暮れゆく部屋で明らむ女神

 既に契約済みだったコンドミニアムにわたしたちは女神様をお連れした。


「手袋を」


 コンテナの木箱を鬼選きよりが解体して女神像をお運びする時、全員白い絹の手袋を着用した。


 欅の大木から彫り出された女神像はもともと腕も脚もおありだったのだけれども、千年近い時を経て、今はお身体のコアの部分、体幹の部分だけが現存している。

 初めて降り立ったホーチミンの空は曇天で、畏れ多さもあってわたしは女神さまの表情を正確には掴みとれない。のみの彫跡を意図的に残したというその瞳もまだわたしは見つめることすらできない。


「汗をつけないように」


 だから、四人全員で長袖のウインドブレーカーを上下着込んで力を込める。

 自衛官の梨子りこ・ジェト・鬼選の力とわたしの非力とではバランスが取れないところを、彼女らは見事なパワー・コントロールでカバーしてくれる。

 梨子が念を押す。


「万が一じゃない、億が一にも粗相そそうがあってはならない。命懸けじゃない。本当に命を使うんだ」


 極度に緊張すると汗が引っ込む。

 引っ込むなんてものじゃなくって、汗腺が収縮して、一旦出た汗を吸引して体内にまた血液として精製するための成分になるのだろうという感覚を、とても怜悧に感じることができる。


 この緊張の瞬間も、つまりはマニアック。


 世界じゅうの誰も、女神さまに直接触れることはできない。

 わたしたち女子四人、従者であり奉仕者であり畏れ多くも女神様をお護りする栄誉にあずかった我ら四人の特権。


 厚遇、わたしたちの人生をこの一点のみで意味あるものへと即座に転換させる大功徳を約束する仕業。


「いっせえせっ、えっ!」

「「「えっ!」」」


 梨子の号令に合わせて全員で気合を入れて、その後は、無音を旨としてコンドミニアムの玄関を抜け、廊下を移動し、女神像を安置したまうための玉座の前まで移動する。女神さまに要らぬ振動をお与えしないためにはわたしたちもまったく身体の上下動なく完全水平に歩かなくちゃならない。要点は視線をズラさないことだった。


魔似阿マニアちゃぁん、眼球を2mm斜め右上ねぇ」


 ええ?


「教官殿、肩甲骨を後3°捻ってください」


 はいぃ?


「脈拍60秒平均1回減」


 な、なにを・・・・・・・・


「む、無理!」

「教官殿。分かりました。我々は教官と共に自決する覚悟です。それもまた天命です」


 根性ぉ!

 一発!


「ふんぬぅ!」

「おぉ!」


 わたしはおそらくは人生最大のアドレナリンを放出して、この繊細にして力を最大限に瞬間に込める大業をやり遂げた。


 すっ、と女神様はフランスから輸入した超高級調度の椅子にお座りになられた。

 梨子がすかさず厳命する。


「本日ただいまこの瞬間よりこのコンドミニアムは女神様をお迎えした仮の社殿だ。この玉座の配置はこの建物の上座であると同時にこのホーチミンとそしてベトナムとにおけるあらゆる席次という席次の中の上座に位置する!」


 まだカーテンを選んでいない大きな窓からベトナムの夕闇間際の太陽の光が、ヵ!、と差し込んで女神様のお顔を照らした。


 わたしは初めて女神様の鑿の彫跡を遺した瞳とそのご尊顔を拝謁した。

 鬼選が訊く。


「涙の故は如何」


「・・・・・・・・綺麗で、美しくて」


 わたしは三人の前で、ただただ泣いた。






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