ベトナムでビッチ!

 ホーチミンのタンソンニャット空港に着陸した。


 迂回に迂回を重ねて経路を特定できないように羽田から飛行してきた。

 着陸してから、ジェトは全く普通の旅客機と同じ滑走路に入って行く。


「あれあれあれ?だ、大丈夫なの?」

「教官殿、何かご心配でも?」

「だ、だってさ・・・羽田を出発する時はわざわざダミーの乗客まで用意してカムフラしてたのに・・・雑じゃない?」

「大丈夫です。さ、着替えましょう」


 迷彩服を脱いでボトムはジーンズにデニムのスニーカー、それぞれTシャツはハードロックバンドのペイントのもの。


梨子りこはAC/DC、ジェトはメタリカ、鬼選きより、それは・・・?」

「人間椅子」

「え」

「人間椅子。無情のスキャットが人気」

「・・・・・有名なの?」

「超有名」

魔似阿マニアちゃんのはぁ?」

「ニルヴァーナ」

「おっ・・・教官殿、グランジですね」

「あれ?梨子は音楽大好き人間?」

「もちろんです教官殿。戦いのBGMは、ロックンロールです」


 戦い。


 現実にジャンボジェットでUFOに遭遇して、梨子はリボルバーの銃弾を空気圧の差異を鬼選にフォローしてもらいながら撃った。


 マニアック、っていうのは特殊って意味じゃ決してない。


 現実の物理現象や物理的には存在しないように感じているけれども実際にはそこにあるもの。

 ずっと前からあったし今もそこにある事実。


 その一部分でも見えないかと細部にフォーカスしたり自分ごときでは把握し切れない箇所を想像でなんとか埋め合わせたりするそういう作業が『マニアック』


 事実を直視することを諦めたり、自分勝手に世界観を創り出したりするのじゃなくって、そこに間違いなくあるものをなんとかそのままの姿と意味とで捉えようとすること、それが『マニアック』


 だから梨子はわたしたちがジャンボジェットの中に超一級の美術品を運搬するための厳重極まりない梱包でお連れ申した女神様の像の、その瞳が、『のみの彫り跡をそのまま残した瞳であるからこそ、力強さと、生命と、間違いなくそこに』ということを力説した。


 梨子も間違いなくマニアック。


 じゃあ、わたしが者好ものすき魔似阿マニアと命名されて何事を為すにもマニアックであり続ける理由は?


「教官殿、誠に恐縮なのですが・・・我々の身や荷物よりも何を差し置いても」

「うん、分かってるよ。女神様をお連れしないとね」

「ありがとうございます」


 女神像は空輸用の木製コンテナの中にお納めしてある。


 実は、防弾だ。


「教官殿。防弾どころではありません。核を撃ち込まれたとしても」

「核!」

「このコンテナだけは無傷です」


 だからこのコンテナごとお運びする。

 鬼選がスマホを出して通話し始めた。ベトナム語だ。


「◯◯◯▲▲」

『!?△△!』

「◯△□」

『!△△!』

「はあ・・・X」

『!!??』

「X」

『・・・・・・・・・・・・O・・・OK・・・・・』


「OK」


 な、何が!?

 と思ってたら、小型クレーンを装備したユニック車が窓の下方の視界に入って来た。荷台にブルーのツナギを着た整備士が5人乗ってる。


「整備回航」


 鬼選の短い答えで意味は分かった。整備のために『回航』してきた機体として取り扱うようだ。5人の整備士に鬼選が指示した。


「カムフラ」

「Yes」

「アンロード」

「Yes」


 カーゴ・ハッチを開けて女神像のコンテナを下降させる体制に入った。滑走路にパレットが置かれている。


「教官殿。少し怖いかもしれませんが」


 そう言ってわたしたちはコンテナの四隅にそれぞれ掴まり、リフトごと下に降りる。パレットの上に静かにコンテナが載せられると今度はフォークリフトが近づいて来た。

 パレットにフォークを刺して、わたしたちごとユニック車の近くまで移動する。


「よーし。ジェト、頼む」

「了解よぉ」


 ジェトがユニック車に乗って小型クレーンの操作を始める。鬼選がコンテナにフックを掛け、ビン、と張って強度を確認した。


「上げ」

「いいわよぉ」


 素人のわたしでもジェトの技量がはっきりわかる。コンテナはまったく振動もブレもせずに、まるで静止画像を見るような状態でそのまま高度だけが上がる。トラックの荷台の真上まで来た時点で梨子が怒鳴った。


「ジェト!万が一があってはならんぞ!もしも女神様にお傷をお付けするようなことがあったならば」


 あ、あったならば・・・?


「我々は自決せねばならん!」


 ひえっ。


「マニアちゃぁん、安心してぇ。万が一はないから。あるとしたら億が一だからぁ」


 そうなんだろうと思う。


 ス・・・


 女神さまは音ひとつ立てずにトラックにお乗りになった。


「教官殿はジェトの助手席にお乗りください」

「梨子と鬼選は?」

「荷台で女神様をお護りします」


 ジェトがカーステのプレイボタンを押す。カセットテープだ。


「マニアちゃぁん。この曲でいいぃ?」

「うん。いいよ」


 ローリング・ストーンズの『ビッチ』

 間違っても品のいい曲じゃないけど、ベトナム現地での移動の際にわたしがヴァリエーションのひとつとして彼女たちに教授しておいた対処方法だ。


「イカすわねぇ!」


 古典的な言い回しをするジェトの横で、わたしもつま先をトントンしてリズムを取る。

 チュイーン、というギターとファンキーなホーンセクションが本当にかっこいい。


「ジェト、もっと上げろ」

「はいはぁい」


 荷台から梨子がリクエストするとジェトはヴォリュームのダイアルを、ぐりっ、と捻った。


 そろそろホーチミンの市街に入って来たトラックの開けっ放しの窓から『ビッチ』が大音量で放たれる。


 わたしの意図は当たった。


 ロックバンドのTシャツを着た、わたし以外はまごうことなき美人の女子がトラックの運転席と荷台に乗って、『ビッチ』を垂れ流している。


 目立ち過ぎるほど目立つ。


 そのお陰でコンテナに抱く違和感は緩和される。


「ベトナム、いいわねぇ」


 原付や自転車スレスレをトラックが追い抜いて行く。誰にもそうと気付かせずにジェトは休みなくハンドリングしていて、本当であれば跳ねていてもおかしくないバイクや自転車を最小限の動きで御している。


 不思議だな。


 イギリス出身でアメリカを代表するロックバンドが演奏するビッチを、かつてこの地に兵隊たちを送り込んで来ていた、そのアメリカという国の音楽を、この人たちは別に何とも思わないんだな。


 というか、マニアックに振る舞い続けるわたしたちを、ベトナムの国民と心底認識してるんだろうな。


 同じイエローだから。


「ジェト、知ってる?」

「なぁにい?マニアちゃぁん」

「ブルース・スプリーングスティーンの『Born in the USA』」

「もちろんよぉ」

「イエローマン、っていうフレーズが出てくるよね」

「そうねぇ」

「『イエローマンを殺しに行く』って戦争に出かけていった帰還兵たちの苦悩を歌った歌だよね」

「そうだけどぉ・・・でもそうじゃないかもよぉ」

「どういうこと?」

「別に歌の内容とか関係なく、純粋にロックンロールの優れた楽曲として聴くかもよぉ、今の子たちはぁ。大体、マニアちゃんだってそうでしょぉ?」

「ううん。そんな風には聴けない」

「あらぁ、どうしてぇ?」

「だって。わたしたちの所にだってアメリカから兵隊が黄色人種イエローマンを殺しに来たもん」

「え」

「沖縄に」


「教官殿」


 梨子から呼ばれた。


「なに?」

「教官殿のご指示通り、コンドミニアムを鬼選に押さえさせてあります。ただ、教官殿にまだお伝えしていなかったことが」

「なに?」

「女神像も部屋の中にお迎えします」


 えっ。


 女神様と、一緒に暮らす、ってこと?


「そして外出の際も必ず女神様をお連れします」

 

 ・・・まさか・・・まさか神輿にでもお担ぎして?

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