。古美術商」
「えっ」
「開業古美術商」
「なるほどぉ!」
「冴えてるな、鬼選!」
わたしたちはその場で露店を開いた。
店構えと品揃えはわたしが監修する。
「梨子。ブリキ職人とか石工職人の店から規格外の廃品とか廃材を買ってきて」
「え。美術品じゃなくてですか?」
「うん。それでジェト、バイクとか自転車の修理業やってる店から中古の50ccのバイクとか重たくて誰も買わなそうな業務用の自転車買って来て。あと、パーツも少しあるといいかな」
「ふぅん。なんだかわかんないけどぉ、マニアちゃんの言う通りにするねぇ」
「鬼選。各ストリートの職人御用達の工具類の店で鬼選が思うままに工具買ってきて。お金はあるだけ全部使ってもいいから」
「諾。悦楽」
鬼選ったら『悦楽』だって。モンキー・レンチが初恋の相手だってぐらいだからもう大喜びだろうね、しかもかつてフランス領であり中国の影響も受け、しかも国自体が長い歴史に裏打ちされた文化を持ち水上人形劇なんかの独特の芸能も作り上げてきてるベトナムの工具ならさ。
まさしく、性的な
女神さまと二人きりで待っている間、わたしはハノイの人たちを観察する。
いやそもそもわたしが女神様に騎乗しているような状態でカモフラしてハーレーのサイドカーに乗ってるわけだからむしろ観察される側ではあるけど、でもチラ見しながら街のひとたちをわたしの方からも観察した。
大丈夫だ、ハノイは。
子供も、女子高生も男子校生も、大学に通っているであろうスレンダーな躯体に20箇所以上の体のパーツの寸法を測った完璧なフルオーダーの白のアオザイを着てスリットを翻して美しく歩いている女の子も、中年男女も老年女子男子に至るまでの全員の。
全員の、眼の、白眼の部分が青い。
青いぐらいに澄んでいる。
ハノイは屈していない。
「お待たせぇ!」
ジェトが到着すると梨子も鬼選も戦利品を持って戻ってきた。
「ではまずわたくしから。教官殿、これはブリキの簡易サイロです。それから汲み取り式便所の換気用に糞尿タンクから直接臭気を吸い出すためのブリキの煙突、それからガラッと変わって生春巻きを作るときのバットです」
「マニアちゃぁん、50ccの日本製のバイクが一台ぃ、蕎麦のおかもち用の天秤が付いた自転車が一台ぃ、後はバイクのテール・ランプとか自転車のタイヤの『ムシ』とか細々したものよぉ」
「マニア。モンキー・レンチ、バール、スパナ、テスタ、ハンディ
「う、うん、鬼選の工具愛はまさしく偏愛」
「諾。良」
おっ。
『了』じゃなくって『良』と来たね。鬼選喜んでるね。
そしてわたしは鬼選がどっちのココロでどっちの漢字を使ってるかが分かるようになってきたよ。
どんなのが彼女を『丁重に扱う』ことに適うのかも。
「では、お店を開きます」
ほら、小さな子がガラクタとしか思えないものをおもちゃ箱からガラガラって出して広げることを『店を開く』なんて言うでしょ?そういうことでいいんだよね、この『古美術商』は。
「あ。教官殿。お見事です」
「うんうん。素敵なお店ねぇ」
「絶賛。
そして、梨子にわたしが個別に指示していたブリキ細工がもうひとつ。
「梨子。台座を」
「はい」
ブリキの台座。
そこに全員で女神さまをお乗せしお座り頂いた。
「美麗。美麗」
わたしたちの露天古美術店、完成だ。
「教官殿。美術品が女神さましかいらっしゃいませんが?」
「いいんだよ、梨子。たとえばダ・ヴィンチを観たい人にとって美術館の定義は?」
「たとえば・・・モナ・リサのある美術館です」
「その通りだよ、梨子。この古美術店は女神さまだけが美術品とお呼びできる存在。けれどもそれはモナ・リサの価値を遥かに超える至宝。ならばその一点だけでわたしたちのこの夜空の下のお店は美術品を扱うお店」
全員、ココココ、と頷いてくれた。
そして早速お客が。
「うーん、素晴らしなあ・・・・・その女神はん、幾らや?」
「非売品」
「なんやぁ?他はガラクタやのにこの女神はんだけは別格やからこうして店を覗いてやってんのに売り物やないやてぇ!?」
「諾。非売品」
「く・・・・・・・わ、わかった。そこを推してなんとかならんか?」
この老年の男客、ホンモノを観る眼は確かなようだ。鬼選に対して一転して低姿勢になった。
でも、鬼選はこう言った。
「10億」
「えっ。じゅ、10億ドンか!?」
「否。USD10億」
「じゅ、10億米ドルやてぇ!?あ、あんさん、ホンキかいな!?」
今のレートで約1,200億円超だけど、わたしは安すぎると思う。兆・・・・・ううん、この世に存在する数字の単位では表せない価値があるに決まってる。
日本だけでなく、世界の荒ぶる神々をも押さえつけるホンモノの統治神でおわすのだから。
「は、ははあ、わかったぞ!ワシの足元見よるんやな?手に入れられん『美』は無いハノイ一の美術商であるこのウォンの足元見よるんやな!?ようし分かった!あんさんがウンというまでとことん付きまとったるでぇ!」
「話転換。我欲寝食」
「えっ・・・・こんな素晴らしい彫像を持ってはるあんさんらが寝る所も食べる所もないのんか?・・・・いやいや、この彫像に全てのモノを注ぎ込んで来た挙句の果てということか。よっしゃ!分かった!ウチへ泊めたろ!その代わりこの女神の彫像をウチの道具使って鑑定させてもらうけどよろしいな!?」
「おい、ウォン殿」
敬称はつけながらも梨子が凄んで言った。
「鑑定の際に傷一つつけみろ。貴殿には来世しか残らない」
やっぱり梨子って怖い。
「う・・・く、み、見くびるな!ワシはプロ中のプロじゃ!埃ひとつ落とさんわい!」
そうしてわたしたちはウォンの運転手付きポルシェ・カイエンの後に着いて行った。
着いたのはかの祇園精舎に黄金を敷き詰めてお釈迦様にお布施したあの大長者の豪邸と見まがうほどの屋敷だったよ。
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